三島由樹
1979年 東京生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。ハーバード大学大学院デザインスクール(GSD)ランドスケープ・アーキテクチャー学科修了。その後、マイケル・ヴァン・ヴァルケンバーグ・アソシエーツニューヨークオフィス、東京大学大学院博士課程単位取得退学、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻特別助教を経て、2015年 株式会社フォルクを設立。現在、慶應義塾大学、千葉大学、東京大学、日本女子大学、前橋工科大学にて非常勤講師を務める。
松葉:「Outsider Architect」13回目は、ランドスケープの分野において、ガーデンデザインからパブリックスペースのデザイン、まちづくりなど様々な領域で活躍していらっしゃるランドスケープ・アーキテクトの三島由樹さんにお話を伺っていきたいと思います。今回主に以下の3つのトピックについてお話を伺います。
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・建築が駒ならランドスケープは将棋盤そのもの!?
・お坊さんはランドスケープ・アーキテクト?
・ランドスケープ的なまちづくりのやり方とは?
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建築が駒ならランドスケープは将棋盤そのもの!?
松葉:まず、ランドスケープの道を志した理由をお聞かせ下さい。
三島:デザインという道の中では、実は最初はランドスケープではなく、建築家になりたいと考えていました。でもさらにその前には、ランドスケープや建築という道すら意識したことがなく、慶應SFCに入学したのは、紛争や貧困問題等を解決するために国際政治を学びたいと考えていたからでした。しかし、学部1年生の時に友人に誘われてc-broadingという建築サークルに興味本位で入り、夏休みの関西建築旅行で安藤忠雄さんの「光の教会」を訪れた時、空間に感動するということを初めて経験しました。この時をきっかけとして、建築という分野に興味を持つようになりました。
ただ、当時のSFCには建築デザインを学部生が学べるプログラムがほとんどありませんでした。そんな時にランドスケープデザインや緑地計画の専門家である石川幹子先生がSFCに着任したのですが、石川先生が新任教員の自己紹介で話していた都市やデザインの話がうなずけるものばかりでとても説得力があり、ランドスケープデザインが持つ社会性と可能性に強く興味を持ちました。いずれは建築をしっかり勉強したいけど、それまでの寄り道でランドスケープを学んでおくのもいいかも。そんな気持ちで石川先生の研究室に入ったことがこの道を歩き始めたきっかけです。
研究室では、神田川再生のプロジェクトや皇居を中心としたエリアのプランニングなど、いままでの人生で考えたこともなかったような広い地域を対象としたプロジェクトに友人たちと打ち込みました。こうしてランドスケープ分野の魅力を少し分かり始めた頃には、もう卒業後の進路を考える時期となっていました。そこで、「専門的に基礎からランドスケープ分野を勉強するにはどうすればいいのか」と石川先生に聞いたところ、「留学するしか道はない」と断言されました(笑)。
また、4年生の時に建築家の坂茂先生がSFCに着任したので、坂先生の研究室にもお世話になりました。坂先生は着任1年目ということもあってか、研究室で設計を教わる機会は少なかったのですが、建築の分析の仕方を日々教わりました。コルビュジェやカーンなどがデザインした建築について、彼らの考え方と作り方をいろいろ勝手に想像しながら分析する作業が面白くて熱中しました。そして、坂先生にも進路を相談したところ、「とっととSFCと日本から出て海外で勉強しなさい」とのアドバイスをいただきました。こんな感じで、僕が留学したのは自分の意思というより、2人の強烈な先生たちによって日本から追い出されたという感じでしたね。
松葉:なるほど、今でこそ日本の大学でもランドスケープを専門的に学べる環境が整いつつあるのかもしれないですが、三島さんや僕が学生の頃はランドスケープをきちんと学べる環境は少なかったのかもしれないですね。アメリカに留学されてみてどうでしたか?
三島:留学時代は、最高に楽しかったと同時に、最高にきつかったです。時々、もう1回留学したいとは思いませんか?と聞かれるのですが、「もうお腹いっぱいです」と答えています(笑)。それくらい充実した日々でした。
留学を通じて実感したのは、アメリカ社会とランドスケープ分野の親密な関係性だったように思います。僕が日本で感じていたランドスケープ分野の姿とは大きく異なる舞台があるように感じました。ちょうど僕が留学した時代のアメリカは、ランドスケープ分野が「ランドスケープ・アーバニズム」という新しいムーブメントによって社会との関係を再構築していた変革期だったこともあり、分野自体がものすごく外向的でした。大学院の課題で扱うテーマも、ゴールドラッシュ時に栄えた閉鉱山周辺地区の環境再生プランや、世界有数の大規模な廃棄物処分場跡地の再生プランなど、近代以降の負の遺産と見なされる場所の再生をテーマとしたものが多くありました。社会的課題を改善するために次々と提案されていく、新しくて合理的で情感のあるランドスケープのデザインをウェブや雑誌で見るたびに、かっこいいなあと思いました。それと同時に、そもそも自分の興味であった、国際的な社会課題の改善にランドスケープ分野が大いに貢献していることに感動して、これまで自分が考えてきたことが一気につながってきた感覚を持ちました。
ランドスケープ分野って、世間のイメージのように公園や緑のデザインをすることがその本質では必ずしもないんです。もっと本質的な意味で、私たちの生活環境の存立に関わる分野であるということが、日々しごかれ続けた留学生活の中で分かってきて、とてもやりがいを感じました。
ランドスケープは「将棋セット」に例えると分かりやすい
松葉:ちなみに、建築・都市・ランドスケープの本質的な違いとはどのようなものなのですか? ちょうど最近仲間内で都市を語る建築家って最近いないよねという話をしていました。意識している人でも自分がやったプロジェクトの敷地とその周辺だけの話に終始しているという印象を受けます。それは都市ではなくてせいぜい街区の話ですよね。基本的には敷地が建築のスケールだと思っています。法規上の話もありますが、原則一つの敷地に一つの建物という。そして敷地の集合体が街区となりやがては都市になってくる。つまり敷地という切り方で都市と建築が分けられるように思います。一方、ランドスケープはそれらを横断することができるようなイメージがあると思うのですがいかがでしょうか?
三島:「ランドスケープとは何か」ということを他分野との比較を通じて伝える方法については、建築・都市・ランドスケープの違いを「将棋セット」に例えると分かりやすいのではないかと思っています。つまり、将棋セットに例えると建築は「駒」です。建築それぞれに種類や役割があるのは駒も同じです。都市は「マス目とルール」のデザインです。その将棋盤の平面をどう使うのか、どれくらいの大きさにするのか、何マス必要なのか。何をやってよくて、何をしてはいけないのか、などなど。そして、ランドスケープというのは「将棋盤」、すなわち将棋というふるまいが乗っかる土台をデザインすることではないかと思っています。
松葉:なるほど、将棋の駒、マス目とルール、将棋盤に例えるとわかりやすいですね。そしてランドスケープのスケールで見ると建築設計の仕事なんて小さなものですね(笑)。扱うことのできるスケールが全く違いますね。
三島:マス目を描くのが仕事ではなく、やはりランドスケープは土台を作る仕事なのだと思っています。例えば傾斜のついた将棋盤はないですよね。それはでは使いにくい。それから、将棋盤の高さ、これも高すぎたり低すぎたりしたら使いにくい。つまり、土台のデザインというのは、将棋というゲームを成立させる以上に、人のふるまいに対して大きな影響をもっています。これを実社会で言い換えると、ランドスケープは人が生きることのできる土台をつくることが仕事の基本です。
個人的には、良い将棋盤が棋士のふるまいを美しく見せるように、良いランドスケープや街は、それ自体がきれいで目立つというよりも、そこにいる人や人のふるまいを美しく見せてくれるものだと思っています。
松葉:アーバンデザインがランドスケープの手のひらで踊らされて、建築なんてさらにその上で踊らされていますね笑。
三島:もちろん都市や建築の分野の人にも将棋盤をつくる人、つまり大きなフレームワークの中で考えている人はたくさんいますし、僕もそういった方々からランドスケープのことを教わる機会は多いです。ただ、ランドスケープ分野の人たちは、仕事で取り組むフレームワークの設定に対する意識が他分野よりも強いと思いますし、できるだけ大きなフレームワークで考えようとする傾向があると思います。その理由は、建築や都市の仕事では対象地の境界が最初のモチベーションであるのに対して、ランドスケープの仕事は、地面はひとつながりのものとして考えた上で、いかに領域を設定するかがモチベーションになるからだと思います。
土木はライフルで、ランドスケープはショットガン
松葉:土台や基盤の整備という話だと土木の話も関連してくると思います。例えばインフラ整備などとはどういう関係にあるのでしょうか?
三島:土木インフラとランドスケープの違いですが、本質的には同質だと思う一方で、ランドスケープは必ずしも工学的ではないものも含んだ、良くも悪くも柔らかい感じの土木なのではないかと思っています。物騒なもので違いを例えるなら、土木はライフルで、ランドスケープはショットガンだと思います。
橋や堤防など土木でつくられるものは、照準(目的・機能)が定まっていて、いかに高精度で的に当てるかが求められる気がしますが、ランドスケープは、悪く言えば粗っぽい、よく言えば単機能ではなく色々な意味や目的を大らかに含んだ場所をつくることが多いです。公園なんてその最たる例ですよね。
ただ、言うまでもなく最近ではランドスケープと土木は密接に繋がってきています。日本では土木のプロジェクトでも、インフラの精度だけでなく居心地の良い居場所を積極的に作り出すことに注力している質の高いプロジェクトがこの10数年で沢山実現されているように思います。
同時にランドスケープ分野でも、都市のインフラのリデザインに積極的にアプローチした「ランドスケープ・インフラストラクチャー」という概念が、この10年ほどで欧米を中心に浸透してきています。ただ、この「ランドスケープ・インフラストラクチャー」という概念や、それに関係する仕事は決して新しいものではなくて、ひと昔前の日本では、お坊さんたちが普通に実践していたのです。
お坊さんはランドスケープ・アーキテクト?
松葉:ランドスケープがお坊さんに関係があるということですが、いったいどういったものなのですか?
三島:ランドスケープ・アーキテクチャーという概念や職能が生まれたのは19世紀中頃ですので、ランドスケープ分野の歴史はざっと150年くらいです。しかし、よく考えると日本にもそのずっと昔からランドスケープの本質部分に関連する職能が存在していました。それを気づかせてくれたのが、この土木の絵本『人をたすけ国をつくったお坊さんたち」です。大学の図書館で廃棄本になっていたのを迷わず拾い、出会った本です(笑)。彼らは、困っている民衆のために下水道や河川、さらには港やその周辺街区など整備などを行い、人の住みづらい場所・都市を安心して住めるようにするための環境インフラ整備を行いました。この時の整備の考え方は、今で言うランドスケープと土木の考え方が合わさったものであったと思います。
松葉:奈良時代の僧侶の行基が土木工事していたという話は昔聞いたことがあります。ちなみにこの人たちは体制側なのですか? 当時の朝廷には都市計画家とかその類いの人達がいたはずだと思うのですが。
三島:お坊さんたちにとっては権力者側のための土木工事ではなく、お釈迦様の教え、仏教というイデオロギーに基づいた人助けというか、権力者によって苦しめられていた民衆がいかによりよく生きていけるかということがポイントだったようです。このように、イデオロギーが社会やランドスケープをつくるということは今日でも同じようにあると思います。例えば環境問題というイデオロギーは、ランドスケープ・アーキテクトやデザイナーに今も大きな影響を与え続けています。しかし、昔のお坊さんたちが行っていた行為は、仏教という強いイデオロギーに基づいたデザインであったと同時に、民衆の生活改善という具体的な実効性を伴うものであった一方で、今日の環境問題というイデオロギーからは、人の生活にどれだけ寄与しているかはっきりしないデザインが少なくないように思います。
松葉:それは一体どういうことでしょうか?
三島:以前、川崎の工場緑化についてリサーチをしていたことがあります。高度経済成長期に各地の工場で公害が発生したので、工場を緑化してキレイにしましょうということで、「工場を作るときは敷地面積の一定の割合で緑地を作ってください」というルールができました。地域にもよりますが当時で25%くらいです。この数字が多い少ないというのはともかく、整備された緑地が結果として有効活用されないケースがとても多いと思います。
近年つくられた工場緑地に調査に行って話を聞いてみると、管理費は年間2000万円くらいかけた、とてもキレイな緑地なのですが、その緑地を誰が使っているかというと、実際は10人に満たない従業員だけ。セキュリティが厳しくて一般人が入れない、10人しかいない場所の緑地に年間2000万円の管理費を払っている。
事業者はルールを守っているだけだし、生物多様性や二酸化炭素の吸収など、環境保全のイデオロギー的には正しいのだと思いますが、もっと人や社会に合理的に還元できるやり方があるのではないかと思います。緑化と言えば聞こえはいいですが、何のための緑化なのか、つくることが目的になってしまっている緑ばかりでは、生活環境の質は改善されていきません。
合理性のない「都市緑化」は本当に社会を豊かにしているのか?
松葉:不要な緑化が多すぎるということですね。緑地化をするのであれば誰もが使えて社会に還元できるものにしたほうがいいですしね。一つの可能性として、工場に緑地を作らなくて良いが、その代わりに街の中に還元して、街の中心にセントラルパークを作るというようなことはできますよね。制度設計が必要になりますが。
三島:緑地は「緑の地」と書くので、樹木が植えられた空間だと思われがちですが、本来的にはオープンスペース、「空地」の意味です。例えば、ベネチアのサンマルコ広場みたいなオープンスペースには樹木が1本も植えられていませんが、人は集まるし、居心地もいい。経済効果もある。また、最近の建築系の学生さん達がつくる課題作品にも、樹木の登場回数や本数が劇的に増えているように思います。
だけど、ランドスケープデザインの本質って、必ずしも緑化すること、植栽することではないのです。そこが今も誤解され続けている気がします。ちなみに建築家・都市計画家であるルイス・カーンが手がけたサンディエゴの「ソーク・インスティチュート」では、施設の中心にあるコートヤードにどんな植栽をすべきか、建築家でありランドスケープデザイナーでもあった知人のルイス・バラガンにカーンがアドバイスを求めたところ、バラガンは「ここには植えるな。それがベスト」と伝えたそうです。かっこいいですよね。
松葉:ここ10年位の建築界ではやっている一つのスタイルとして、真っ白で繊細な内部空間に植物をたくさん配置するというものがありますよね。確かに魅力的に見えたりもするのですが、自分的には何かしっくりきていませんでした。その話を飲んでいる時に三島さんにしたところ、「あれは植物がかわいそう!!」と断言されていました。そして、その瞬間にしっくりこない理由がそういうことだったのかと気づきました。僕は表現のために緑を置くことには抵抗がありますし、もし置くのであればきちんとした環境を整えてあげる必要があると思います。
三島:建築は合理性の中で成り立っていますが、緑ってあまり合理的でなくてもデザインとして許されてしまうところが今の社会にはあると思います。壁面緑化にしても、果たしてデザインとして合理的かといえば決してそうではないものが少なくないし、本質的にはウォールペインティングとあまり変わらないように見えます。建築の表面温度を下げることを目的にしているとしても、建築の設備デザインで、緑を使わない、もっと合理的な方法があるように思います。
松葉:壁面緑化は直接的に電気使わないですが、たしかにその設置や維持管理にかかるコストまで考えるとどうなのかなと思います。
三島:今の時代は緑化が目的化しているところが少なからずあるし、都市緑化という言葉が生まれて以来、売り手の論理で緑化の必要性と正当性が語られているように思います。結果として、街は緑になっていくけど、それによって生活や文化の質が比例して豊かになっているかというと、決してそうではない気がしています。ただ、これからは必然的に都市が縮小する時代なので、開発の代償としての緑を都市の中にねじ込んでいくような「都市緑化」という言葉は死語になり、インフラとしての大規模な緑が戦略的にプランニングされていくことで、これからの都市には「都市と自然という対立の図式」そのものがなくなっていくのだと思います。
松葉:これまでは何十年も都市というか人が生活する場所が拡大していく時代でした。それが縮小していくのだから高密度に緑化していくよりも周辺環境を充実させて補ってしまった方が良いという話になっていくのかもしれないですね。今のままだと建物単体とかその地域で見たら緑を意識できるかもしれない。でももっと引いた目で見たらあまり合理性はないですね。
ランドスケープ的なまちづくりのやり方とは?
三島:先ほどお話した緑化に関しては、高度経済成長期のころは緑の量が重視され、最近では緑の質を求める議論がされてきましたが、個人的にはこれからは必ずしも緑化という行為ではなく、緑に関する人々のリテラシーや、緑を媒体としたコミュニケーション、さらにはまちづくり・文化づくりへの展開、つまり緑・植物を通じて「人や文化をつくること」が重要だと考えています。
そのトライアルとして、東京の谷中、根津、千駄木エリアを主なフィールドとして友人たちと少しずつ展開しているのが「TOKYO STREET GARDEN」(以下、TSG)という活動です。この活動は、東京の下町などの路地に見られる自然発生的・土着的な園芸文化が絶妙にカッコイイ!とか、日本の普通のおばあちゃんおじいちゃんって、なんであんなに植物や園芸のこと詳しいんだ!とか、質の高い民芸のような日本の園芸文化に素直に感動した気持ちを沢山の人に伝えたい気持ちが原点になっています。
先日、3月下旬に谷中にある世界最小の文化施設であるHAGISOで、「谷中路地園芸標本」というTSGの初めての展示会をやらせてもらいました。展示したのは、谷中の路地を歩き回って見つけた、「谷中らしい」植物たちです。といっても植物の写真ではなく、本物の植物を持ち主の方々からお借りして展示しました。植物は決して高価なものではなく、特別な手入れがされているわけでもない、安くて手間がかからないものばかりで、持ち主の皆さんも、「こんなものを展示するの?」と心配してくれました(笑)。そんな心配をよそに、展示会に来てくれた人たちは、これらの植物たちがとても素敵だと言ってくれました。
おそらくこの「素敵さ」は、植物だけでなく、これらの植物を通じて見えてくる人の生活や地域の文化への親しみに由来しているのだと感じました。つまり、園芸植物を通じて私たちが見ているのは、「植物」ではなくて「人」であり、これこそが園芸文化なのだと思いました。幸田文さんの著作で「木」というエッセイ集の中に、父である幸田露伴との思い出として、子供時代に木々を美しいと思う気持ちを育ててあげることは、その子にとって一生の宝物になると書いてあるエッセイがあるのですが、日本にはその宝物をあげられるだけの成熟した園芸文化があるのだと思います。また、世界中で悲惨なことばかりが起きている今の時代に対して、日常の幸せというか、日本の園芸文化が伝えうる意味もあるような気もしています。これからもこの活動を通じて、東京特有の園芸文化を通じたまちづくりについて考えていくと同時に、この貴重な生活文化の大切さを世界に発信できたらと思っています。
地方創生ブーム終焉のその先へ
松葉:それ以外に最近取り組んでいるまちづくりのプロジェクトがあったら教えていただけませんか?
三島:金沢市にある袋板屋町という人口123人の小さな町で、2014年の秋からまちづくりのお手伝いをしています。袋板屋町は華やかな金沢中心部と、奥ゆかしい湯涌温泉のちょうど間にある地域で、金沢の中心市街地から車で10分ちょっとの距離にある、旧里地里山型の、いわゆる郊外にある小さなコミュニティです。まちづくりとしてはスタートアップ期で、これまで大学の実習を1回、公募参加型の学生ワークショップを3回行ってきました。一見、何の問題もない地域に見えますが、少子高齢化と耕作放棄地の増加が顕著になってきていて、地域コミュニティや文化を次の世代にどのようにつないでいくかが課題になっています。
まちづくりのスタートアップでは、問題の設定と地域資源の発掘が重要だと思いますが、ここでは次世代の学生の視点から地域を見つめなおすことをまず行っています。この地域の資源は何か探してもらうだけでなく、将来この地域に住むならばどんな地域になっていてほしいかを考え、また、それを実現するプロセスを考えてもらいながら、住民とのディスカッションを繰り返しています。
松葉:今様々な問題が顕在化し早急な解決が求められているのはやはり地方だと思います。産業を確立、再生して職を作り食べていけるようにしなければいけない。けど、ある意味では街中よりも地方の方が面白いかもしれない。ただ気をつけなくてはいけないのが、昨今の「地方創生」ブームが終わった後を見据えてきちんとした問題提起や課題解決に必要な仕組みづくりをしておかないといけないのですよね。
三島:袋板屋町のような、いま一見平和に見える地域の課題や重要性は、俯瞰的な視点で少し先の未来を見据えたときに初めて見えてきます。つまり、袋板屋町のような都市と中山間地の間の地域にある自治会レベルの小さなコミュニティが日本には無数にあり、また、高齢者の多い人口構成と世代交代のタイミングを考えると、これらの地域での生活環境や土地利用はこの10~20年で大きく変わるはずで、あるタイミングで一気に沢山の問題が出てくるはずです。その時になって初めてどうするか地元だけで考えようというのは難しいですし、少し先の未来に起きうる問題について行政は積極的に世話を焼いてはくれません。したがって袋板屋町では、短期的に変化を起こすための起爆剤的なまちづくりだけでなく、近い将来訪れる大きな変化のタイミングに向けた周到で包括的なまちづくりのあり方について、地域の人たちと一緒に考えていきたいと思っています。
現在は、耕作放棄地の暫定的な利活用、山や山道の活用、地域の拠点づくり、小学生を対象としたまちづくりの担い手の育成など、複数のプロジェクトを同時進行的に少しずつ進めながら、それらの要素を関連づけた新しい袋板屋町での暮らし方という提案に結びつけていきたいと考えています。こうした包括的かつ長期的な視点をベースにしているのは、ランドスケープ分野の視点で取り組んでいるからかもしれません。
何気ない街を若者が暮らしたいと思う街にすることは、簡単なことではありませんが、何気ない街だからこそ、その見方やまちのつくり方に自由度があるとも感じています。この意味で学生と一緒に取り組むのはとても重要ですし、彼らにとっても自分たちでまちづくりを大学の演習のように考えるだけでなく、実際つくれるという感覚を得てもらうのは大切なことだと思っています。
松葉:三島さんのお話を伺っていると、最近都心部か地方といった二項対立的な話ですっかり影を潜めてしまっている「郊外」についても同じ事が言えるのかなと思いました。国の地方創生の施策によって今地方に注目が集まっていますが、実は影を潜めている「郊外」の方が人口も圧倒的に多いのです。その「郊外」は基本的に都心部にぶら下がっているようなところもあり、今現在で危機的状況に直面しているということは無いでしょうが、早い段階で検証が必要だと思っています。規模が大きい分、沈んだ時の影響は大きいですし。
三島さんや僕の出身地でもある八王子市も、じわりじわりと危機が近づいてきているように感じます。ただ、皆危機感を持っていませんし、その事について広い視野で言及する人はあまりいません。ですが、今後は問題が徐々に顕在化してくるとのだと思います。
三島:松葉さんがおっしゃる通り、郊外という大きなフィールドは僕たちの世代にとって、すぐ次の地方というような、とても重要な仕事の対象であると思います。郊外は曖昧で茫漠で均質的なイメージが強い分、地域の本質や資源をきちんと抑える方法が重要だと思いますが、その意味で、郊外各地の本質を見るレンズとしてのランドスケープ分野を、これからは専門的な分野としてだけではなく、実効性のあるデザインアプローチとして広く他分野に共有してもらうことが重要だと思っています。
植物、土、水、地形などを通じて見えてくる場所の特質の読み取り方についてなど、ランドスケープ分野がもつエッセンスの面白さや有用性を、プロジェクトや教育の仕事を通じて、社会というコップの中に溶かしていくような仕事をこれからもしていきたいです。
協力:藤沼拓巳
株式会社 TYRANT 代表取締役 / 一級建築士 ( 登録番号 第 327569 号 ) 1979年東京都生まれ。東京藝術大学大学院修了後、事務所勤務を経ることなく独立。人生で初めて設計した建物が公共の文化施設(旧廣盛酒造再生計画/群馬県中之条町)という異例な経歴を持つ。また、同プロジェクトで芦原義信賞優秀賞やJCD DESIGN AWARD新人賞などを受賞。