【鶴舞う形の群馬県】綿貫観音山古墳と高崎百衣大観音に行ってきた

2020年10月17日(土)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

<これまでの話>
【手羽はまだグンマを知らない】「佐賀町エキジビット・スペース 1983–2000」展@群馬県立近代美術館に行ってきた
群馬県立近代美術館で開催中の「佐賀町エキジビット・スペース 1983–2000-現代美術の定点観測-」を見るために群馬県高崎市にやってきた手羽は、群馬には古墳がたくさんあることを知るのだった。



最近手羽の中にプチ古墳ブームがやってきてたんで、これは行くしかないっしょ!

綿貫観音山古墳です。
6世紀後半につくられた全長100mの典型的な前方後円墳で、玄室は群馬県内では最大規模。
ラッキーだったのが、玄室の壁と天井石が崩落してたために盗掘されず、多くの豪華な副葬品が残ってたことで、それらがめでたく9月30日に国宝になった、と。

さ、登るぞ!

うーむ。

なるほど。

えーと、これを言っちゃ身も蓋もないのだけど・・・ただの丘だった。

いや、「周りはお堀だったんだなあ」とか「昔の人はこの小高い丘を古墳と知りつつ一緒に過ごしてきたんだろうなあ」とか想像できることもあるけど・・・手羽の全然浅いのに深く感じる名言「タワーは登ってしまうとタワーが見えない」のとおりで、古墳が見たくて古墳に来たのに古墳に登ってしまうと古墳が見えないという矛盾。ドローンでもあればいいんだけど。
多分そのガッカリ感を薄くするために他の古墳では埴輪を設置してるんですね。「余計な装飾せずに素のままでいいじゃん」と思ってきたけど、「コト」を強くするには必要なものだったんだ。

なおかつ観音山古墳の売りは「玄室に入れる」なんだけど、コロナ対策で現在は入室休止中。
手羽のプチ古墳ブーム終了。

50歳過ぎたら吉永小百合のようにもう一度古墳の旅をしてみるか。

・・・そんな先じゃないな(ぼそっ)

 
で、観音山古墳は想定外でしたが、高崎に行ったら絶対に行きたい場所が前からありまして。

観音山古墳から車で2,30分の場所にある慈眼院です。
関東八十八カ所霊場の第一番札所でもあります。
昨日の記事で「観光ではない」と書いたけど、ここだけは見ておきたかったの。

おっと、国立大学の人にはタイムリーな方の石碑があった。


んで、てくてく山を登っていくと、

見えたっ!!

そうです。

群馬県の名所旧跡や輩出した人を札にした、群馬県民は全札を暗記してる「上毛カルタ」にも出てきます。
ちなみに正式な読みは「びゃくえ」なんだけど、上毛カルタでは「びゃくい」なので市民の方は「びゃくい」と読むらしい。
でも「高崎観音」の方がわかりやすいかな?
 

 
なんで見たかったというと、漫画「お前はまだグンマを知らない」で120mの牛久大仏と戦った41.8mの高崎白衣大観音を拝みたかったというのもあるけど(笑)、理由は二つありまして。
一つ目は、一応手羽はこれでも元彫刻家なもんで、大仏系は昔から大好物なんすよ。
まず粘土や木で小さな原型を作って、それを巨大化させていく過程ってほんとすごいと思ってて。


  • いやー、ほんとでかい!!

  • でも真下から見たらアイアン・メイデンみたい・・

なにが好きってこの背中のラインね。
原型は鋳金工芸家の森村酉三さんで、きっとお参りに来た人と観音様が目が合うように作られたと思うんだけど、顔の傾きが不自然にならないように作っていったら、この女性らしい優しいラインが生まれたんじゃないかしら。
ちなみに原型を森村さんのアトリエから自転車で運んだのは、若き日の田中角栄元首相だそうです。

また直立の大仏系だと、安定しやすいようにまっすぐ立ってるポーズになりがちだけど、横から見ると高崎観音はかなり背中をそってるのがわかりますね。
構造計算された方は大変だったろうなあ・・。

さて、この白衣大観音像は、高崎の実業家・井上保三郎さんが巨額な私財を投じて1936年に建立し、1938年に市に寄付したものなんです。

観音様と同じように市内を見つめているのが井上保三郎さん(の銅像)。
はい、「井上」という苗字で「おや?」と思ってた方、正解です。
井上 保三郎さんは昨日の記事で紹介した実業家・井上房一郎氏のお父さんなんですよ。

そして高崎観音を見たかった理由二つ目は、井上保三郎氏が白衣大観音の原型を森村酉三さんに頼む前に、先行して息子の房一郎氏はブールデルに師事していた帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)で教鞭を執っていた清水多嘉示に原型制作依頼してたんです。
はい、美大ネタ1日一つクリア(笑)
最終的に森村酉三さんの原型に決まったわけですが、原型の写真を見ると(両方の原型が残っている)、個人的には確かに森村さんの方がいいなあと思ったりもします。

ちなみにこちらの記事によると、
近代高崎150年の精神 高崎人物風土記 - 井上 保三郎 - 高崎のニュースサイト 高崎新聞
井上さんの中では高崎観音建立は序章に過ぎず、高崎の観光発展のために観音山全体を県立の大公園にすべきだと考えていたようですね。一大レジャーパーク構想。

その精神は受け継がれ、遊園地などが今はあります。

吊り橋もあります。
頑丈すぎて全然揺れないから吊り橋効果を狙ってる人は期待しない方がいいかも。

さーて、観音様の胎内に入ってみますかね。


  • 胎内は9階構造になっていて、20体の仏様や高僧の像が並んでいます

頂上9階が肩の部分。
小さな窓しかないので、頭部分が天守閣のように展望台になってるイメージを持ってたらガッカリするかも。

赤城山・・・が天気が良ければ見えたはず。

ただ、コロナの影響もあるのか食事処はことごとく潰れてて、営業してるお店は1店だけ。
観音様に早くコロナ禍がおさまることをお祈りしてきました。

気のせいか猫も高崎観音のポーズを取ってるような気がする。

慈眼院を出てすぐの観音茶屋店で

名物 観音最中を職場のお土産に購入。
包装紙を見て「ん?なんで滝平二郎の絵?」と思って帰って調べたら、先代の店主がまだ売れてない頃の滝平二郎さんを援助してたからなんだそう。群馬って「芸術文化を守らなくちゃいけない!」って使命感みたいなものを感じる人が多いんですかね。
ちなみにちなみにさっきから使ってる「高崎観音」という文字は、観音屋さんが商標登録されてるそうです。

東京へ帰る前にどうしても食べたいものがあったから、お店に立ち寄りました。

そう、「お前はまだグンマを知らない」で「群馬県民以外が食べれば、疑問と拒否反応で脳が壊死し、死に至る」と言われてる

焼きまんじゅう!
食べて死ぬ覚悟で頼んだけど・・・思ってたよりも全然でかい・・。
普通の団子サイズをイメージしてたから「えっ・・」って思わず絶句しちゃった。

ライターと比較してみた。
確かに「焼き団子」ではなく「焼きまんじゅう」だから、ふつうの饅頭をつなげればこのサイズになるのはわかるけど・・そういえば、店員さんが「何本にしますか?」と聞いてきたんです。団子サイズと思って「じゃ3本」とか答えてたら、ほんとに死に至ってた。あれはトラップだったのかな。

え?味ですか?
餡のないまんじゅう(パンに近い)を軽くあぶって、周りに甘い味噌ダレがたっぷりついてる・・って説明でだいたい味のイメージができるんじゃないかしら。それ以上でもそれ以下でもありません。
まずいってことは全然ないけど、何か残念な気持ちにはなれます。きっとモチモチ感をイメージしててかぶりついたらパンだったことによる「疑問と拒否反応」なんだろうな。
気が向いたら食べてみてください。この残念な気持ちを共有したいので。

てなわけでグンマレポートはこれにて終了!!


以上、家に帰ってお口直しに

福岡県でしか売ってない竹下のブラックモンブランを速攻で食べた手羽がお送りいたしました。
グンマのソウルフードが焼きまんじゅうなら、福岡県民はブラックモンブランを食べて育ちます。
今サミットで売ってるんで、このチャンスに福岡県民はまとめ買いするしかない!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹と西原理恵子とみうらじゅんと羽海野チカと銀魂と合体ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し日夜奮闘中