勤続30周年美大職員飲み会を開いてもらった!

2023年10月23日(月)

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今日もほぼ美大ネタはなく、完全に私事ネタです。

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おかげさまで勤続30年となりました。
 
勤続30年だけど学生時代を入れると連続34年、鷹の台キャンパスに通ってることになります。
最近は若手職員から昔のことを聞かれることが増えたし、そう考えると手羽がムサビに通いだした年に生まれた人は34歳になるわけで、もう職場でも中堅どころじゃないっすか。
怖いよね。怖すぎるよね。
 
今は実質2週間のリフレッシュ休暇を取ってます。
ま、このポジションだとさすがに完全に仕事をしなくていいわけじゃないのですが、のんびりした生活を過ごしております。


そんな中、10月19日(木)。

永年勤続表彰式がありました。
教職員の10年、20年、30年勤務者を表彰する会でして、

理事長から表彰状をいただきました。

今年の30年勤務者は教員はおらず職員が2人だけだったので、手羽が代表して挨拶をすることに。
どういう話をしたかというと、「30年前は」という話。

たばこは事務局でも会議中でも吸えて、職員は教授会前に各テーブルに灰皿を一個づつ置いていく作業がありました。
1号館の事務局にはまだクーラーは無く、扇風機が2mおきぐらいに配置されてるサイバーチックな感じだったし、

これは入職した年の教職員旅行(八景島シーパラダイス)で撮った写真ですが、そう、30年前は教職員旅行なんてものをやってたんです。しかし、細いなあ・・。
コピー機は教務と総務に1台しかなく、パソコンは成績管理用のパソコンが4台あるだけ(1台は富士通の親指シフト)。もちろんインターネットなんてありません。

「あの時ああだったなあ」と思い出せるんだけど、パソコンもインターネットもコピー機もクーラーもない中、どうやって仕事をしてたか思い出せないんですよね。自分はちょっぴり「ふくよか」になったり、心筋梗塞になったり微妙な変化はあるけど、基本そんなに変わってないつもり。
でも気が付かない間にいろいろ進化し、いつのまにか時代が変わってることがとても怖い。

体調崩したりクビになったりしなければムサビ100周年までは専任職員として所属してるはずなので、昔話ばかり語ってないで、老害と言われないよう若い人の邪魔にならないように頑張り、若い人を育て、それでいて自分よりも優秀な若い人が出てきたら早めに芽を摘んで、ムサビの発展に貢献したいと思います・・・という話。
 
にしても、

挨拶してるところを撮ってもらったんだけど、ことごとく傾いてる写真しかなくて。
よくこんな傾いた状態でしゃべれるよな。人体の不思議。

皆さん、おめでとうございます!!


そして翌日10月20日。

いつもの美大仲間が手羽の勤続30周年を祝ってくれることになり、明大前の「宮古」へ。

・・えーと、すいません。嘘つきました。
手羽を慕ってる若手職員達から
「手羽さん、勤続30周年を祝って飲みましょうよ。もちろん手羽さんのおごりで」
「おいおい、たかるなよ。でも、いくか!おじさんの昔話にたっぷり付き合ってもらうぞ」
「それは結構です(笑)」
的な展開を期待してずっと声がかかるのを待ってたんだけど、一向にその気配がない(涙)
現・事務統括に「手羽さんは人脈はあるけど、人徳がないよね」と言われたことがあるけど、そんなもんで。
 
だったら人脈使って祝ってもらおうと、

桑沢の高橋さんに「ムサビじゃ祝ってくれないから美大仲間で祝ってよ」とお願いして、高橋さんの行きつけのお店で手羽を祝う会が開催されることになった、と。
メンバーはいつものタマビ米山さんとメグリン、東京造形のM澤くん、女子美の佐々木くん、そしてムサビから竹林(笑)
 

ちなみに昔から他美大職員さん達と飲む会を開いていて、ブログに残ってる一番昔だと、
手羽日記 04/19 -手羽一郎-
2006年4月です。
あ、「手羽イチロウ」というペンネームは新宿の「手羽一郎」というお店から取ってて、よく美大飲み会では使わせてもらったけど、今回調べたら閉店してました・・。

コロナ前はなんだかんだ半年に1回は美大飲み会を開いてたんですよね。この数年だけ拾ってみると、
2018年7月
歌舞伎町で手羽美★900記事記念美大飲み会をやってみた
2019年3月
【人脈はあるが人徳がない男の生き様】ワタクシゴトではございますが2
2019年7月
【その価値を問う】市ヶ谷で美大飲み会2019夏をやってきた
2020年1月
【タマキンになれ!】美大ニュースまとめ20200112
てな感じで。日記って便利。
ただ、コロナでこの3年は開いてなく、久しぶりの美大職員飲み会だったのです!
 
このメンバーで話すことは決まってて、「美大情報の共有」
昔からの知り合いだから「そちらの大学のあの取り組みは素晴らしいですねー」と建前話は一切なく、「言わせてもらうけど、女子美さんの共創デザイン学科は・・」「他大学の新学科の心配より自分とこの新学科を心配しろ」「ギャフン」的な話ばかり。

メグリンがクネクネしたろうそくを買ってきてくれた。

大喜びの手羽の図。
ここまで喜んでる写真って最近あんまりない。

でも、こういう時に祝う歌がないから、なぜかみんなで「♪ハッピーバースデーツーユー」を熱唱することに。
周りのお客さんも拍手してくれたけど、手羽が30歳だと思っただろうなあ・・。
すいません。勤続30年なんです・・。


そうだ。この場で衝撃的な事実がひとつ判明しました。
 
今年3月、できたばかりの女子美共創デザイン学科棟を見学しに行って、そこで進行役をしてた人を昔から知ってる佐々木くんだと思ったから「よ!元気?どうよ。共創デザイン学科は?」と、タメ口でいろいろ質問をしてたんです。
手羽「佐々木君って今はどの部署にいるの?」
佐々木「ぼく、今は人事なんでオーキャンとかは手伝いをするぐらいです」
手羽「え・・・じゃ新棟の進行してた人は?」
佐々木「ボクじゃないっすね。多分橋本さんかな」
・・・手羽のことをよく知ってる相手だと思ってたから超タメ口で会話してたのに、これってまるで「美大広報で手羽のことを知らないやつはいないだろ」的な超失礼な人間になってない?女子美で超感じ悪い人になってない?・・ドキドキ。
 
ま、いいや。
 
最後の段階で「ねえねえ。何も言わずにこれを手羽に渡してくれない?」とお願いする。

手羽が買ってきた30本のバラの花束。
高橋「え・・・自分で買ってきたの?・・」
手羽「数年後には『手羽さんにバラの花束を渡した』ってきれいな記憶に補正されてるはずだからね。写真撮って記憶に残したもの勝ちなんだよ!」
「(全員ドン引き)」
手羽「一度、『バラを受けとってもらえますか?』『もちろんです』とバチェラーごっこををやりたかったし」
「(全員諦め)」
という感じで締め。
 
話が盛り上がって、11時過ぎぐらいまで飲んでたかな。

皆さん、ありがとうございました!!

 
以上、

おじさんたちは明大前の夜に包まれるのであった、の手羽がお送りいたしました。

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。