美大を卒業したあと、どう生きていくか?①わたしが休学・留学を通して感じたこと【前編】

【悩める美大生に読んでほしい!】金沢美術工芸大学工芸科で染織を学んでいます、山中です。今回はわたしが大学を昨年10月から一年間休学し、そして12月から今年の5月までの約半年間の韓国での留学生活で考えたこと、そして韓国で出会い、とても影響を受けた人物について、すこしだけ自分の話を織り交ぜながら、「美大を卒業したあと、どう生きていくか」を考えたいと思います。第1章前編では、私が制作できなくなった時期について書きたいと思います。

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美大を卒業したあと、どう生きていくか?
〜学生のうちにしておきたいこと・学生だから、できることについて〜

今回大きなテーマですが、2章に分けて、12月から今年の5月までの約半年間の韓国での留学生活で考えたこと、そして韓国で出会い、とても影響を受けた人物についてご紹介したいと思います。

目次

第1章:わたしが休学・留学を通して感じたこと【前編】【後編】
    〜制作できなくなった時期を乗り越え、‘つくるよろこび‘を取り戻すまで〜

第2章:フリーランスとして活動する上で大切な5つのこと【前編】【後編】
    〜interview: 杉原悠太さんの場合〜


【美大生のそれぞれの進路について】
美術大学卒業後、みなさんはどのように生きていくことを想像していますか?
デザイナー、絵描き、イラストレーター、工芸作家、彫刻家、職人、編集者、菓子職人、美容部員、服飾系、会社員‥‥。先輩たちをみていると、美大生の進路も、本当に多岐にわたります。

平成25年度 金沢美術工芸大学・学部卒業生の専攻科別進路状況


たとえば金沢美大は、デザイン科は就職がとても強く、学部2、3年生のうちから企業との連携が強固です。デザインを学ぶ学生の視点は社会へ向けられたものとなり、自分の制作と社会とは常に関係性があります。
多くの優秀な先輩が企業に入り、さまざまな分野で社会に貢献するデザインを発信し活躍する様は、卒業後の自分のイメージを広く、比較的に見ると明るいものにしてくれるようです。


今現在も活躍しておられる先輩の活動の例を挙げると、この「のらもじ発見プロジェクト」とは、金沢美大のビジュアルデザイン科卒の先輩が広告デザインの仕事の傍ら行っておられる活動で、町中(野良)にある看板の店を取材し、文字を書式化してフォントを作り、データとして配布するというものです。

彼らはこういった活動を通して、戦後から日本を活気づけてきた、味わいはあるけれども古い商店が再びフォーカスされて明るくなったり、ひとびとに「何気ない日常の中に隠れている面白さ」「生きていく上では必要不可欠ではないけれど、あったら日常が楽しくなったり、思考が豊かになったりすること」について、考えるきっかけを提案されています。

また、2014年5月には、Yahoo!JAPANと共に東北石巻の看板をフォント化し、復興支援に協力するという「のらもじin東北」もされています。

ファイン系の学生は、デザイン科とは少し事情が違う。
さて、純粋美術や工芸科の学生に関してはどうでしょうか?

制作を続けていく気が満々で、ギャラリーへ売り込んだり、コンペやプロジェクトに参加したり、ひとりの作家として今後の活動についてのリサーチをバリバリしているでしょうか?

はたまた、急に就職のことを考えだして焦ったり、美術ばかりしてきた自分は世の中の何の役にも立たないと思って嘆いたりしているでしょうか。

制作、美術とは一度別れる決心をして、まったく別の分野へ就職をする人も少なくありません。ですがそれぞれの生き方の基盤として、美大で培った感性や ‘ものを見る目’は、確実にその人の中に生き続けるものだと思っています。そしてまた美術の道に戻ってくる人もいます。

また、卒業後も制作を続けていきたいと思っていたとしても、現実的なことを考えると、学生のときとは大きく条件が異なってきます。制作費用はもちろんのことですが制作時間・場所・モチベーション・・その全てを自分で捻出して、維持していかなければなりません。卒業してすぐは続けていても、3年後、10年後はどうでしょうか。

日本の美大・芸大の中でトップといわれる東京藝大でも、多くの卒業生が泡のように消えてしまうといいます。



  • 木工作家:山中晴夫(父) 台風により工房が大打撃

どの道を選ぶにしても大変ですが、芸術だけで生きていくことは、険しいいばらの道を選択して進むことだといえると思います。

誰も自分に美術を続けてくれなんて頼みません。やめるのも、友達以外は別に気にしません。
美大にいると作家になること、制作を続けていくことはすごい、という概念にとらわれがちですが、別にそれが全てではありません。

作家として大成することはもちろん素晴らしいですが、平凡でも幸せに生きること、人間らしく、自分なりの哲学を育てていける環境でこつこつと生きることもまた、素晴らしいことだと思います。

とにかく20年かそこらを生きてきただけでは、世の中がどのような仕組みになっていて世界ではどうのこうの、自分の未来さえわからないのに他人のことなんて、もっと分かりません。

将来について漠然とした不安を抱くことは皆同じですが、イメージする対象があるのとないのとでは、自分が今、学生の段階で何をするべきかを決める上で大きく違ってくるのではないかと思います。



【ここですこしだけ、わたし自身のこと】
3年生でやってきた「本当に作家として生きていけるのか?」という漠然とした不安

金沢美大で染織を学んでいます、山中です。
昨年10月の学部3年次後期から休学をしており、半年間の韓国留学を経て、現在は京都の実家で作品制作などをしています。

わたしは大学3年生になるまでは、大学を卒業後も作家として活動を続けていく気が満々の学生でした。展覧会にも積極的に参加したり、今考えると小さな規模ですが、自ら企画をしたりしていました。

漆をしたり焼き物をしたり染織をしたり、‘自分の手でものをつくること’は私にとってよろこびで、ずっとものづくりを続けていきたいと思っていました。

ですが大学3年生になったとき、「本当に作家として生きていけるのか?」という漠然とした不安に囚われ、制作ができなくなってしまった時期が続きました。

誰もが一度は通る道かもしれませんが、辛い日々でした。
自分の作品が急にゴミ屑のように感じられて、こんなことを続けていても何の意味もない、自分のやってきたことは一体何だったのだろうと悩んでばかりで、ほぼ毎日泣いて眠れない日々が続きました。

つくるよろこびをすっかり忘れ、こんな日々が一生続くなんて耐えられない、大学院に進むつもりをしていたけど、もう就職しようと考え色々調べたりしましたが、どうも会社にいる自分が想像できない。

だんだん自分が社会不適合者のような気がしてきて、美大になんか進むんじゃなかったとさえ。 本当に極端にジタバタしていました。
甘えるな!と怒られそうですが、今でも、あの暗い時期を思い出すと涙が出そうです。

しかし、『自分はなぜこれをやっているんだ、こんなにしんどいし、お金も稼げないのに』と繰りかえし自問していたあの頃からは抜け出し、今は 芸術をすること、それについて考えることは、完全に私の生活の一部です。


  • マーク・ロスコの展覧会:ソウル芸術センターにて

ではわたしはどうやって、そのような負のループから抜け出せたのでしょうか?
後半では、わたしが休学・留学を通して感じたことについて書いていこうと思います。

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STUDENT WRITER

ヤマナカ アヤ / Aya Yamanaka

’ひとの思いが込められたものたち’ に囲まれて育ち、いつしか自分も ものづくり がしたいと思い金沢の美大の工芸科に入り、学部3年次を休学し、韓国ソウルへ短期留学。現在は京都府在住。 人と関わり合うことによって、その人を知り好きになることで興味の幅が広がっていく感覚を大切に生活をしています。