【宮城旅シリーズ】石巻市震災遺構門脇小学校に行ってきた #石巻南浜津波復興祈念公園 #みやぎ東日本大震災津波伝承館

2024年11月20日(水)

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宮城出張レポートをお送りしています。
これまでの話はこちら↓
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「森と海の美術展」の様子を石巻日日新聞社さんがnote記事で紹介してくれました。
牡鹿の自然 独自視点で|石巻Days(石巻日日新聞社公式)
 
 
マルホンまきあーとテラスから向かったのは、

石巻市震災遺構門脇小学校です。
 
ちょっとここから手羽の話を。
2012年に校友会主催の地域フォーラムで被災地を視察することになり、出発する直前まで「復興の邪魔になるんじゃないか。ボランティアもしないのに見ただけで何になるの?」という想いが正直ありました。
でも現地での衝撃は想像以上で、「余計なことを考えず、この景色を子供たちに見せ伝えるのが親の役割だ」と感じて、翌年2013年夏に家族で松島→石巻→女川→南三陸→気仙沼と車で北上する旅行をしたのです。
その際にこの門脇小学校にも訪れ、こちらが2013年に撮影した写真↓


  • 2013年撮影

石巻市立門脇小学校の本校舎は津波による浸水と火災両方が発生し、壊滅的な被害を受けました。
「震災のことを思い出すから早く取り壊せ」「震災の記憶を残すために保存を」と、ともにもっともな意見がぶつかり、2013年に来た時は工事壁が設置されてはいたけど、まだ結論がでていない状態でした。
 
外側の人間からすれば「保存するべき」と思ってしまうけど、震災から2年たった2013年でも


  • 2013年撮影

周辺は家の土台だけが残る広大な空き地にお墓と潰れた車が山積みになっている状況で、あの景色を見るとそんな簡単な話じゃないことがわかります。
 
最近、リンクロウ(当時10歳)に「東北旅行の記憶ってあるの?」と聞いたことがあって、
リン「もちろんあるよ。カモメにかっぱえびせんをあげたよね」
手羽「松島ね。フェリーに乗った乗った」
リン「他だと・・ホテルですんごい豪華な夕食食べたのって、あれも仙台だっけ?」
手羽「気仙沼のホテルか。『お金をいっぱい落とさなくちゃ』とアワビ出してもらったり、確かに家族旅行で一番高い夕食だった(笑)・・・ってそれだけ?」
リン「あ。そうそう。一番覚えてるのは」
と語りだしたのが、


  • 2013年撮影

この張り紙のことでした。
物理的にも心理的にも被災地のことを表しており、手羽もこの張り紙が最も記憶に残ってて、「これを覚えててくれただけでも、あのタイミングで子供を連れて行ってよかった」と救われた瞬間でした。
 
話を戻します。

住民との対話を続け、津波火災による被災状況を残す全国で唯一の震災遺構として、そして平時における訓練の重要性や避難の在り方を考えてもらうために部分保存が決定し、2022年3月30日に「石巻市震災遺構門脇小学校」として開館しました。

四角いのは火災の痕跡を外側から見るための観察棟。

体育館を改修した展示館から入場します。

こちらには被災車両の他に、

石巻市内で実際に使われていた応急仮設住宅が展示されてます。
仮設住宅は中に入ることができ、

当時のままが詰め込まれてます。

そこから本校舎へ。

教室の外から被災した教室を見る形。しかし、よくこのまま残してくれました。


  • 1階は津波と津波火災。ここは校長室で金庫には1週間後の卒業証書が保管されてて奇跡的に無事だったそう


  • 2階、3階は津波火災の被害の状況を見ることができます


  • 全部津波ではなく2階から上は火災被害によるもので、垂直避難の限界を学ぶこともできるのです

渡り廊下を通って、火災を受けなかった特別教室棟にある展示館へ。


  • 被災した黒板や防火扉が展示。津波火災の怖さを実感。

震災前の南浜・門脇地区のジオラマや、門脇小学校の開校から閉校までを紹介するコーナー。

素早い避難につながった学校の取り組みも知ることができます。
 
あの瞬間に門脇小学校にいた小学生、教員、親、避難してきた住民のインタビューも上映されてました。

津波火災が起き、1階は津波で降りれないから、2階から建物からの脱出を試みるんだけど、建物と裏山に微妙な隙間があって逃げることができない。たまたま転がっていた教壇を見つけ、みんなで教壇を橋にしてなんとか裏山に渡ることができたそう。まさにここが「命の教壇の橋」をかけた場所。
でも、「あなたも早く避難しなさい」と言われた人が教壇橋を使って山へ登ったら、あとで「〇〇さんは周りを助けないで逃げた」とずっと誹謗中傷を受けた・・・というインタビューもありました。

プール横に避難した人たちはこのルートで山を登っています。
学年を超えて交流する縦割り活動が普段から行われていたから、低学年の子をおぶって山に登った上級生もいたそう。
登ってみます。

2011年3月11日、子供たちはここから津波や火災をじっと見てたのか、と思うと。
 
ん。2013年は空き地だった場所に何かあるぞ。行ってみよう。

2021年にオープンした石巻南浜津波復興祈念公園です。
住宅街跡地に犠牲者の追悼や復興祈念を目的に造られ、円形の建物は「みやぎ東日本大震災津波伝承館」
ちなみに、2023年グッドデザイン賞を石巻市震災遺構門脇小学校みやぎ東日本大震災津波伝承館はそれぞれ受賞しています。

丘を登るとあたりを見渡すことができたので、動画を撮ってきました。


  • 2013年撮影

上記写真は現公園あたりを2013年に撮影した写真ですが、これと比べると手前に新しい橋ができてたり、10年でずいぶん景色が変わってるのがわかります。
 
たまたま前日の11月16日(土)は東日本大震災発災から5,000日目だったそう。
仙台美術研究所の加川先生が「被災地の写真を見た高校生が『これは廃墟の写真ですか?』と聞いてきた。仙台で生まれ育った高校生でさえ震災のことをわからなくなってきてる」とおっしゃっていたのをふと思い出しました。
いろいろ思いをはせながら、仙台駅へ。

というわけで、宮城旅シリーズはこれにて終了。
あ、食べ物のことをほとんど書かなかったけど、初日に牛たん食べたり、

生まれて初めてせり鍋を食べたり、押さえるものは押さえてました(笑)
せり鍋はサンドイッチマンの伊達さんがアメトークで語ってるのを聞いてずっと食べたいと思ってたんです。
でも、仙台の方が「せり鍋ってそんなに普段から食べるものじゃない。自分も初めて食べたのは5年前ぐらいで、急に5年前ぐらいから仙台を訪問する人が『せり鍋を食べたい』と言うようになって」とおっしゃってて、サンドイッチマンの影響力ってほんとすごいな、と。
 
 
以上、

伊達さんが言ってた「ご飯は白いからゼロカロリー」を信じている手羽がお送りいたしました。

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。