美大愛好家視点で語る京都芸術大学と京都市立芸術大学のアノ話

2020年8月28日(金)

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美大愛好家と名乗ってる以上、この話題に触れないわけにはいきません。
なんせ、

昨日の午後はずっとトレンドに入ってましたから。
こんなに長く「芸術大学」という単語が皆さんのスマホに表示され続けたのは初めてじゃないかしら。
 

経緯的なものはちょうど1年前に書いたこちらの記事をご覧ください。
美大愛好家的「京都芸術大学問題」まとめ
もう1年前なのね・・・。


で、昨日、第1報は恐らく京都新聞さんでした。13時半には流れてたと思います。
「京都芸術大学」の名称使用認める判決 校名変更問題、京都市立芸大側が敗訴 地裁「京芸略称、著名と言えず」 | 京都新聞

そしてそれぞれの大学のコメントはこちら。
【2020年8月27日】京都市立芸術大学による名称使用差し止め請求訴訟に対する本学のコメントについて
【令和2年8月27日付】旧京都造形芸術大学の名称変更差止め請求訴訟の判決に際しての理事長コメント
京都市芸さんのURLが「judgment」なのが印象的。


今回争点になったのが、「一般的な知名度」という点です。
冒頭紹介した京都新聞さんにはこう書かれています。
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判決文によると、「著名な商品表示」とは、芸術分野に関心を持つ者に限らず、全国的かつ一般的に知られている必要があるとした上で、京都市立芸術大学側が「著名」と主張する「京都市立芸術大」や「京都芸大」「京芸」などの名称や略称は、「著名」とは言えないとした。
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「京都芸大」と言われたら、手羽は間違いなく京都市立芸術大学をイメージします。
でも普段の呼び方は「市芸さん」なんですよね。さっきも何も考えずに「京都市芸さん」ってタイプしちゃったし(笑)、美大業界では「市芸」の方がよく使われてるんじゃないかな。
この15年ぐらい毎日各美大のWEBサイトをチェックしてる手羽の記憶だと、京都市立芸大さんはこれまで公式に「京都芸大」って単語はあまり積極的に使ってなく、この1年ぐらいで急にSNSで「京都芸大」を使いだした印象があります。
着物の市長さんも1年前は「市立」と言ってたような。


略称ってことだと、愛知県立芸術大学は「愛知県芸」「県芸」で「愛知芸大」はあまり使わないかも(うーん、使わないこともないかな)。沖縄県立芸術大学も「沖縄県芸」で「沖縄芸大」ってあまり言わない・・気がする。
恐らく「国立の東京藝大」に対して生まれた言葉で、「ゲイダイ」と言った場合は東京藝大を表し、「市立」なら京都、「県立」なら愛知と区別するためにそうなったんじゃないかと推測。


にしてもですね。
武蔵野美術大学も「全国的かつ一般的に知られているか?」とこうはっきり聞かれたら、手羽も「うーーん」となっちゃう。芸術分野に関心を持つ人の認知度はかなり高いと思うけど、全国的かつ一般的には全然知られてないんですよね。
「へー。武蔵野大学さんの系列校かなんかですか?」と聞かれたことがあるし、初めてムサビに来る営業の人から「ムサシノビさん」と言われ「その方が言いにくくね?シノビって」と思ったり、下手すると「タマビさんは」と時々言われるし(実話)
狭い業界の美術大学の名前が焦点になった時に正直「全国的かつ一般的」が基準になるとつらい・・。
でも、今回の判例でわかったのは、名古屋芸術大学さんが「愛知芸術大学」に名称変更しても全然問題ないってことじゃないかと。

 
これで終わるのもなんなので。


「多摩美術大学と武蔵野美術大学はもともと同じ学校だった」て過去は、もし「美術大学検定」があったら2問目ぐらいには出てくる常識問題だけど、ムサビの学生さんでさえ入学するまで知らない人が多いです。

武蔵野美術大学のあゆみ1929-2009」によると、1929年に誕生した帝国美術学校は、当時各種学校だったため、専門学校へ昇格したかったんですね。
でもそれがポイントになったナンヤカンヤが起き、1935年5月に起きた学生ストライキ(いわゆる同盟休校)を端を発する紛争によって、帝国美術学校(現在のムサビ)と多摩帝国美術学校(現在のタマビ)に分裂してしまいます。
・・できるだけフラットに書いたつもりだけど、この「ナンヤカンヤ」のスタンス・歴史観はタマビとムサビでは今でも全然解釈が違ったりします。

で、帝国美術学校は多摩帝国美術学校、多摩帝国美術学校は帝国美術学校を相手取り、10件以上の訴訟を起こし、1944年12月20日の戦時民事特別法による調停で「あんたら、もうええかげんにせーやー」とストップが入るまで続きました。
つまり、強制的に止められるまで、タマビとムサビは実に10年間喧嘩をやってたんです。

昔から五美大展等の教育活動、教員のつながりはありましたが、法人同士の関係構築ができたのは結構最近。手羽が入職した頃はタマビに何か聞くことはタブーでした。「大学史の情報交換しませんか?」と提案しても「なんでムサビに教えなきゃいけないんだ」とはっきり断られたり。
でも、職員個人レベルで情報交換するようになり、徐々に関係修復されていきました。
「ムサタマトーク」は単に「ライバル校の職員同士が」レベルのハードルではなく、皆さんが思ってる以上に当時だとありえない企画だったんですよ。
大きなターニングポイントはムサビ80周年事業で、それからお互いの新理事長や学長が就任挨拶にいくようになりました。

こんな感じに両大学の理事長と学長がそろった写真なんて、去年が最初です。
ここまでの状態になるのに半世紀以上かかったってことですね。

何が言いたいかというと、ムサタマの歴史からも学校同士の揉め事はそう簡単に修復することはないはずですが、時間が解決することもあり、それを補ったりきっかけになるのは、個人活動レベルからだと思ってます。


以上、京都芸術大学さんも京都市立芸術大学さんも、他京都の美大さんの気持ちも配慮してほしいなあ、の手羽がお送りいたしました。
きっと「会議で両校そろってる時は、どっちの名前を使えばいいんだ」とドキドキしてるはずで、「いやー、ここでは皆さんが使い慣れてる京都造形でいいですよ。わっはは」ぐらいな寛容な対応をしてくれると、京都精華さんあたりはホッとされるんじゃないかと。

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。