美大を卒業して何やってるの?第7話-京都造形卒・マイクさんの場合

忘れた頃にこの企画をお送りする手羽です。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この「美大を卒業して何やってるの?」シリーズは、ムサビ日記時代の2007年から「久しぶりに書いてもらおうシリーズ」として続けてきた企画です。
美大卒業後、彼らは何をし、何を思い、どんな変化が起きているのか。もしくは変わってないのか。
一年に一度、ムサビ日記美大日記OBOGにリアルな現況を書いてもらうことで、同じ卒業生をずっと追っかける長編ドキュメンタリーにもなってます。


▼これまでの話はこちらをご覧ください。
美大を卒業して何やってるの?第1話-ムサビ卒・べべつこさんの場合
美大を卒業して何やってるの?第2話-ムサビ卒・珍念くんの場合
美大を卒業して何やってるの?第3話-東京藝大卒・zoominさんの場合
美大を卒業して何やってるの?第4話-ムサビ卒・helveticaさんの場合
美大を卒業して何やってるの?第5話-東京造形大卒・こやまくんの場合
美大を卒業して何やってるの?第6話-ムサビ卒・una-pinaさんの場合



第7話目は、美大日記から京都造形卒のマイクさんに登場してもらいましょ。
東京以外の美大からは今年初ですね。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
どうも、こんにちは。
2013年に、京都造形芸術大学を卒業しました、マイクです。

中学の卒業文集に、
将来は、名の知れた映画プロデューサーになるから、お父さんお母さん見ててよ!と書いたものの、その夢はどこに行ってしまったのだろうか。在学中に夢は破れ、(現実を見ちゃったのよ…)

現在は、子供と関わる仕事をしています。
親子で遊んでもらうことを目的とした会員制の施設で店舗運営をしています。
有り難い事に仕事は多岐に渡り、「やりたい」と口に出せば、教えてもらえる・任せてもらえる環境なので、日々自分の変化に楽しみながら仕事に取り組んでいるところです。

大学が美大で、専攻は映画。なのに、現在は子供と関わる仕事。
多くの人が、「大学で学んだことと関係ないじゃん」と言ってきます。

端から見れば、そう思ってしまうのも仕方ないですが、
私としては、京造のおかげで今があると思っています。

まず、京造は、横のつながりが強いんです。
専攻が違っても、気兼ねなく相談できる友人がいる。
サークルに入らなくても、自然に他学科の人と交流がはかれる。
人見知りにとっては、絶好のチャンスを与えてくれる授業があります。

その授業は、入学ホヤホヤの1回生全員を対象にしており、半年間かけて、「モノを観る・作る・考える」力を養っていくものです。いろんな学科がシャッフルされ編成されたクラスなので、意見がぶつかり合う事が非常に多く、話し合う度に発見があり、刺激的なのが特徴でもあります。

責任とか、信頼とか、積極性とか、集団で制作・仕事をする上で大切な力を身に付けていく事が最大の目的かと思いますが、私はそれ以上に、人見知りの克服ができました。

初めての授業で、私は愕然としました。
クラスには同じ学科の子が2〜3人いるのに、私のクラスは男ばかり…。
入学してから一度も話した事がない上に、見た目が怖そうな人だったから近寄りたくなかったのによりによって同じクラスになってしまうとは…絶望的でした。誰も話せる人がいないじゃん!

人に話しかけるのは怖い。
でも、孤立だけは避けたい。

絶対にイヤという状況に追い込まれた事で自分から話しかけることになりましたが、それが結果的に良い状況を呼び込んできてくれました。

脱、人見知りっていうやつです。

授業を通して、横の繋がりがどんどん広がり、他学科なのに顔見知りばかりになっていきました。

映画で使いたい衣装、作ってくれないかな?
個展で置く映像、頼んでもいい?
(いろんな学科の子たちと)みんなでプロジェクトやってみない?


気づけば、授業以外で他学科の友人たちと制作している自分がいました。
自身のゼミで脚本のアイデアが浮かばない時は他学科の子にアイデアを貰うほど、自分からグイグイいけるようにもなりましたね。

あんなにも人付き合いが苦手だったのがウソみたい…。

それに、他学科との付き合いにより、専門的な授業だけでは得られなかった力が確実に身につき、今の仕事に活かされていると実感しています。

あ…
リンクはり忘れた。

こちら、授業の様子が紹介されている映像です。
2009年なので、まさに私たちの時代のものが映像になっています。


専門的な授業を否定してしまったみたいな言い方になってしまいましたが、もちろん、映画製作を通して学んできた事も計り知れませんからね。
悔しい想いをしたものほど役立っているとひしひしと感じます。つまり、今やっている事は決して無駄ではないということです。

あと、学科問わず、教授は利用した方が良いと思います。
卒業してから気づくことっていっぱいあるけど、一番思うのは、教授は名高い人なんだな〜てこと。「当たり前じゃん、そんなこと」分かっています。でも、学生の時は教授との距離が近すぎていつもいる存在だと勝手に脳が思い込んでしまうんですよ。

だから、教授からチャンスを転がしてもらっても気づけなくて…。

当たり前の環境に染まっていましたら、今一度、足下を見てみてくださいね。

あなたの前にいる教授は、世間では有名な方ですからね。
会いたくても会えない・連絡を取りたくても取れない人はいっぱいいます。
身近な教授だからこそ、たくさん利用して自分の製作に繋げていってくださいね。



さて、そろそろ、真面目な話は止め、
ブラックマイクを出してもいいでしょうか。


じ、実は私…。
去年の夏頃から、公私共々大きな変化がありまして。
それについて触れさせてください。

こんなヤツもいるんだ程度で読み進めて頂けたら幸いです。


まず、去年の7月に仕事を辞めました。
父と絶縁までして、どうにか入社を決めた会社を1年程で辞めちゃいました。
最近の若者は…と言われても別に良いです。だって、業務体制だけでなく、業務内容もブラックで、辞めてから会社の事情をいろんな人に話したら散々に言われました。両親からは、「辞めて正解だったよ」と。

仕事を辞めてからは、すぐに次の仕事に就くという選択肢が私の中にはなく、リフレッシュも兼ねて沖縄の座間味島に1ヶ月程、滞在していました。

住み込みで働いていたため、一銭もお金は掛かりませんでした。

その後も日本各地を転々とし、自由気ままに生活をし、そろそろ寒くなったし実家に帰ろうと思って家に行ったところ、仕事も探さず、ぷらぷらとしていた事が気に入らなかったのでしょう。
沖縄に行くのは両親も了承してくれましたが、その後の行動がダメだったみたいです。
「仕事が決まるまで家には帰ってくるな」と言われ、家を追い出されました。沖縄で使ったリュックに冬服だけ詰め、泣きながら電車に乗りましたね。

突然家がなくなった私は、関東の友人たちの家を転々とし、最終的には千葉に住んでいる彼の家に居候と言う形で住ませてもらうことになりました。

そこから本気で転職活動に励み、今の仕事に就いた感じです。

転職、転職とよく耳にしていたため、仕事を辞めてもすぐに次の仕事が見つかるだろうと安易に考えていました。

でも、当事者になって分かったことは、就職以上に、転職活動は大変だ!ということ。
全然、決まらないもん。

某大手出版社の面接で、「徹夜が続きますが、そのあたりは大丈夫でしょうか」と聞かれ、「体力には自信がありますが、徹夜は嫌です」と答えたら、その場で不採用でした。そりゃ、そうか。

前職が特殊だったので、業務内容と退職理由の部分に苦戦しましたが、現在の会社に拾って頂いて本当に良かったと思っています。

仕事に就いた事で、両親との溝は埋まり…。
いや、その後も父とは喧嘩が絶えず、「お前とは縁を切ってやる」と言われたものの、現在は何かと連絡をする仲です。父に贈ったお肉、とっても喜んでいたみたいで良かった。


……と、まあ、
最後はハッピーエンドで終わらせてください。


私、マイク、
入籍しました!

25歳の誕生日を迎えた日に籍を入れました。

主婦なんだ、うふふとは言ってられず、仕事と家庭の両立に苦闘しています。
とはいえ、幸せな日々を送っているところです。

話が長くなりそうなので、この辺にしておきます。
では。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

ちなみにTOPバナーはマイクさんが沖縄で働いていた時に見た景色だそうです。


よく、「手羽さんは京都造形が嫌いなんでしょ?」と聞かれます。
京都造形スタッフが「手羽さんはなんで京都造形ばかりブログでいじめるんでしょ?悔しいからタマビには負けてもいいけどムサビには負けたくない!」という熱い気持ちをタマビの米山さんに語った・・・という伝説があるくらいです(笑)

好き嫌いじゃなく、美大全体をよくしたい、という気持ちなんだけど。これがわかってくれてるのは吉田編集長、あらため吉田事務局長だけっていう(笑)
「それは美大としてどうなの?」「テイよく先生の作品作りを無償で手伝わされてるだけとちゃうの?」と思うことがチラチラあるだけで、「これはいい活動だなああ・・」と感じることもいっぱいあります。
関西美大で今一番勢いがあるのが京都造形さんってことは誰も否定しないだろうし、先日行われた学園祭「大瓜生山祭」はなんと2日間で1万5千人の来場者があったそうですし。
ま、去年のムサビ芸術祭は3日間で4万人超えましたが(こういうところがいけない)

私達ではできない新しい視点の広報活動もそうだし、手羽が羨ましいと感じてるのが、マイクさんも書いてるマンディプロジェクト、いわゆる「ねぶた制作」です。
東京藝大さんは昔から美術学部・音楽学部シャッフル状態の神輿作りをやってたり、
2015芸祭神輿パレード。神輿と法被が凄すぎる : トラブったトラベル
ムサビも学科の枠を超えた授業をやってるし、他美大さんでも学科混合授業ってのは今時それほど珍しくはありません。
でも1年生の導入カリキュラムとして「みんなで1テーマで制作させ競わせる」という手法は、「学生さんにとって1番の思い出になり、下手な自校教育より自大学に興味を持つ仕組み」だと思ってます。


って、そんなことはよくて、マイクさん、入籍おめでとうございます!!
この数年は「結婚しました」「子ども生まれました」レポートが増えてるなあ・・・みんなお年頃ってことなんだなあ・・。でも手羽が知ってる限りでも、まだまだ結婚・出産した人がいるのです。
シリーズの今後をお楽しみに!!

以上、転職先はタマビしか思いつかない手羽がお送りいたしました。


今日のまとめ
●手羽の年だと転職したくても年齢制限でひっかかるのよね・・・あ、いや、手羽美★を作るのが夢だけどね!(汗)


手羽美術大学★開設の野望が一歩近づいた!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。