『PARTNER』が美大生のフリーマガジンとしてスタートした1年目、手探りで誌面をつくっていた学生編集部に、ひときわ目を引くデザインをしていた学生がいた。
2007年当時、多摩美術大学グラフィックデザイン学科1年生、松永美春。
とても強い存在感を残して、たった2冊だけ関わって、彼女は編集部からいなくなった。それから時を経てここ数年、さまざまな広告賞の受賞者として彼女の名前を見るようになった。電通のアートディレクターとして、同時に、松永美春として。10年ちかく経って会う松永美春は、ますますその芯を強くもち、だけど慎重な言葉選びで、編集部を去ってからの9年間をどう過ごしたのか語ってくれた。
美大卒業生の進路としては「花形」とも言える電通アートディレクター。しかし、彼女はそこで与えられる仕事に満足しない。もっともっと、もっともっと、いいものをつくろうと強い力で前に進んでいく、そんな彼女の生き方を、ぜひ刺激にしたい。
松永美春
1989年横浜生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。
2011年電通入社。アートディレクター。ONE SHOW,東京ADC賞 プレノミネート,ONE SHOW winner presentation in NY 2015,Music Hack Day Tokyo 2015 最優秀賞,ヤングカンヌ2016デザイン部門日本選考ゴールド、Advertising Age young cover competition finalist in 2015,読売広告賞,朝日広告賞,交通広告グランプリほか多数。JAGDA会員 TDC会員。
考えることで忙しい、広告業界でアートディレクターという「王道」。
もうちょっと楽できると思ったんだけどな。
— 本当に久しぶりだね。はみちゃん、気づけば美大生にとって「王道」の仕事に就いたね。
はみ:「王道」だよね(笑) でもね、やってみたのと聞いていたのと全然違うんだよ、めっちゃハードで。もうちょっと楽できると思ったんだけどなぁ。
— 忙しいんだね(笑) 抱えている案件の数が多いからなの?
はみ:数というよりは、ちゃんとやらないといいものができなくて、ひとつひとつ、すごい手がかかるの。なかなかゴールまで「最短距離」で到達できなくて。
—デザインをつくるにあたって、アートディレクターだけではなくて、他にデザイナーや映像クリエイターがいるわけじゃない? 彼らが手を動かす作業を担うとすると、何がアートディレクターを忙しくしているんだろう?
はみ:アートディレクターは、「なぜ必要なのか」「世の中に出たときにどうやって伝えると人にわかりやすく伝えられるか」といった、本質的なことを考えなきゃいけないからかな。人間って考えるという能力は備わっているのに、実は考えることが苦手なんだよね。考えようとすると逃げちゃうというのかな。それを我慢して、「どうやったら伝わるか」を考える。これが大変で…。それをおろそかにすると最終的に全部ダメになっちゃう。
— ただ時間があればいいというものでもないんだろうしね。
はみ:そうだね。それが締め切りの5秒前に出てきたアイデアだろうが、1日前だろうが、アイデア自体がよければそれでいい。仕事って、すべてが恵まれているってことがなくて、大体なにかに制限がある。たとえば予算がないとか時間がないとか。私たちの仕事自体「クライアントの課題をどうするか」を考えるわけだけど、それらを制限の中で考え抜かないといけないんだよね。電通に入ってから広告賞やヤングカンヌの存在を知って、時間もあったのでそれしかやっていないといっても過言でないくらいたくさん出していたね。あれらのコンペも「次の世代にアイデアや正しい概念を伝えていくため」だったり「ちゃんと考え続ける世代を残すため」にあるらしくって。それって仕事で必要な制限のなかでよく考えていいものを作り出す訓練だなと思う。だから私はコンペがすごい好きで、去年も全部ヤングカンヌに出したんだよね。
>> 広告コンペについて気になる方には、別記事もぜひ!(6月17日公開予定)
「いいものをつくり出す『訓練』。ヤングカンヌ日本代表に学んだ広告賞の醍醐味」
現役でのタマグラ入学、浪人生に敵わない画力。
「課題は全部全力でやる」と決めて走りきった4年間。
— 美大で勉強したこと、訓練したことは今に繋がっているものなのかな。
はみ:なにかに興味をもつ入り口として大学はとてもいいと思う。基礎的な勉強ができたのもよかったかな、デッサンしかり、基本的な色の話とか。でも一方で美大って社会と離れている場所だから、知らなさすぎるところがあるよね。自分もそうだった。学んだことを仕事にすることが目標なら、特殊な美大という環境に長いこといるよりは、社会に出た方がいいとは思う。そういう意味では学生時代に参加したフリーマガジン『PARTNER』の編集部とかよかったよね。横のつながりという意味でいろんな人と知り合えるし、誰かと共同作業する疑似体験もあって。
— PARTNERに関わろうと思ったのはどういうきっかけだったの?
はみ:友達に誘われたっていうのもあるんだけど。でも、憧れている人に会えるかもしれないし、共同作業もあって社会に繋がるようなことができてすごくいいなと思ったんだよね。あとは「世に出る」のがいいなって。その当時はまだウェブサイトとかも学生が気軽に作れるわけではなかったからね。
— PARTNERのアートディレクターをしていたのは1年生から2年生にかけてだったじゃない? そのあと美大ではどういう時間を過ごしていたの?
はみ:課題をやってたね。出された課題は全部締め切りをやぶらず期限通りに出して、それは訓練のためによかったと思う。浪人生って余裕があるからさぼりがちになるじゃない。私は現役生だったからそんなに絵も上手くないし、せっかく高い授業料払って美大にいかせてもらっているから、せめて課題は全部ちゃんとやろうかなと思って、結構真面目に取り組んだ。
— 広告業界に就職しようと思ったのはいつどんなきっかけがあったの?
はみ:遡ると高校2年生、17歳。美大に行こうと思ったときだね。その頃グラフィックデザイン学科というのがあるというのを知って、雑誌『Pen』の特集で佐藤可士和さんのことを知って影響を受けたの。『Pen』を横に置いてデッサンをしていた覚えがある。その頃、広告業界に進みたいとなんとなく決めていたかな。
美術予備校の1日体験で出会った世界はショッキングだった。
でも振り返ると、美大に行くというチョイスをした17歳の自分「偉い!」
— 高校2年生で『Pen』の佐藤可士和特集を読んでいるなんて早熟だね。
はみ:そうかな(笑) 進路相談で漠然と芸術とかいいなーとおもって。ある日家に「美術予備校1日体験」のハガキが来ていて早速行ってみたら、同い年ぐらいの子たちが一心不乱にデッサンをしていて、それを見てびっくり。当時の私には相当ショッキングな世界だった。みんなめちゃくちゃデッサンがうまくて、「こんな世界があったんだ」とすこし嫉妬に近い感覚、羨ましく思って。それがきっかけで予備校に行くことを決意したんだよね。今振り返ってみると、美術予備校のときの経験ってすごいよかったと思う。17歳くらいのときに自分のつくったものが順位をつけられるというのはシビアな体験だよね。普通は表立って良い悪いをはっきり評価されることってなかなかないから。一目見て上手いか下手かわかるというのも残酷だよね、もう描いちゃってるから誤魔化せないし。
— 絵はうまい方ではない、でもタマグラにいると絵がうまいかどうかで測られちゃう。そんな環境で当時のはみちゃんは、何を頑張ろうと思っていたんだろう。
はみ:カリキュラムに沿っていろいろな課題が出されるじゃない。はじめは課題の意図がよくわからなかったんだけど、それぞれの課題にはちゃんと理由があるんじゃないかと思って、それを理解できるようになるために、全部ちゃんとやろうって思ったんだよね。それぞれの課題の参考作品を見て研究して、「これよりいいものつくるにはどうしたらいいかな」って考える。
— ストイック…! 勝てなかったコンペの結果を分析して再びコンペに挑む今のはみちゃんとそっくりだね。
はみ:そうだね(笑) 課題だけじゃなくて、ポートフォリオを見にひとりで就職課にも行ってたよ。広告業界とかゲーム業界のポートフォリオ見たりして、広告業界おもしろいなってその時に思った。
— 就職課には就職活動が目的で行ってたの?それとも単純にポートフォリオが見たくて?
はみ:やっぱり気になるよね、「卒業して私どうするんだろう」って。美大とか来ちゃったけど働けるのかな、とかって結構心配だった。でも今思うと、普通の大学に行かなくてよかったと思う。美大に行くというチョイスをした17歳の自分に「偉い!」って言ってやりたい。
— どういうところが美大選択「いいチョイス」だった?
はみ:仲間がいて「昨日どうだった?」「徹夜したんだけど全然ダメでさ」とかって、ものづくりの話を10代〜20代の子たちで集まってできたこと。「あれがいい」とか「これがいい」とかデザインの話をしたりするのもすごいよかったな。
社会人になって驚いたのは美大生と総合大学生のギャップ。
世の中を知らない「ものづくり5年生」と喋りの上手な「ものづくり1年生」。
— 学生の時につくっていたものと、広告業界でアートディレクターの仕事をしているときとどんな違いがある?
はみ:学生のころとは全然違うね。学生のときはつくって終わりだったけど、今つくっているものは広告だから、人の目にも触れるから表現に制限も出てくるし、最初から最後まで学生の時とは緻密さが違う感じがする。プレゼンも学生の時は甘かったよね。今は「何がおもしろいのか」「なぜそれをやるべきなのか」を、ちゃんと言葉で説明しないといけない。
— 美大でも考えることを教えるし、プレゼンもさせるけど、それでも「ごっこ」的な要素が強い。だとすると、入社したときのギャップってすごかったんじゃない?
はみ:いや、すごいよね。同じ1年目でも、コピーライターで入ってきた人とは大きなギャップがある。美大生からすると4年間ものづくりをしてきて、いわば「ものづくり5年生」なんだけど、彼らはものづくりにおいてはすべてが初めてで初歩的なことにつまずいている。「みんなものをつくることについてこんなに知らないのか!」とびっくりしたよ。一方彼らは、世の中のこともよく知っていて喋りもうまい、論理的な考え方もできる。そんな彼らからしたら、私はきっと宇宙人だったはず(笑)
— 共通言語が最初はないんだよね(笑)
はみ:そうそう、共通言語がないの。うまく伝えられなくて感情的になったりして。でもものをつくるときに感情的になっても仕方ないからね。今までも伝わらなくてもどかしい時もあるけど(笑) 一番美大生が就職して苦労するのはそこかもしれない。私も1年目はうまくいかなくて悔しくて泣きながら帰ったりして、苦戦していたなー。悔しいからちゃんとできるようになりたいし、どうやったら感情的にならずに伝えられるか模索して、必死に彼らの思考回路を学ぼうとした。なんでそう思うかを聞いて、自分なりに消化して、話す言語を真似てみたり。
昨日なかった新しいものを作るための「正しい哲学」を。
広告のプロは、人間のことをよく知っている。
— アートディレクターの「考える仕事」、はみちゃんはまだ最短距離で考えられていないから忙しくなっているというけれど、先輩方はもっと上手にお仕事されているの?
はみ:そうそう。ひとつは多分経験値・失敗した数かな。「こうやるとこうなる」というのが経験上わかっているんだと思う。あと先輩たちは人間についてよく知っている。そういう人たちと仕事をすると、自分は本当にまだまだだなと思う。
— そうなんだね。広告は「人の心を動かす」仕事だなんて言われるから、人間について知ることが大事なのだと思うけれど、じゃぁ人を知るために何ができるんだろう。
はみ:私の場合は本を読むことかも。広告に関係のない本を読む。ここ最近の一番好きだった本は『ソフィーの世界』という哲学書。とても分厚いんだけど、先輩がおもしろいよって貸してくれて。哲学の歴史が全部詰まっている本で、すごくわかりやすく書いているんだよね。たとえば読んでいくと、科学は哲学の派生という話が出てくる。「なぜ私なのか」「なぜこの机は硬いのか」という「なぜ」が科学に派生して、医学に派生して‥‥。そういうことってあまり知らないじゃない? そうやって自分の知らないことを知るのがおもしろくて。人類の歴史を見ていると、今でこそ奴隷制度や女性蔑視とかなくなってきたけれど、それらが昔は普通に行われていたと思うと「頭大丈夫かな」って思うよね(笑) 人間って、自分が正しいと思ったことは正しいと思い続けていて、あるときそれが間違っていたとやっと気づく、そういう生物なんだろうね。現代も原発とかいろいろな問題があって、私たちが生きている間にはどうなるかわからないけれど、今嘘だと思っていることが本当になったり、正しいと思っていることが間違いだと気づいたりするはず。そういうことがおもしろいなと思う。
— うん、おもしろい。
はみ:アートディレクターは「昨日なかった新しいもの」を作ろうとしていて、そのためには正しい哲学をもたなくてはいけない。だから私も、正しい哲学と新しい概念をもったものが作れたらいいなと思っているよ。
広告は好きだけど「日本の広告はダサい」と思う。
「これでいいや」なんてものを世の中に出さず、いいものをつくろう。
— 話をきいていると、はみちゃんは「広告をつくる」というところが興味の中心ではなさそうだね。
はみ:広告は好きだけど、私大学生の頃から生意気に「日本の広告はダサい」と思っているんだよね。だからどうにかしたいと思って、この業界を選んだのもある。海外の広告はかっこいいしおもしろいのに国内の広告はなぜこんなにダサいのか。はじめは、広告をつくる人の怠慢なんじゃないか、伝えることを諦めているんじゃないかと思って。学生の時に、それを実験的にやろうと思ってたくさん広告作品をつくったんだよね。
はみ:でも実際やってみると大違いだよね。広告をつくるのはすごく大変だし、言うのとやるのにはすごい差があって。大変さを理解した上で、自分も良くないものをつくっているんじゃないかと怖くなったりする。
— 5年後にどうなっていたい?
はみ:わからない。とっても偉そうに聞こえるかもしれないけど、まだ「死ぬまで広告やります」って言えない自分もいて。でもものをつくることだけはずっとやっていると思う。この会社は優秀な人や尊敬できる大人がとてもたくさんいるからいろいろ教えてもらえるし、アドバイスももらえる。いいものを作ろうと思っている人たちが集まってきてうごめいているから、そういう意味では環境としてはとてもいいよ。
— 最後に、美大生に伝えたいことがあればお願いします!
はみ:「まぁいいや」と思った瞬間に、自分がつくったものは死んでいく。デザインとかアートとして成立していないものが、それらしい顔つきをして世の中に溢れていく。そういうものをつくり出さないように、美大生には頑張ってほしい。「いい悪い」という基準をしっかり自分の中にもって、「これでいいや」と納得のいかないものを世の中に出さないでほしい。美大生だからこそ、いいものをつくる大変さはわかると思う。だからこそ、いいものにするしかない!今はソフトウェアも使いやすくなってもうなんでもつくれるけど、それは何もできないのと一緒だよね。いいものをつくってほしい、私から言えることはそれだけです。
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今回インタビューには書き加えなかったけれど、ストイックな彼女が目論んでいるのは、言語を超えた世界に共感を呼ぶものづくり「ワールド・キャンペーン」だと語ってくれた。彼女が「いいもの」にこだわり続ける理由は、「いいもの」を生み出すアートディレクターでありたいという自己実現よりももっと先にある。ダサいもので溢れてしまっている世の中が、もっと「いいもの」で溢れたらいいのに、そんな気持ちからじゃないかと思う。
美大生へのメッセージにあった、「いいもの以外は世の中に出さないでほしい」「いいものをつくってほしい」というメッセージは、そんな彼女の大きくてストレートな想いが詰まったメッセージ。
彼女は今日も、コンペや広告賞にチャレンジし、尊敬する先輩に頼み込んで仕事を通じて学びとって、自らの「いい悪い」の基準を研ぎ澄ませ、「いいもの」がつくれる力を磨いている。
彼女の「ワールド・キャンペーン」を目にできる日もそう遠くなさそうだ。
はみちゃん、世界に羽ばたく日を楽しみにしているね!
編集者/メディエイター。美大での4年間は「アートと世の中を繋ぐ人になる」ことを目標に、フリーペーパーPARTNERを編集してみたり、展覧会THE SIXの運営をしてみたり、就活アート展『美ナビ展』の企画書をつくったりしてすごしました。現在チリ・サンチャゴ在住。ウェブメディアPARTNERの編集、記事執筆など。