日常の延長に芸術がある。国際交流と美大留学を通してみるオーストリアの魅力!

ウィーンと聞くと、格式が高く少し近寄りがたいイメージがありませんか?もちろん音楽の歴史が溢れる気品のある都市ですが、音楽だけではないんです。画家のクリムトやエゴン・シーレ、フンデルトヴァッサーのゆかりの地で、美術館や博物館も数多く、素朴な蚤の市や、美術関係者の集うカフェなど、美大生必見の場所がたくさん。美大の国際交流の行事で訪れたウィーン応用芸術大学のことと、留学されていた丸山素直さんに伺ったウィーンの美大と街の魅力を紹介します。

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白い壁の明るいアトリエに子供や犬も!想像以上にアットホームだったウィーンの美大。


  • 木製エレベーターのボタン / Photo by Yuri Gomi

ウィーンの地下鉄のミッテ駅から歩いて、石造りの建物の木の扉を開け、1907年から稼働しているという木製のエレベーターでゆっくりと昇ると、そこにウィーン応用美術大学(Universität für angewandte Kunst Wien) の版画科のアトリエがあります。

素朴な外観とは対照的に、白壁で窓が大きな明るい空間が広がっていました。長年使われている版画の機材が鎮座し、製作中の作品が所々に無造作に置かれ、インクとコーヒーの香りが漂っています。そこに年齢さまざまな美大生と、彼らの犬、小さな子供までも、居心地良さそうにくつろいでいました。


  • 大きなテーブルで歓迎の朝食会を開催してくれました。

2009年の秋、東京藝術大学の版画研究室と視覚伝達研究室の有志で、合同展覧会のためにウィーンを訪れる機会を頂きました。落ち葉が散る肌寒いウィーンで、現地の美大生との国際交流が始まりました。

ポートフォリオを持ち寄った自己紹介から始まり、約1週間後に開催するグループ展に向けて話し合いが進みました。ウィーンの授業はドイツ語で行われていますが、学生は英語で丁寧にコミュニケーションをとってくれました。留学生が多く、ドイツやフランス、ポルトガルをはじめ、東欧のハンガリーやチェコ、ポーランドなどから学生が集まっていました。普段は冗談を言い合っていても、展示のための話し合いになると真剣な表情になり、白熱した討論もなることもありました。


  • 歴史を感じるアトリエの機材。Photo by Yuri Gomi


敷居が高いと思っていたウィーン、しかしオペラ座の立ち見は3ユーロから。
芸術は親しみやすい身近な存在。


ウィーンのアパートに短期ながら暮らして、美大生に教えてもらったスーパーや市場、画材店に出掛け、素朴な暮らしを垣間見ることができました。 街の随所で活用されている歴史的建造物の荘厳さに息を呑み、古き良きヨーロッパの街並みに感嘆。しかしその風景に自然と溶け込む住人の暮らしは華美というよりも、落ち着いて静かな雰囲気でした。そして高価だと思っていたオペラ座のオペラ鑑賞は、なんと立ち見席なら(2016年現在でも)3ユーロから。美術館や博物館、演奏会の数も非常に多く、芸術が特別なものではなくて、日常の延長にある親しみやすい存在として感じられました。


  • 市場(マルクト)には、古い食器、古本など、タイムスリップしたかのようにレトロなものが並んでいます。


  • にこやかな店主とカタコトながら会話を楽しみ、値引きしてもらえることも。 Photo by Yuri Gomi


ウィーンの美大生から聞いて驚いた、浮世絵や和紙、墨などへの好奇心。


  • 大学から展覧会の会場へ向かう路地/Photo by Yuri Gomi

現地の美大生と、美術館で歴史的な油絵を見ていた時に印象深い出来事がありました。
「こういう絵、ギトギトしてて私あんまり好きじゃないんだよね。日本の古い絵や版画は、本当にクール、北斎とか大好き」
と言われたことです。

それまで、 西洋の石膏像をデッサンして基礎を学び、高校の授業でも岩絵の具ではなく油絵の具を使うため、無意識にも芸術は西洋に学ぶものという先入観がありました。しかし初めて出会った西洋の美大生たちは、作品の素材に和紙を活用し、日本の専門店の名前を知っている人もいました。浮世絵や和紙、墨などへの興味や憧れを聞いたことは衝撃的な出来事でした。


事前準備が実を結び、2カ国の美大による国際交流展は大盛況。


もともと準備していた作品をギャラリーに搬入し、 夜遅くまで会場準備をし 、無事に展覧会のオープニングを迎えました。芸大の版画研究室とデザイン科で協力して制作した配布用のギフト作品も、無料でいいのかとゲストが戸惑う声もあったほど、多くの方に喜んでいただきました。

空港にお迎えに来てくれた時から笑いの絶えなかったウィーンの美大生たちと、アトリエや街で、時にコーヒーを飲みながら話し、協力して展覧会を迎えた1週間。たとえ語彙が少なくて思ったことを全て伝えられなくても、海の向こうで同世代の仲間が努力していることを知ったことは、おそらく参加したそれぞれにとって、制作へのエネルギーとなりました。


  • 額装などの展示準備は現地で。

  • ギャラリーへの搬入作業。

  • 開催前夜(左)、オープニングレセプション(右下)。

  • 4点の写真/Photo by Sunao Maruyama             



ウィーン応用芸術大学へ留学後、美術と音楽の双方で活躍されている丸山素直さんに美大事情を聞きました。

前述の2009年の国際交流行事に参加し、その後ウィーン応用美術大学に交換留学をした丸山素直さん。現在、東京藝術大学のデザイン科で非常勤講師として勤めながら、イラストやデザインを制作する一方でシンセサイザーバンド「CRYSTAL」のメンバーとしてパリのレーベルからデビューし、国内外で演奏活動もされています。気になるウィーン留学と暮らしについてお話を伺いました。

丸山素直さんウェブサイト http://sunao-maruyama.com
CRYSTAL http://www.crystal-station.com


どうしても!ウィーンに留学したいと思ったきっかけと、実現までの経緯


  • 建物の中が大好きで何度も通った、ウィーン美術史美術館/Photo by Sunao Maruyama

ウィーン留学の経緯を辿ると、丸山さんの幼少時代にさかのぼります。ご両親はクラシックの音楽家で、若い頃に5年間ウィーンで暮らしていました。その影響で、幼い時からウィーンの良さを聞いて育ち、家ではクラシック音楽がかかる毎日。それでもデザイン科への進学を決めた丸山さんがウィーンへ導かれたきっかけは、大学2年のときにお母様とウィーンへ二人旅をしたときのこと。初めて見る美しい街並に、ただただ感動し、毎日のようにオペラ座やコンサートホール、美術館や博物館にも通われたそうです。

そんな中で、オーストリア応用美術博物館に展示されていた「ウィーン工房/Wiener Werkstätte 」の作品群の可愛らしさと美しさにはとても惹き付けられ、何度も時間をかけて展示を見ることになります。

ウィーン工房は、「生活自体が総合芸術」と説くヨーゼフ・ホフマンを中心とし、アーツ・アンド・クラフツ運動をモデルとしながら活動をしていました。日本の美的感覚をお手本にしていたとも言われます。その存在をよく知ると、今でも街中で売られている可愛らしいチョコレートのパッケージや素敵な椅子、テキスタイルなどは、昔のウィーン工房の作品が使われていることに気づきました。


  • ウィーン工房のデザインを受け継ぐテキスタイルの店「Backhausen」の地下の展示室

  • 展示室の作品

  • 現在でも、有名なチョコレート屋さんでパッケージに活用されていました。/4点の写真 Photo by Sunao Maruyama

  • /4点の写真 Photo by Sunao Maruyama

ウィーン工房に関わった多くの偉人が、ウィーン応用美術大学を卒業していると知ったのち、偶然にも藝大の校内でウィーン応用美術大学が提携校になる予定だという情報を見かけます。その後、応用美術大学のグラフィック科(版画)の先生と学生が来校したタイミングで、留学を考えている意思を伝えた丸山さん。そこからトントンと話が進み、翌年には前述の国際交流でウィーンを訪れ、葉巻の似合う背が高くてお洒落な先生から交換留学の内諾書にサインを頂き、ついに留学が決まりました。


  • 街にも歴史的な装飾があふれています。こちらはウィーン最大の市場に面した通りで目立っている、オットー・ワーグナーの建築「マジョリカハウス」/Photo by Sunao Maruyama

のびのびとした環境で自由に制作することができた、ウィーン留学生活

留学生活が始まってから丸山さんは、とても自由に制作することができたそうです。暖かくて明るい部屋の中で必ず一杯の珈琲から始まり、情熱を持った学生が集まり、のびのびと制作できる素敵な空間だったとのこと。

大学で丸山さんはシルクスクリーンで作品を制作していましたが、他の学生はリトグラフや木版画や銅板画など、各々がやりたい手法を選んでアトリエで制作をしていました。それぞれの手法を教えてくれる先生がアトリエにいて、シルクスクリーンを教えてくれる2人の先生はとても優しく丁寧で、いつも1対1で刷り方を教えてくれました。

決まった課題は無く、毎週水曜日が講評の日。その日にプレゼンをしたい学生が自由にプレゼンをし、グラフィックの先生達が講評をしていました。学生達はプレゼンにとても時間をかけ、1つの作品への思いを力説していた印象だったそうです。丸山さんが留学の締めくくりに行なったプレゼンは、つたないドイツ語で幼稚園児のようなプレゼンだったと本人は謙遜されていますが、暖かく講評をしてくれた記憶があるとのこと。


  • 講評中(2010)/Photo by Sunao Maruyama


  • 普段のアトリエの風景/Photo by Sunao Maruyama


  • アトリエの壁

  • 同じ大学の他校舎のエントランス

  • 版画の設備が充実していた地下室    

  • サプライズの微笑ましいケーキ/4枚の写真 Photo by Sunao Maruyama

いよいよ日本に帰る時には、ピクニックの時に誕生日をお祝いしてもらったそうです。今でもFacebook等でやり取りをしている大切な仲間である、ハンガリー人やチェコ人の友達や彼女の姪っ子が、その辺りに咲いている花を沢山摘んで花束にしてくれたのが微笑ましい思い出です。


丸山さんが、ウィーンで暮らして衝撃的だったこと:すっきりした広告


ウィーンの駅構内やホーム、車内には、消費を促す為の人目を引く派手なポスターや中吊りがほとんどないそうです。目にする多くは、博物館や美術館の企画展の案内、オペラや演劇の演目、コンサート情報、映画の上映案内等の文化芸術の情報ばかり。もちろんクラシック音楽ばかりではなく、若者が集まるクラブの広告なども時々あります。幼い頃から東京に溢れる広告を当たり前に見てきた丸山さんにとって、この情報量の少ないすっきりとした景観は、一つの静かな衝撃でした。本当に良質で価値あるものの情報が溢れる街は、それだけで美しく、人々を幸せにしていることを実感しました。丸山さんが改めて、人々を幸せにするデザインとは何だろう?と考えるきっかけになったのは、ウィーンの当たり前な日々の景観だったかもしれません。


  • すっきりとした駅のホーム

  • 駅構内/Photo by Sunao Maruyama


丸山さんが、ウィーンで印象的だったこと:3.11以降のアートの活用


留学中に東日本大震災が発生。ウィーンでは、その日からずっと日本のニュースを流し、そして毎日のようにお祈りを捧げましょう、と教会で神父さんがお話をしていたそうです。数日後にはまだまだ若い学生達が人々の行き交う街の真ん中で日本の為に募金活動を始めました。新聞の紙面は、何週間も日本がトップニュースで、街を歩いていると大抵何人もの方が心配をして丸山さんに声をかけてくれました。震災のあった数日後には原発の事故をとりあげ、放射能がどのように風に乗って流れるかという地図まで掲載され、日本とヨーロッパの報道や政治の違いを大きく感じたそうです。

そして数週間後には、「ARTISTS HELP VICTIMS IN JAPAN」という展示が企画されました。ウィーン応用美術大学の学生の作品を中心に展示をして、購入された作品の売上金を全て日本の赤十字に寄付するというもので、丸山さんもウィーンで制作したシルクスクリーンを展示しました。
短期間で企画されたものでしたが、企業が協賛に入り、多くの有志の学生が参加し、そして沢山の人が作品を購入してくれました。


  • 3点の展覧会の写真 Photo by Sunao Maruyama


丸山さんがウィーンで気に入っていたシステム:道にある大きなリサイクル箱


  • Photo by Sunao Maruyama

日本への帰国前、使っていた布団カバーや毛布など、捨てるのはもったいないけど、持って帰れない......というものを入れたこの大きな箱。

これはゴミ箱ではなく、この箱に衣類を入れると、地球上の貧しい方達に届けてくれるシステムになっています。気づくと街のあちらこちらで目につき、自然とこういったものが存在している街は素敵だなと、印象に残ったそうです。

伺ったお話から、日常の延長に芸術があるウィーンの魅力が伝わってきました。美術も音楽も街中に溢れているウィーンを親しんできた気持ちが、現在の丸山さんの表現活動の原動力になっているのかもしれません。本記事を通して、オーストリアへの美術留学を身近に感じていただけたら幸いです。

今回は書ききれませんでしたが、ウィーンには、美術館やギャラリーの集まるミュージアムクオーター、フンデルトヴァッサーの家、オペラ座など、丸山さんのおすすめしたい美大生必見の名所がたくさんあるそうですので、次回の記事でご紹介します。

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OTONA WRITER

五味 由梨 / YURI GOMI

デザインとアートディレクションを東京藝大で、写真をイギリスの大学院で学んだのち、東京のデザイン事務所でグラフィックデザイナーとして勤務。その後、フリーランスでデザインと写真の仕事をしています。主な作品に、杉並区の公式キャラクター「なみすけ」など。 制作のバックグランドになった旅のことや、様々な国で見たものを、美大出身の視点で発信しています。