【ジョブローテーションの考え方】君も大学職員になろう7

2021年5月12日(水)

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例年、職員試験受験者はジョブローテーションに興味を持ってる方が多い気がするんで、今日は手羽がどんな感じに異動したか、具体例として書いてみます。


入職して広報課を希望してたけど、最初は教務課に配属されました。


  • 入職したての頃、教務課で撮影。若いっていうか細い・・

よく「手羽さんは美大出身だからわかってていいですよね」と言われるけど、彫刻学科以外のことは全くわからないもんで(このあたりのことは後日書きます)、
教務での一番の学びは「各学科によって学生や教員の気質が違う」のを知れたことかな。「美大の教育」と一色単に考えると薄っぺらいことになる危険があり、少なくともデザインとファインアートでは全く異なります。今でも一番役に立ってる経験かもしれない。
また教室整備をやってたんで、全ての建物の室番とドアの位置、どういう備品が入ってるかもだいたい頭に入ってます。

教務課を5年経験して、次は情報システム課へ。
中堅スタッフから「え。手羽さんって情シスにいたんですか?なんでネットワークに詳しいのか謎でした」と言われたことがあって、そうか、それを知らない職員も今は半分以上いるんだな、と。
情シス時代は大学WEBとサーバ管理やってたんで、当時はLinuxコマンドもHTMLもCSSも一応は書けてました。もう全部忘れたけど。

これは当時のムサビ公式サイトのTOPページで、デザインテンプレートを学生さんに作ってもらい、WEBコンテンツは私が管理してたんです。
TOP項目に「産官学プロジェクト」「入賞情報」「メディアでの紹介」が出てて、何を売りにしたいかはっきり伝わってきますね。今見ても情報カテゴリが整理されてるのがわかる(自画自賛)。

 
情シスで身についた学びはサーバースキルより「インフラや仕組みの考え方」ですね。
電気、水道、ネットワークなどは「ちゃんと動いて当然。止まってはいけないもの」ではなく「なんもしなければすぐに止まるものをなんとか動かしてる」がベースにあるってこと。「止まって当然」なんです。
組織の仕組みも同じで、「たまたま」順調に動いてるだけで、キーポイントプレイヤーが一人抜けるだけで減速や停止することがほとんど。「たまたま今が順調」だって認識。


情シスを3年やって、念願の企画広報課に異動。


  • オープンキャンパス2005でのキャンパスツアー。こんなに茶髪・長髪だったんだなあ・・なんで誰も注意しなかったんだろ。

広報での学びは「校正の仕方」「情報の出し方」とかいろいろありますが、一番はやっぱり「自大学以外の人と出会えたこと」です。
高校説明会や進学相談会で全国の高校生や先生、保護者に会え、そして何より他大学の広報職員と知り合いになれたのは、今の自分の構成要素としてすごく大きいと感じてます。


  • 歌舞伎町の変なお店で美大職員の皆さんと

それがなければ、ムサビ日記や美大日記はもちろん、2008年のムサタマトークに、2010年の美大ブログサミット、そして美大愛好家なんて活動はしなかったわけで。

ちなみにムサビを飛び出した最初の活動は2008年のこの記事です。
連載!ムサビ×タマビ対談(第1回)|美術・デザインの専門学校・大学情報[美術・デザイン特集]

「ムサビタマビの広報なんてどうでもよくて、美大の広報をしたいんです」とさんぽうさんに持ち込んだ企画。美大愛好家としての最初の活動でもあり、さんぽうさんはWEBを何度もリニューアルされてるけど、このページは残してくれてるんですよ。ほんと感謝してます。
 

でもそんな一番脂がのってる時期に突然法人企画室への異動が発表されました。
法人企画室とは理事長の秘書業務、自己点検とかバックオフィス中のバックオフィスで、ぶっちゃけ「このタイミングで異動させるなんて上の人は見る目がないっ!!」とふてくされたりもしたけど、あのタイミングで「法人職員として物事を考えることの必要性」を経験できたことは、今思えばすごくありがたく感じてます。
そして当時「手羽が広報からいなくなるなんて、どうなってもしらんぞ!」と言ってくれる教職員もいましたが、組織である以上1年後にはなんとかなってるし、3年後にはそんなことさえ忘れさられてることも経験しました(涙)


その後、研究支援・社会連携チームの室長を兼務し、産官学連携、社会貢献、公開講座、大学間連携などを担当。


  • アートサイサイトいわむろ2015。まだこのあたりも茶髪だ。しかし、たった6年前なのに金令木くんも若いな・・

んで、部長になったりしつつ、法人企画グループには10年ぐらい在籍し、2年前にヒト・モノ・カネを管理する部署に異動し、今に至ります。

 

こうやって振り返ってみると、「美大卒だから」という業務はやってないし、美大独特の部署に配属されたわけでもありません。
また、決して計画的にそうなったわけじゃないけど、たまたま教務→施設→広報→法人→社会連携→総務といろんな分野を経験させてもらい、そこでの学びが今につながってるので、手羽は「ずっと同じ部署にいるよりも若い時はいろんな仕事を経験した方がいい。それが組織としても本人にとってもいいはず」派です。

よく「人事に計画性がない!」と怒ってる人がいますが、人事って玉突き・組み合わせだから、誰かが病気になったり産休に入ったり突然辞めたりすれば計画がガラっと変わっちゃうのは当然。
自分は決して計画的ではない「たまたま」の配属の順番にも感謝してるんで、どんな職場・仕事でも「計画は大事だけど、本人や周りが偶然をポジティブに捉えられる力があるかどうか」「そこで何を学ぶか(学んでると考えられるか)」が大きいんじゃないかなー、とは思ってます。



つづく。


以上、大学史スタッフから「資料調べてたら出てきた写真があって、拡声器持ってるの手羽さんだと思うけど、

何年のオーキャンかわかりますか?」と聞かれた手羽がお送りいたしました。
全身が写ってればクネクネ具合でわかるんだけど多分これは手羽で、右が現図書チームリーダー補佐、左が学生支援グループ長なのは確実。でも黄緑Tシャツのオーキャンは2回あるから、どっちのオーキャンか確定できない・・わかる方教えてください。

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。