英語コンプレックスを乗り越えるべくNYへ。パーソンズの留学生活をきいた【SALONAIR#0】

先日8日、海外在住アーティストとの対談番組『SALONAIR in PARTNER』復活後のプレ放送を配信しました。今回のゲストはニューヨークのパーソンズ美術大学(Parsons The New School for Design)でグラフィックデザインを学ぶ松原健人さん。フリーマガジンPARTNERの編集長を経験したこともある彼に、PARTNERのこと、ニューヨークの美大のことなどをざっくばらんに聞きました。Youtubeで見るもよし、気になるところをテキストで読むもよし!

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SALONAIR in PARTNER #0 松原 健人(美大生 / デザイナー)対談アーカイブ

先日8日、海外在住アーティストとの対談番組『SALONAIR in PARTNER』復活後のプレ放送を配信しました。今回のゲストはニューヨーク(以下NY)のパーソンズ美術大学(Parsons The New School for Design、以下パーソンズ)でグラフィックデザインを学ぶ松原健人さん。フリーマガジンPARTNERの編集長を経験したこともある彼に、PARTNERのこと、NYの美大のことなどをざっくばらんに聞きました。



テキストでご覧になりたい方は、以下実録をぜひご覧ください。


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ご無沙汰しております、モデレーターのALIMOです
PARTNERのなかでSALONAIRを新しく復活することになりました


ALIMO (以下A):みなさんご無沙汰しております、モデレーターのALIMOです。SALONAIRファンの方は1年ぶりということになります。僕がエストニアから帰国するということで終了して、今僕は広島にいるんですけれども、(ALIMOさんの背景にある)後ろの地図もエストニア、心はエストニアにあります。
PARTNERという、フリーマガジンやウェブメディアを提供している活動があり、このウェブサイトのなかにSALONAIRを入れていただいて、新しく復活することになりました。僕とウェブサイトの編集長上野さんと往復書簡とかも載っていますので、お時間あったら読んでいただけたらと思います。

それでは早速、ワイルドな方がいらっしゃいますけれども、今回、本格的にスタートする前段階として、今海外にいらっしゃる作家さんでありつつ、元フリーマガジンのPARTNERで編集長を勤めたことのあるという、PARTNERとSALONAIRの両方がわかるスペシャルなゲストをNYに見つけてきました。早速ご紹介したいと思います。松原健人さんです。

松原(以下M):こんにちは!初めまして。

A:バタバタと今日の日がやってきまして、本当にこの話がきてから松原さんの名前があがって、このスピードはありえません(笑)。しかもそのやりとりをしているのが、広島とチリとNY、そして東京。めちゃくちゃでしたね(笑) 今回は、日本で活動されていたPARTNERのことを伺いつつ、後半ではSALONAIRという視点から松原さんの活動をいろいろと聞いていきたいと思います。松原さんは情報によると、、、

M:情報によると(笑)

A:ついさっき、30分前に初めてSkype上でお会いしたんですよね。

M:そうですね。

A:日大なんですよね。

M:日芸のCD学部といって、コミュニケーションデザイ学部という、基本的にグラフィックデザインの学部を出身ですね。出身は東京ですね。

A:東京のどちらですか。

M:世田谷ですね。

A:あぁぁぁ、世田谷。いいっすね。響きがね。

M:いいっすか?(笑) ALIMOさんはどこなんですか?

A:僕は、隣の山口県ですね。日大にいるときからPARTNERという活動に関わっていたんでしたっけ。

M:そうですね。2年生か3年生のときに美大生の飲み会みたいなのがあって、他の美大に通う美大生が集まったときに当時のPARTNERの編集長も来ていて。その後その方から電話がきて「よかったら入ってくれない?」という誘いがあって参加したという感じです。それまではPARTNERのことも知らなかったし、他の美大の人とも関わりはなかったですね。



リンカーンの言葉じゃないですが「美大生のための、美大生による」フリーマガジンPARTNER
ちょっとした哲学や志向するような内容、一方ウェブはタイムリーな話題を提供



A:ということはPARTNERはその前からあったということですね。

M:僕の3〜4代前からあったはずですね。(2007年にスタートしています)

A:なるほど、そうなんですね。PARTNERとはどういうものかを説明してほしいんですが。

M:美大生に向けてつくられたフリーペーパー、年に4回出している季刊誌で、全国の美大やギャラリーに3万部を配布しているという媒体ですね。美大生がつくっていて、関東の美大生と関西・名古屋の美大生を中心に、全ページを作っています。僕の前の代にはフリーペーパーコンテストというのがあって、2年連続で1位をとっているというすごい媒体で、僕の時はビビっちゃって、3年目は怖くて出場しないというチキンっぷりを発揮してそこで止まっちゃったんですけどね(笑)


A:美大生が読むような情報雑誌ということなんですね。

M:ほとんどの記事が美大生向けで、ファイン系・デザイン系に向けた記事を書いていました。

A:これパッと思いついたんですけど、年に4回の情報っていうのは、イメージでは3ヶ月に1冊つくると考えると、PARTNERのマガジンが出た時の情報というのはどれくらい最新の情報なんでしょうね。

M:どうなんでしょうね(笑)。最新の情報を紹介するというよりは、美大生あるあるやデザイナーさんへのインタビューなど、普遍的なものを掲載していました。僕も最近のは見ていないんですけど。

A:(冊子を見せながら)本名の方で大学の教員をやっているのですが、(広島といったらひとつくらいしかないんですが)僕の勤務している大学の芸術学部の分室にもこの冊子があります。僕は初めてモノを見たんですけど、大物のデザイナーの対談している記事があったりしますね。学生さんがインタビュー先も探してくるんですか?

M:そうですね。リンカーンの言葉じゃないですが「美大生のための、美大生による」というかんじで、どのアーティストやデザイナーを訪ねるかも自分たちで考え、質問を考えて、自分たちでデザインする。全部美大生が考えている記事です。質問も美大生のための質問が多くて、美大生が悩んでいることや迷っていることをプロフェッショナルに質問して答えを見つけてもらう感じですね。そういうところが普通の美術系の雑誌とは違っていて、美大生向けの狭めた情報なんですね。

A:「それいけ、美大くん」なんてありますよ。これも昔からあるんですか?

M:ありますね(笑) 創刊号から続いています。

A:「美大くん」って、まんまですね(笑)
 
M:美大あるあるネタが書いてあっておもしろいんですよ。

A:設置場所がめちゃくちゃありますよね。読めないくらいありますね。専門学校も入っているんですね。

M:美大に加えて、専門学校と美術館やギャラリーに置いています。

A:うわ、立美(立川美術学院)もある!そうか美術予備校も。どばた‥‥、

M:そうでした!美大生のほとんどが美術予備校行ってますからね。僕も予備校で見た記憶ありますもん。あぁこういうのあるんだなぁとなんとなく覚えています。

A:僕は立美出身なんですよ。

M:どばたか立美かっていうのがありますよね。

A:派閥がね(笑) PARTNERはフリーマガジンというのがメインなんですか?

M:僕がつくっていたころは、フリーマガジンで手いっぱいでウェブをつくる余力がなかったんですけど、今はPARTNER WEBというのがあって4月にローンチしてやっています。

A:僕、もうちょっとウェブが活動歴があってSALONAIRにお話がきたのかなと思ったら、結構ホヤホヤなんだなぁって(笑)

M:ウェブ自体はあったんですけど、機能してなかったんですよね。 

A:ウェブ独自の活動が始まったという感じなんですね。

M:そうですね、ウェブマガジンとして確立されたんです。こちらでもフリーマガジンの内容が一部見れるようになっています。

A:松原さんも先ほどおっしゃっていましたが、フリーマガジンの方では時事ネタのような旬の情報というよりは、ちょっとした哲学や志向する方なのかなという感じがしますね。一方ウェブの方はタイムリーな話題がありますね。

M:僕自身がまだウェブでは記事を書いていないのですが、美大生であれば誰でも記事を書けるようになっているみたいです。編集部の方じゃなくても意見を発したい人は発信できるメディアになっています。

A:フリーマガジンの方は、タマビ・ムサビ・東北芸校・京都造形芸術‥‥、いろいろおられますけど、ウェブはどうなんですかね。

M:ウェブは誰でも書けるスタイルです。

A:雑誌は?

M:雑誌もやりたいという意思があれば誰でも参加できますけどね。(編集部が組織化されていて)それこそSkypeで週1回会議を全国の美大生でして、「こういう記事がいいんじゃないか」「関西ではこういう記事が書けるよ」という情報交換をしていました。僕自身PARTNERに関わっていたのは5年近く前なので、今は変わっているかもしれませんが。

A:5年という年月で美大はどう変わるんでしょうね。興味がありますね。

M:僕のときは(PARTNERの)ロゴも違いましたね。記事の内容も、変わらないものもあれば変わるものもあるでしょうね。5年ってかなりの年月ですからね。ALIMOさんは5年前何をしていました?

M:エストニアの前は藝大の院にいて、その前なので、宇都宮の美大で助手をしていました。

M:僕も日本にいました。

A:2012年に行かれたんですっけ?

M:そうですね。

A:そちらいつスタートですか?

M:2期あって、9月スタートと2月スタートの2つのセメスターがあって、僕は2月からスタートの組ですね。

A:アメリカってヨーロッパみたいにエラスムスとかっていうシステム、EU圏内の大学なら自由に移動できるのとかってないんですかね。

M:うーん、ないと思いますね。僕は知らないですね。

A:それぞれの大きな都市を移動できるとか。

M:ヨーロッパはそうなんですか!知らなかったです。

A:アメリカは結局アメリカだから、街を移動しても文化としての大きな刺激はないんですかね。

M:そうですね。基本的には同じ作りでしょうね。NYのなかにも5つ美大があって、日本の5美大みたいな感じで、NYにいる美大生はほとんどそこですね。



全部「コンプレックス」「劣等感」から始まっていて、
コンプレックスを乗り越えてから就職したかった



A:日芸からなんでまたPARTNERの活動をやったりして、NYの美大にいくってことになったんですか?

M:話せばちょっと長くなんるんですけど、

A:大丈夫ですよ(笑)、大丈夫じゃないですけど(笑)

M:全部「コンプレックス」「劣等感」から始まっていて、僕日芸というところがコンプレックスがあったんですよね。タマビ・ムサビ・藝大と比べると一歩ランクの下の大学という考え方が僕にあって。しかも日芸には受験をせずに推薦で入ってしまったんですよね。ずっと自分の中にモヤモヤしたものがあって、日芸のなかでデザインをやっているのが嫌になってしまって、それでPARTNERを始めたというのがまず一つにあります。
その次にNYへ来たのは、自分の父親と母親が昔NYに住んでいて、英語がペラペラなんですけど、昔から英語を話されるとついていけなくて(笑)、それにコンプレックスがあって。日本で就職して仕事を得るという流れよりは、そのコンプレックスを乗り越えてからにしたくて。それで今父親と母親がいたNYにいるという感じですね。

A:じゃぁ事前にNYのいいところ悪いところの情報は得ていたんですね。 

M:といっても親がいたのは80年代なんで、すっっっごい悪いとき。めちゃくちゃ危ない時代の話しか聞いていなかったので、行くときは本当に恐怖でしかなかったですよ(笑)。 しかも、子どもの頃に何回かNYに来たことがあって、そのときに何回も怖い目にあっていて、そのトラウマもあったりして、来るときは怖かったですね。でも今は慣れて、全然大丈夫ですね。

A:来てもう3年目ですもんね。

M:そうですね。

A:2012年という年は僕がエストニアに行った時ですもんね。同じときに日本を離れているんですね。あれを経て僕はもう帰ってきているけど、(松原さんは)まだいると思うと長いという感じがしますね。

M:そうですよね。でもこっちではもっと長くいる人も多いので、「3年って短いよね」と言われることも結構ありますね。まだまだ上には上がいますね。

A:だってエストニアにも長老がいるんだもん。もう30年・50年くらいいるっていう(笑)。とんでもない人がね。

M:もう結構慣れて、最初はどこの町に行くにもビビってましたけどね。


NYのパーソンズは2大ファッション大学の一つとして有名な美大。
留学生が多く、またお金持ちも多い。日本人留学生はとりわけ、少ない。


A:僕はアメリカの美大のこと詳しくないんですけど、パーソンズというところはどういう大学なんですか?(先ほど話題に上った)5つの美大のうちの1つなんですよね。

M:どちらかというとデザインよりファッションが有名で、ライバル校FIT(NYの2大ファッション大学)と毎年ファッションバトルがあって盛り上がるんですけど、最近は3年くらい連続で負けているみたいです。友達は「3回も負けて恥ずかしい」って言っていましたね。

A:なんかラグビーみたいだね。

M:そうですね。ラグビーみたいな、阪神巨人戦みたいな位置づけみたいですね。あとは、留学生がかなり多い大学で、僕らみたいな日本人で英語が完璧ではないという人でも結構入れてくれる間口の広い大学です。

A:日本人は松原さん以外にはいるんですか?

M:デザイン科にはいないですね。ファッション科には結構いると思います。ただ留学生の比率で言うと日本人はダントツで少ないです。ほとんど違う国の留学生。欧州・南米・中国・韓国、あと台湾。

A:中国と韓国だとどちらが多い感じですか?

M:中国の方が多いですね。留学生の半分くらいが中国人じゃないかと思いますね。30%くらいが韓国人、あとの10%が台湾人、残りの5〜10%が日本人、アジア人の割合はそんなかんじですね。そういう意味では日本人が海外に出ていないのかなっていうのは感じますけど。

A:たしかに。中国の方がすごく増えたイメージありますけど。

M:そうですね。僕の先生も90年代は日本人ばっかりだったけど、最近はほとんど見なくなっちゃったねと言われたことがあって。ほとんど中国人に変わっちゃっていう。当たり前のことといえば当たり前なんですが。日本人もファッション系の学科には今もいるみたいですけどね。

A:松原さんはグラフィックデザインということですが、誌面とかなんですか?

M:僕自身なんでも好きなんですが、誌面とかパッケージとかそういうデザインがメインです。(学校は)放任主義というか、施設あげるから自由にやってというスタンスで、課題ももちろんあるんですが特に気にせずやっていますね。施設がかなり豪華・お金をかけた学校で、アメリカでもNo.3くらい学費が高い学校です。だから中国人も多かったりするんですけど。すごいですよ、みんなビルのてっぺんに住んでいるみたいな人とかいて。みんな学校の帰りタクシー使ってますからね。学校の前にタクシーが並んでいて、みんなタクシーで帰る。「タクシーで帰るなよ!」っていう(笑)。

A:松原さんはタクシーじゃ帰らない?(笑)

M:電車と徒歩で‥‥帰ってますね(笑)。ひぃひぃ言いながら。

A:住んでいるところは寮とかがあるんですか?

M:寮もこの周りにいっぱいあるんですけど、このビル(キャンパス)の上もドミトリーで、20万円くらいするんですけど。すごい狭い部屋なんですけど、学校に住めるというところで
(人気のようです)。

A:学生が求めているんですかね?

M:もう満員らしいです。いつも。このビル自体が新しくて、今年オープンしたばかりで、5階〜8階がドミトリーになって住むみたいです。僕自身が住んでいるのは遠いハーレムというエリア。聞いたことあります?ちょっと危なそうな雰囲気。ツーパックとかラッパーが住んでいそうな‥‥(笑)

A:そういうところはやっぱり安めなんですか?

M:NY自体がかなり(家賃が)高いんですが、(ハーレム地域は)ちょっと安めですね。いわゆるゲトーというか、こちらでは「project」と呼ぶんですけど、貧困層が住む団地に住んでいます。周りはラテンミュージックがかかっているようなところです。僕自身はリッチとかではなく(笑)

A:うちの学生もたまに大学に住んでますけどね(笑)。それは違うのかな、シャワー室あるしな。(笑)

M:そういう大学いいっすね。ちなみに今は学食みたいなところにいて、

A:ひろいっすね。

M:まだ作りたてなのできれいなんです。夏休みだし土曜日だし午前中なので人は全然いないんですけど、向こうで寝ている人が2、3人います(笑)



アメリカの大学は受験が簡単で卒業が大変
卒業後は1年間の企業インターンを通して就職先を探す


A:一応受験はしたんですよね?

M:そうですね。そういう制度は一応あります。よくアメリカの大学は受験が簡単で卒業が大変っていうじゃないですか。そうみたいで、入学はほとんど誰でも入れる。英語がちょっとできて、デザインの基礎がちょっとあって、やる気があれば入れるみたいな。でも授業自体は日芸でやっていたときよりやっぱりハードですね。さっき放任主義と言ったんですけど、それを含めてもやることは多いです。

A:課題が多い?

M:課題も多いですね。でも課題やってこない人もいて。そういうときはみんな、りんごとかクッキーとかを先生に出して許してもらうみたいな文化があって。カルチャーとしてあるらしくて、僕の友達は先生にバラをあげて許してもらっていたりしていましたね。パフォーンストしてやっていますね。

A:そういうの、うちでは絶対ないと思います。

M:遅れたら普通は終わりじゃないですか。こっちは「しょうがないかな」という雰囲気があって。

A:こっちは学生からもらうというよりも、教員からあげるみたいな感じですもん(笑) バイトはしているんですか?

M:僕はしていないですね。バイトはビザ上、一応禁止なんですよね。もちろんみんなは隠れてやっているとは思うんですが、一応学生ビザなので禁止なんです。まぁでも、みんな正直やっています。

A:足の裏の米粒みたいな(笑)コンプレックスがあって、いざNYへ行かれて、グラフィックデザインという比較的大きな分野でやってきたと思うんですが、3年間その学校にいるというのは今3年生ということなんですか?

M:こっちはいろいろプログラムがあって、日芸を卒業しているので単位が互換できるので、僕自身2年で終わるプログラムに入ってもうすぐ卒業という感じなんです。AASというのを受けています。

A:それが終わるとどうされるんですか?今後は。

M:どうしたらいいと思います(笑)? 残り1年インターンのビザがあって、どこか(企業)でインターンをするというのがひとつあって、日本みたいに就職するための面接の時期があるわけではなく、インターンやって就職するというのがアメリカの流れとしてあります。僕自身もそうした流れになるかと思います。

A:自分でインターン先は選ぶんですか?

M:この大学も力を入れているみたいで、企業がきてくれて毎日のようにインターンを勧めるメールがきます。

A:大学教員の端くれとして聞きたいのが、そちらも就職組と作家組があるんですか?

M:あります、あります。僕自身デザイン系なのであまり独立するという人は周りにいないんですが、ファイン系の学生たちはそういう感じだと思いますね。自分の国に帰ったりする場合もあると思います。ファイン系は就職というわけじゃないですからね。

A:デザイン科のなかでは就職を念頭においている人が多いんですかね。

M:アメリカ人はほぼ全員だと思いますね。もう決まっている子とかもいて、そういう子はもう遊んでいたりしますけど。

A:そういう「就活」的なプログラムがあるんですか。

M:どうですかね。たとえばポートフォリオの授業があって、ガチガチのポートフォリオをつくったり、面接のためのプレゼンテーションを学んだりとか。僕自身日本人なのでそういったことが全然わからないので、そこでプレゼンテーションの技術を学んでいます。こっちはかなりプレゼンテーションに力を入れていて‥‥

A:ありそう!アメリカ人ってそういうイメージある。

M:作品がダメでも結構プレゼンテーションで押し切るというのがよくありますね。見た目がかっこよくないものでもプレゼンテーションで押し切って先生の評価を得るというのがみんなうまい。

A:できなくても、「できる」とかって言えるような人なんですかね。

M:みんな自分の意見すごい言ってくる。僕とかそういうところで結構負けちゃうんですよね。押し切ってくるんですよ。あるひとはポスターの講評の時に、課題のポスターを使って女の子に告白していたりとかありました(笑)。「ダンスパーティーに一緒にいってくれないか」って課題を利用して告白するっていう。ワイルドというか、プレゼンテーションというのが重要視されるところだなと感じます。

A:日本では紙媒体が下り坂と言われていますが、NYでは出版はどうですか。

M:どうですかね。普通のマガジンとかは下がっていると思うんですが、グラフィックノベルみたいな、デザインに重きをおいたアメリカ発のマガジンはかなり多いですしよく見ます。売れているんだと思いますし、友達もよく買っています。紙媒体が減ったという実感はそんなにないですけどね。『THE NEW YORKER』というマガジンがあって、それはみんな読んでいますね。サブウェイ(地下鉄)とかでも読んでいる人を見かけます。

A:『THE NEW YORKER』は何が書かれているんですか?

M:読んだことないんですけど、「NYあるある」なんじゃないかと。僕は興味がなくて読まないですけど(笑)。あとはフリーペーパーもよく見ます。駅の前で配っているフリーペーパーもよく見ます。『am New York』という新聞が毎朝駅前で100%の確率で「Good morning」と言って配っているんですが、それが新聞のようになっていて、広告が数ページ入っていて、ゴシップ記事やデイリーニュースが入っている小さいタブロイドサイズの新聞が配られています。

A:なるほど。さて、ここでちょっとお伝えしておいたほうがいいことが。SALONAIRのTwitterがあるんですけど、「live tweet」ということで対談の内容がつぶやかれています。ボスがチリからツイートしております。めちゃくちゃですよね(笑)。SALONAIRと検索すれば見つかると思いますので、もしよかったらご確認ください。今更になってしまいましたが。



日本で週に1回あるおもしろいことが、NYでは毎日ある
刺激が多いという意味ではいろんな経験ができる街


A:いい時間に徐々になってきたんですけれども、先ほどもちょこっと出たんですが、3年目になって松原さんから日本はどんな感じに見えますか?今後どうしていきたいかも含めて教えてください。日本に帰りたいとか帰りたくないとかあります?

M:たまに日本に帰りたくなりますね、ディズニーランドとか行きたくなります。松屋・すき家とか行きたいなとか思いますけど。

A:でも、日本食はつくっているんですよね?

M:一応つくっていますね。あとは大戸屋とかあるんですよ、一応。めちゃめちゃ高いですけど。Little Japanみたいな日本食が買えたり食べれたりするところがあるんです。

日本の見え方が変わったかというと変わった感じはしませんね。でも、僕自身が変わったという感じはします。NYという街は「人種のるつぼ」と言われるだけあって、日本人しかいなかった日本からこのNYというところへくると、南米から北米からヨーロッパからアジアから、全部の国の人たちがいるので、「こういう考え方をする人がいるんだ」という刺激が日々あって。たとえばロシア人の友達に「日本人は私にとってエイリアンだ」と言われたことがあって。何も知らないからいろいろ教えてと言われて。本当に僕らはそういう存在なんだろうなと思ったり。あとは前にシェアハウスをしていて、たくさんのアーティストが一緒に住んでいる家だったので、出会う人出会う人おもしろい人ばかりで、そのうちのひとりは「透析機」をつくっていたんです。透析機ってわかります?

A:透析機‥‥えぇ、わかります。あれって今何に使うんですか?

M:それに水風船を入れて、対岸のピザ屋さんに向かって打つというのをやっていて(笑)。それを毎日やっているんですよ、仕事もせずに。すごいなと思いません? その人はLong Islandの美術大学(Long Island University)出身の人で、もともとおもしろい考え方の人だったんですけど。透析機をつくったり、「自分は海賊だ」と言っている人がいたり、おもしろいひとがとことん多くて。日本で週に1回あるおもしろいことが、NYでは毎日ある。1日1回は変な初めてする経験があります。

A:静かには暮らせない?(笑) いろんなことが‥‥

M:静かには暮らせないですね(笑)いろんなことが起こりますね。ゲームの中を生きているみたいな感じです。歩いていたら急にミッションが起こったり、凝縮された日々ですね。3年経っても毎日新しい刺激があったり、新しい出来事を見れたりするというのは、たとえば数十分歩けばインド街があったり、ちょっと行けばチューリッシュ・アイリッシュの町があったり。見たことないものに触れられる環境にあるというのは大きいと思います。 

A:でも結局「NY」というものを感じる何かはあるんですか。

M:僕自身は「NYかっけーぜ」というのがあってきたわけじゃないので、最初は戸惑いもあったんですけど、今は楽しめています。変なこと・変な人が多くて。

A:吸収するけどアウトプットが追いつかないかもしれないですね。 

M:そうですね、僕もう満帆です。僕自身も気が強くなっているところがあって。道で鼻歌を歌いながら歩いていたり。何を許されちゃうんですよね。いい面も悪い面もありますが、刺激が多いという意味では経験ができる街ではある。他の週のアメリカとは違っていて、NYは小さい半島なんですが、集まっている人はアメリカ人だけじゃなくていろんな国からきているので、いろんな文化に触れられるのは大きいと思います。

A:エストニア人もどこかにいそうですよね。

M:エストニア人!あったことないですけどね。きっといると思います。今外が見えてるんですけど、人種がめちゃくちゃ。黒人もいますしね。アジア人は僕と数人いますけど、クラス見ても本当に多くの国の人がいて。そういうところがおもしろかったりしますね。今度はNYに遊びに来てください。




SALONAIRはこれから隔週土曜日23時から放送
次回は再びNYよりジャズピアニスト兼作曲家の宮島みぎわさんと対談予定



A:松原さんありがとうございました。今後SALONAIRはこれを皮切りに復活することになったんです。前回僕がエストニアにいた時と同じように隔週で、基本的には土曜日の23時から1時間の尺で、世界各地で活動されている日本人の方を招いて、何をやっているの?ということを対談していくという番組でございます。なんでこんな番組をやり始めたのか知らないで見ている方もいるかと思うんですけど。

M:僕も知らないです(笑)

A:これも話せば長い!(笑) でもざっくり言うと、僕がエストニアにいたときに、他の国にいるアーティストがどういうことをやっているか気になって、たまたまなんですけど、Skypeをつくった人というのがエストニア人。Skypeの発祥がエストニアのタリンで生まれたんです。そうならばSkypeで何かしようということになって、気づけば1年半経っているという感じです。帰国してやめたんですけど、今回PARTNERというパートナーを見つけてですね(笑)。今回は広島から海外とつなぐということになりました。次回はまたNYです。もしよかったら松原さんにもご紹介いたします。SALONAIRの第一回に出ていただいた宮島みぎわさんというジャズピアニスト兼作曲家として活動され、グラミー賞にノミネートされているアルバムに参加されている方でもあります。素晴らしい功績をたくさんお持ちになられています。僕も何年ぶりか、2〜3年ぶりにお話させていただきます。あっという間の2年くらいですね。次回は8月22日(日)の23時を予定しております。ウェブサイトなどでご確認していただきたいと思います。
それから、今回の放送もそうですが、しばらくしてからアーカイブがYoutubeにあがるようなシステムになっていますので、今日のこの時間に見ることができなかった人・友人などにこんな放送やってたよ」と一言伝えていただけたら。今後の会もYoutubeに掲載されるようにしております。そちらの方もぜひご確認ください。わっと駆け足でやってきましたが、割と話せたんじゃないですかね。番組はこの辺で終わりたいと思います。本日はありがとうございました。

M:たのしかったです。ありがとうございました。

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