アメリカではいまだに現代アートの王様、アンディ・ウォーホール
私はアメリカの芸術系大学院で勉強をしているのですが、あるとき、
「アートのコピーは果たしてアートなのか?」
というディスカッションテーマが与えられ、私は進行役をつとめることになりました。
私の大学院の映像学科は1年生、2年生合わせて6人で、
国籍もアメリカ、イラン、中国、フランス、と多様です。
国が違うと芸術に対する考え方も違っていて、
だからみんなの意見を聞くことができるディスカッションは私のお気に入りの時間です。
「コピーでアート」というフレーズで、私がすぐ思いついたのはアンディ・ウォーホールでした。
ウォーホールは、毛沢東やマリリン・モンローの同じ写真を何枚もシルクスクリーンでプリントした作品や、キャンベルのスープ缶を何枚もプリントした作品で知られています。
さっそく私は、彼のキャンベル缶の作品を印刷して授業へ持っていき、「私は彼がコピーしたデザインアートを、さらにコピーしました」と説明し、ディスカッションをスタートさせました。
みんな、「ナイス!」「彼のアートにかなうものはいない」などのリアクション。国籍を超えたアンディ・ウォーホールへの根強い人気とリスペクトが見受けられました。
そこで、今日のアメリカでも人気が高いアンディ・ウォーホール、そんな彼の美術館がアメリカはペンシルバニアにあると知り、休みを利用して行ってみました。
全てがアンディ・ウォーホール!全米最大の個人美術館
アメリカではめずらしく、美術館内撮影が禁止だったので外観の写真だけです。
外から見えるグッズ売り場も、ウォーホールデザインのものがぎっしりです……
入るのが楽しみになる外装ですね。
ピッツバーグは昔、鉄鋼産業で栄えた小さな町です。
その小さな町で生まれたウォーホールは、
その町にあるカーネギー工科大学に進み、デザインを勉強するのです。
ピッツバーグはウォーホール最大のゆかりの地なので、
それゆえ全米最大の規模を持つ個人美術館が誕生したわけです。
アンディ・ウォーホール美術館は7つのフロアに分かれていて、
ウォーホールの前期、中期、後期の作品、
映像作品、ゆかりの品々、などとコーナーが分かれています。
ちなみに、彼の一番有名な作品、「キャンベル・スープ缶」のシルクスクリーンのシリーズは
ニューヨーク近代美術館にたくさん収蔵されているので、
アメリカ旅行の際にはぜひどちらものぞいてみてください。
15個のプロジェクターを使い、当時のインスタレーションアートを表現した部屋は、
ひとつひとつの映像になると意味があまり分からなかった自分でも、
ウォーホールの遊び心が理解できた気がしました。
人生って、繰り返し見る度に変化していく映像のようなものだ。そうだろう?
Isn’t life a series of images that change as they repeat themselves?
————by Andy Warhol
というウォーホールの声が聞こえてきそうなほど、
15個のプロジェクターから映し出される映像はシンクロしていて、
ウォーホールそのもののような気がしてきました。
アンディ・ウォーホールの実験映像作品、「スクリーン・テスト」は、
16mmフィルムを使い、ただただ有名人の顔を映した作品です。
その当時の撮影と全く同じセッティングで、
自分だけの「スクリーン・テスト」ができるコーナーがあります。
ぜひ、遊び半分でやってみてください。
私は一人でテストしたので少し恥ずかしかったです。
アンディ・ウォーホールの映像作品の著作権は全てこの美術館が所持しているらしく、
ここでしか見られない作品がたくさんあります。
映像コーナーには3時間いたのですが、全ての映像を見ることはできませんでした……。
「アートのコピーは果たしてアートなのか?」ディスカッションの結果
大学院のクラスの「アートのコピーは果たしてアートなのか?」についてのディスカッションでは、
「アンディ・ウォーホールは何故、コピーをし続けたのか」という議題に発展しました。
なかでも印象的だったのは
フランス人のクラスメイトの「ウォーホールは死を恐れていたのよ」
という言葉。
「ウォーホールは死や失うことを恐れて、あらゆるモノの複製を作り続けていたのかもしれない」
と考えると、
彼のアート作品自体が神秘的に見え始めて、
彼の寂しさとか、感情をくみとれる気がしました。
そこで私たちのクラスでは、
「コピーした人の感情が現れているコピーは間違いなくアートである」
という結論を出しました。
また、ディスカッションの最後には
インターネット上では
無限大にコピーが可能である
について議論し、
「それはアートなのか、否か」熱い討論が繰り返されました。
「名作をインターネットで見るだけでも僕は満足だ」という意見に対して、
「名作は本物を見ないと意味がない」という意見も出て、クラスが真っ二つに割れました。
議論を重ねた結果、私たちのクラスでは
「コピーで満足できる人だったら、その人にとってはそれがアートかもしれない」
という結論に落ち着きました。みなさんはどう思われますか?
実際、ウォーホールは写真のコピーをアート作品として発表しているだけなんですよね。
でも、美術館に行くという行為はやはり、
展示の仕方やその土地の空気の中にある芸術作品を見るために大切だなあと私は思いました。
そこに展示されているのがコピーであったとしても、です。
なぜならこれまで別のアンディーウォーホール展では気づかなかったことに多く気付かされたから。
たとえば、平面作品や既存の映像作品をアジア巡回展示した、東京の森美術館でのアンディ・ウォーホール展のときには気づかなかった、
15個のプロジェクターを使うなど展示方法に表れるウォーホールの遊び心にも気づくことができました。
森美術館では全ての映像がきれいに並べられて展示されており、
ひとつひとつの映像をじっくり見ることができ、
これもまた素敵な展示方法だったな、と思ったのです。
しかし、やはりウォーホールの映像の著作権を持っているウォーホール美術館だからこそ、
ウォーホールの当時の展示方法を真似できたのではないか、と思いますし、
だからこそ、ペンシルバニアまでわざわざ行って良かった、
と感じました。
今回改めて、私はやっぱり美術館へ行って
直接、自分の好きなアートを確かめることが好きだし必要だと感じました。
参照元:
・はてなダイアリー
・リンクUSA
・The Warhol
・アンディ・ウォーホール展:永遠の15分
引用元:
アンディ・ウォーホール名言
マサチューセッツの芸術系大学院で、実験映像を学んでいるニシノユキコと申します。アメリカのアートを体感し、日本ではまだあまり知られていない実験映像を学ぶため、アメリカに渡ってきました。アメリカと日本の芸術への考えの違いなどを書いていければいいな、と考えています。