【ビダニュー】必死に友達を作るな

HUNTER×HUNTERが再開するそうですね、の手羽です。

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今日は「必死になって友達をたくさん作ることってそんなに大事なのか?」という話を。


手羽は情報システム課に勤務してた時期があるんですが、そこで「インターネットにはDMZという仕組み(考え方)がある」ということを学びました。
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DMZ[ DeMilitarized Zone ]とは
インターネットに接続されたネットワークにおいて、ファイアウォールによって外部ネットワーク(インターネット)からも内部ネットワーク(組織内のネットワーク)からも隔離された区域のこと。原義は停戦した地域に設定される「非武装地帯」。
外部に公開するサーバをここに置いておけば、ファイアウォールによって外部からの不正なアクセスを排除でき、また万が一公開サーバが乗っ取られた場合でも、内部ネットワークにまで被害が及ぶことはない。

IT用語辞典より
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ネットーワークがシステム的に全部同じゾーンにある状態で1台何かのサーバが乗っとられると、それを踏み台にして個人情報を管理してる大事な社内サーバやクライアントPCに影響がでてしまいます(時々そういうニュースも流れてますね)。
といって完全にクローズな状態にしてしまうと何もできない。そこであえて武装していないエリア「DMZ」を作って、外向きのサーバだけそこにおき、大事な部分とゾーンを分ける・・・という方法です。
一般的には「最悪いじられてもいい(すぐに修正すればいい)」大学WEBサーバ等はDMZ内に置き、いじられたら絶対に困るデータベースサーバ等はファイアウォールの下に置くのね。

これは友達作りとも似てるように思うんです。

自分を完全にオープンにすると、もし何かあった時に取り返しのつかないことが起きるかもしれません。でも自分の中で「この範囲で何か起きてもあきらめよう」と思えるエリア・・つまりDMZを作っておけば、最悪の事態は回避できると。

全力で友達作りに励む。
悪いことではないけど、広い社会にはいろんなことが待ってます。すごく親切な人がいたんで仲良くなったら、裏切られたり、「何かの勧誘」だったりとかね。

何を隠そう手羽もありまして・・・。
大学卒業直後、友達が周りにいなくなって寂しくなった時期に外で知り合ったすごく優しくしてくれるグループが声をかけてくれたんです。そのグループ主催のスポーツ大会に何回か出て、それがすんごく楽しかったの。んである日「キムチ鍋パーティやるけど来ない?」と誘われてホイホイとマンションに行ったら、おもっきし「勧誘」で。10対1という状況で・・。いろんな人から「『キムチ鍋』ってところで気づけよ」と言われたけど・・。

今の学生さんは周りとつながろうとする意識や能力が高くて本当に感心するんだけど、その能力に合わせた「もしもの場合の免疫力」ができてるかというと、ちと疑問に思ってます。
人を信用しすぎるといけないこともある。でも、人を信用しなければ友達もできない。まず「この部分までなら裏切られても大丈夫」という心のDMZで様子をみて、この人は大丈夫だなと思ったらファイアウォールを通せばいい・・と考えると随分気持ちが楽になります。そうすることである程度は「うん。これは想定内」で終わらせることができ、傷つく部分を減らせます。
HUNTER×HUNTERが再開する」と話題になってますが、再開されなかった時の自分のことを考えて、あまり期待してないようにしてます。つまり今はDMZに置いてる状態。紙面で確認できた時に「やったーー!!」と感情のファヤーウォールを通そうと(笑)


また、友達を作りたいばかりにあちこちに顔を出して、サークルもいくつか入って、ついでにバイトもいろいろやって、・・ということをやっているといつか破綻します。いずれ「課題を取るか、友達を取るか、恋人を取るか、サークルを取るか、バイトを取るか」を選択するはめになるでしょう。
そして、課題は面倒だから友達か恋人かサークルか、お金が必要だからバイトを取ってしまう人が多い。 確かに課題を出さなくても高校の時のように教授から厳しく怒られることもない。締切り2日前ぐらいにチャチャーとやっても点をつけてくれるかもしれない。

でも、それでいいのかな?

「今しかできないことをやる。」
大学生活ではすごく大事な言葉なんだけど、本当は「(やるべきことをやった上で)今しかできないことをやる」なんですよね。 「(やるべきことをやった上で)」は 「当然だからそこまで言わなくてもいいか」と省略されちゃってるだけなんです。それに気がつかずにこの言葉の表面だけを信じちゃうと痛いことになります。

大学時代の友人は今後、間違いなく人生の財産になります。
でも、そんなに心配しなくても自然とできるもんよ。出会いなんてそんなもんです。焦る必要はない。特に美大って「(なんらかの形で)美術・デザインの世界で生きていく覚悟をしてる」という共通項を持ってる人しかいないわけですから。これってかなり幸せのことなんです。

ぼっち飯」という言葉が手羽は嫌いで。
「ぼっち飯がさびしい」とメディアが言い出したから、「ぼっち」という言葉が生まれたから、みんな気にしちゃってなんか変な感じになってるけど、別に普通のことですよね。 「ぼっち飯だと大学生活が楽しくない→大学への満足度が下がる→退学者が増える」といろんな大学が「ぼっち対策」に取り組んでますが、確かに友達は大事だけど、むしろ「ぼっち飯はそんな恥ずかしいことじゃなくね?」と伝えることの方が大事だと思ってて。
特に美大なんて個も大事だから、そのへんの普通の大学と同じように「ぼっち飯」、一人行動を否定されると何もできなくなるわけで。

リア充」もそうですね。
美大とか表現活動を追及する大学はそれなりにリア充じゃないと困ることの方が多いのに、それを「リア充ww」と小馬鹿にされてしまったり、「リア充ですが」とエクスキューズをつけないと動きにくい風潮って、つまらない世の中基準に考えなくちゃいけいのってどうなのかと。これも「リア充」という言葉が生まれたからじゃないかと。

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。