勝井三雄 名誉教授がご逝去されました

2019年8月20日(火)

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昨日、事務所やJAGDAさんからリリース発表されましたので、私からも。
残念なお知らせです。

かねてから病気療養中だった視覚伝達デザイン学科 元主任教授で、現名誉教授の勝井三雄先生が8月12日に膵がんでご逝去されました。

葬儀・告別式は既に近親者のみで8月16日に執り行われており、後日お別れ会が設けられる予定です。
日程など詳細はまだ決まっておりませんので、わかり次第この場でもお知らせしたいと思ってます。
 

実は先週第1報を聞いていたんですが、全然信じられなくて最初は「カツイ先生?誰?」と聞いちゃったくらい。それくらいの驚きだったんです。


だって、宇都宮美術館で最近まで
「視覚の共振・勝井三雄」展@宇都宮美術館に行ってきた

大規模な個展を開催されてましたからね。
イベントをご欠席されてたから「体調があんまりよくないんだろうなあ」ぐらいには思ってたけど、その勝井先生のことだとつながるわけがなく・・・。


勝井先生は国立民族学博物館や大阪万博、沖縄海洋博、つくば科学博、花の万博など様々なロゴデザインやアートディレクターをされていて、前回東京オリンピックのデザインチームの一員でもあります。
間違いなく日本を代表するグラフィックデザイナーのお一人。


ムサビ的にはやはり、

このMAUロゴや大学広報誌・ポスターなどのデザインをされた方。
そして単なるグラフィックデザインではなく、身体性と五感を重視した今の形の視覚伝達デザイン学科を作った方でもあり、現在の視デの発展は勝井先生のおかげといっても過言ではありません。
定年退職され名誉教授になられた後も造形研究センターの客員研究員も昨年度までされてました。


教授・デザイナーの仕事以外にも、1999年からは評議員、2007年から2011年は理事もされています。
ちょうど手羽が理事会を担当してる頃であり、どうしても私たちは「今抱えてる目の前の問題をとりあえず解決したい」という提案をしがちで、理事会で勝井先生から「ムサビの小さな話ではなく、デザイン・アート界、社会、日本、世界の広い視野で中長期的に見ろ」といつも怒られてました。


また、東京造形大学の徽章は、

1966年創立時に勝井先生がデザインしたものをベースにして、1996年の30周年記念事業の一環で田中一光さんがリデザインしたマークが現在も使われています(勝井デザインは白黒逆だったそう)


この記事を読んでいる大学関係者だと、もっとなじみ深いのはこちらかもしれません。

2008年から使われている文部科学省のシンボルマークや1999年にできた理化学研究所のマークも勝井先生のデザインなのです。


高校生にもっとも近いものだと、

光村図書出版の美術の教科書かな。
現在も編集委員とアートディレクターを担当されてました。

大御所といっても、いつも新しいものにアンテナに張っていて、2012年にはまだ無名ともいえるAR三兄弟の展覧会に足を運び、「グラフィックデザインを一緒に拡張しよう」と提案して、グラフィックトライアルを一緒にやったりしてます。
なんとなくAR三兄弟ってグラフィックやアカデミックとは対極にあるような感もあるけど、勝井先生からすればそんなの関係なく、「グラフィックのその次」を常に模索してたんじゃないかと。


ところで、手羽の勝井先生の思い出となると、いくつかあって、

今回勝井先生の写真が何種類かメディアに出てますが、手羽的に「勝井先生」でイメージする写真がこちらなんです。
ずっと大学案内などで勝井先生はこの写真を使ってたんで、手羽のイメージは確実に「紙を持っている勝井先生」なんですよね。

あとは赤フレーム眼鏡姿の勝井先生。
あんなに赤フレーム眼鏡が似合う男性を他に知りません。手羽も将来赤フレームが似合うといいなあとこっそり憧れてました。


でも一番印象深い出来事は、勝井事務所を訪問した時です。
東京ミッドタウン・デザインハブにムサビが入るのが決まった後、視デの寺山先生、デザイン・ラウンジディレクターに決まったばかりの(当時)デ情・井口先生、そして手羽の3人で勝井デザイン事務所に行ったんですよ。
勝井先生は当時日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の会長だったんで、「外に公表する前にまずは筋を通そう」とデザインハブでJAGDAさんのお隣になるご挨拶と開所式出席のお願いにあがった、と。


  • デザイン・ラウンジ開所式の様子。右から2番目が勝井先生

いやー、2時間ぐらい事務所でお話したけど、緊張してて何をしゃべったのか全然覚えてないんです。出席の依頼をしたかも怪しい。
「ムサビは六本木になんか来ずに小平でやるべきことがあるだろ!」と怒られるんじゃないかという気持ちもあって。
あれだけ緊張したのは他にないなあ。。
あ、勝井先生からは逆に褒められたのだけは覚えてます(笑)

最後に、2013年にミッドタウンで緊急開催された「東京デザイン2020 オープンセッションVol.01 -20人のデザイナーが2020年の東京を語る-」での勝井先生の動画を張っておきます。
私もこの場にいまして、「かっこいいなー」と思いながら聞いてました。

今度の東京オリンピックを「どれどれ、若いデザイナーはどうやるのかな?俺らよりかっこいいもの作るよね?」と一番楽しみにしてたのは勝井先生かもしれません。

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。