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HAPPY NUTS DAY
代表取締役/アートディレクター
中野剛
スケートボードの為に入学したNYの高校、山奥での自給自足生活から帰国後、多摩美術大学、広告代理店を経て、現在は日本の持つ価値の高さを体現するブランディングカンパニーを目指したピーナッツバターブランドHAPPY NUTS DAYの代表兼アートディレクター。
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広告会社のADが、ある日ピーナッツバターのブランドを立ち上げた
HAPPY NUTS DAYっていうこのピーナッツバター、見たことあるかな。今僕が仲間と一緒に生産から販売まで手掛けているブランドだよ。
3年前、地元千葉県の県知事の夢をもって千葉県に住んで頑張ってる友達に、「千葉県の名産であるピーナッツをもっと全国で楽しんで食べてもらえる方法はないかな」って相談を受けて、「それならピーナッツバター作ろうぜ」ってふたつ返事しちゃってね。さっそく、九十九里ですりこぎやミキサーをつかって試作をつくりはじめたんだ。
僕らクリエイターが一次産業と繋がって、魅力的な素材を現代版に進化させる
ピーナッツは8割が輸入品、国産品はそれらの10倍くらいの値段。「10倍の価値があるんだよ」って味だけで伝えるのはどうしても難しいから、あの手この手をつかってやっているんだ。
農業などの一次産業、加工の二次産業、流通・販売の三次産業、かけ算して「六次産業」といって、生産から販売まで通じて価値を伝える。僕らクリエイターは素材は作れないけど、一次産業にまで繋がって創造力を掛け合わせることができたら強い、それができていないから衰退していってしまってる生産物が多いなと思うんだ。素材としては魅力的なのに現代版に進化させることができなくてね。
東京育ちの高校生、ニューヨーク郊外の牛小屋に住むヒッピーの生活に感動しちゃって
もともと美大に行くとかいうずっと前、お世話になってた先輩率いるBMXチーム(430、上原洋氏)が世界中でBMXの世界戦を勝ちまくって世界一になってね。彼に「俺らは日本代表として世界に出てる。まだジャンルは決まっていないかもしれないけど、海外に行ったら彼らにとっての『日本代表』はお前だからな」って言われた。「自分のジャンルにおける日本代表ってなんだ」ってモヤモヤしながら思ったよね。18歳のころ。
日本の高校を卒業してから、当時憧れてたスケーターの先輩の栗原義明氏(現在はNYの電通イージス勤務、HAPPY NUTS DAY立ち上げメンバーのひとりでもある)が通っていたニューヨークの高校に通い始めた。スケボーがしたくて行ったんだけど、ニューヨークが寒いっていうの知らなくて、半年くらい雪が積もっちゃってスケボーできなかったの(笑)! それで冬の間スケーターから集めた板にやすりをかけて絵を描いてるうち、「美大に行きたい!」って思うようになって、ニューヨークの美大の願書準備をはじめたんだ。
ところがそんなとき、レゲエバンドのドラムをやっている高校の先生が「廃墟になった牛小屋にヒッピーたちが住みついているから見にいこう」って社会科見学を企画して。行ってみると、大きい牛小屋のなかで、ボブ・マーリーみたいなドレッドヘアの人たちがジャンベ叩きながら歌って、お腹すいたら鳥を絞めて、自分たちで作った野菜と、手作りのジンジャーエールで食事してた。その生活にすごい感動しちゃってさー。その場で「俺も入れてよ」ってお願いしたの。そしたら「いつでも戻ってこい」って言ってくれて。
もうそのまま、美大の願書はどっかにいっちゃって、大学に行くのは辞めちゃった。高校卒業後日本にちょっと帰ったんだけど、親に「俺は農家をやることにした」って話をして、またバッグひとつでマンハッタンから車で7〜8時間かかるコートランドに向かったの。
「戻ってきたよー!」って言ったら、「え!?本当に戻ってきたの?」って彼ら困った顔をしてね。「人手も足りてるしベッドとかもないし‥‥ごめん!」って。
そうそう、社交辞令だったんだよ(笑)
電気も水道もない、森の奥、ブルーベリー農家での生活。
今までで一番しんどかったと思う(笑)、「どーする、俺!」ってね。
先生が住んでいる村まで何時間も歩いた。それから1ヶ月くらい先生の家に住ませてもらった。でもやっぱり「俺は農業やりたくて来たんだ!」って、ある土曜日の朝ファーマーズマーケットに行って、一軒一軒「日本人だから非合法になっちゃうけど、お金はいらないから宿と飯だけ提供してくれ」ってお願いして回ったの。20〜30軒回ったんだけど全部断られて‥‥(笑)。なのに先生は「よくやった!」って褒めてくれて。実は先生があらかじめ一軒約束を取りつけてくれていたんだ。
お世話になることになったのは、ブルーベリーの農家。電気も水道もトイレもないから、キャンドルだけ持って。山道を上がること2時間、突然、森の頂上にブルーベリー畑が広がった。遮るものが何もなくひらけていてね。捨ててあったキャンピングカーを一台もらって、そこに住みながら、日が昇ったら起きて農作業をして、日が暮れたら寝るっていうシンプルな生活を始めた。ショベルカーのシャベル部分に乗って移動したりして、映画より映画みたいでさ。毎日天の川が見えて、気づくと太陽の位置で時間がわかるようになって。平日は農作業をして、土日は山を降りて収穫した野菜を売る。物々交換でお弁当もらったりして、お金をほとんど使わない、そんな生活を半年弱。シャワーなんて2ヶ月に1度しか浴びないんだよ。肉も食べないから嫌な臭さはしないんだけど、さすがに飛行機は嫌がられたね(笑)
でも、僕はヒッピーたちを見て楽しそうって思ったのであって、農家に興味があったんじゃなかったんだよね。東京生まれ東京育ちだから、食ができる場に身を置けることが嬉しかったんだ。
高校から学費は自分で払ってた。だから授業を無駄になんてできなかった。
美大の時は必死だったよ、みんな絵がめちゃくちゃうまいじゃん。僕は予備校だって1年しか通ってなかったからね。学費も自分で払っていたから、大学の授業も無駄にはできなかった。アメリカの高校からそう、学費は自分で払ってたよ。大学は奨学金ももらってたけどね。親には「自分でなんとかするからその代わり何も言わないでくれ」って言ってね。顔が必死だったから、多分美大で人が寄り付かなくて、友達ができなかったんだろうね(笑)
タマビのグラフィックは大学3年生の時に専攻を決めるんだけど、僕は選べなくて、1年間休学して再びニューヨークに行った。
SOHOエリアのど真ん中に、ユニクロ、H&M、American apparel、Old Navy、Banana Republicみたいな同じ価格帯のショップが並んでいるなか、黒人のおしゃれな人が、カタカナの「ユニクロ」のロゴが入った紙袋を持って歩いているのを見て日本人としてすごく嬉しかったんだ。同じ価格帯のなかでもそれを選んでくれたということに喜びを強く覚えて。これは日本の価値の高さをも伝えている「日本を代表する」アートディレクションだなって。ただモノが売れることだけじゃなくて、それに加えて日本代表として日本の価値の高さを伝える、みたいなことをやりたいなと思った。それで、アートディレクションに専念することにしたんだ。
「広告の時代は終わった」「若者はみんな自分たちでどうにかしろ」
大学卒業後、広告代理店のアートディレクターになった。アートディレクターとしての第一フェーズを「日本のお茶の間にメッセージを伝える術を学ぶ」ということに設定したんだ。
入社前から、会社には「国際感覚を持っていることを強みにしたアートディレクターになりたいと」伝えていた。だから、海外の広告祭やそれに関連するイベントにもたくさん参加させてもらった。
ラスベガスの広告祭(London International Awards)に参加した時に、登壇してた著名なクリエイティブディレクターたちがみんな、「広告代理店の時代は終わった」って言ったの。「僕らは一生リッチに終えられるから変わる気はない。若者はみんな自分たちでどうにかしろ」ってはっきり言ってて。はっきり言うところはいいよね。それが大きなキッカケになって、最終的には4年勤めた会社を辞めることに決めた。
理想像や哲学をクリアにして「共存」したいと思ってもらえるブランドに育てる
そんなわけで、少し前からはじめていたピーナッツバターブランドが中心になったというわけ。他にもアートディレクションやっているプロジェクトはあるんだけどね。
今は、ブランディングっていうジャンルにおける説得力の強い人間になりたいと強く思ってる。だから自分で代表権を握ってやっているんだ。事業をやる経営者のぶち当たる壁とか事情みたいなものを理解した上でディレクションができるようになったらすごい強いなと思ってね。周りをみると、自分で事業をやっていないために地に足ついていない夢のようなプランを語るディレクターが多い気がする。
自分が事業をやりはじめて今すごく思うのは、広告業界では「共感」ってキーワードをよく聞くんだけど、ブランディングにおいては「共存」が大事ってこと。このブランドと今回の人生は一緒に過ごしていきたいと、そのブランドを愛用・愛食することがモノとしての価値以上に哲学の共有や社会貢献につながる、それがブランディングの目指すところだと思うんだ。
そのために、自分自身もHAPPY NUTSも、どういう方向に理想像をおくのかをクリアにする必要がある。はっきりと言えるようにならないと、賛同のしようもないでしょう。だから、会社も4期目に入って、ピーナッツバターで食べていけてるようになって、栽培も加工も、発送も事務も人を配置できて、そうやって自由に使えるようになった時間を、今は「知見を高める」ことに使ってる。
社会におけるクリエイターの立ち位置を知れば、クリエイターはもっと役立てる
美大で身につける能力って、「魔法みたいな力」だと思うんだ。うまくもないものをうまいって見せられるじゃん!嘘つけるんだよね。だからこそ、その能力を何に使うかというのは、すごく真剣に考えていくべきだよね。
美大の教育にも課題があるのかもしれないけど、「社会におけるクリエイターの立ち位置ってこんなとこ」っていうのがあまりに見えないまま社会に放り出されているように思う。すごく役に立てるはずなのに、そこに身を投じなかったり、全然違うところで徹夜しちゃってたりして、もったいないなと思うんだ。
たとえば今クリエイターが役に立てると思うのは、新しいものを生むということよりも、先代が培ってきたものをどう引き継ぐかということな気がするんだ。実際、新しいものだって既存のものを現代版にアップデートしたようなものだったりするしね。
ピーナッツバター屋さんはますます領域もフィールドも拡大中
そうそう、そういうことにちょっと関連して、最近アメリカの環境保護団体「Stand for Trees」のメンバーに、HAPPY NUTSが入ったの。ステラ・マッカートニーが入ってるような本格的な組織なんだけど、彼らがめちゃくちゃ痺れる環境問題を訴える映像をつくってて。
日本人も見るべきだと思って「日本語の字幕をつくらせてくれ」って申し出たんだ。まだまだ微力ではあるけれど、今のうちからこういうのもHAPPYでやっていこうと準備をしている。社会的・環境的責任へ向き合うことを社風として根ざしていきたいので。
それに加えて、ネパールのプロジェクトもはじまりそうだよ。ネパールに教育革命を起こしたいという26歳の青年がいて、すでに小学校をすでに設立しているんだけど、子供達が2〜3時間かけて学校に来ても先生がいないということが当たり前なんだって。先生はお金だけもらって学校にこない‥‥、だから子供たちの卒業率も低い。その原因をさらに遡っていくと、ネパールには自国の産業がなくて、親が出稼ぎに出ていることが多く、子供たちは自分たちでサバイブしなくちゃならないという環境がある。
そんななか、ネパールのピーナッツは日本の5倍の生産量がある。だからHAPPY NUTS DAYをネパールでできないか、ネパールの名産品としてピーナッツバターを販売できないかという相談を受けているんだ。自国の産業をつくることができたら、国内で仕事がつくれる。親は出稼ぎに行かないで済むようになるし、その収益で学校も建てられる。
さっそく、ネパールで採れる黒糖とかを持ってきてもらって、試作品つくったりしてるよ。日本と違う味でね、美味しくできそうだよ。
(聞き手:上野 なつみ )
編集者/メディエイター。美大での4年間は「アートと世の中を繋ぐ人になる」ことを目標に、フリーペーパーPARTNERを編集してみたり、展覧会THE SIXの運営をしてみたり、就活アート展『美ナビ展』の企画書をつくったりしてすごしました。現在チリ・サンチャゴ在住。ウェブメディアPARTNERの編集、記事執筆など。