組織と引っ越しとお別れ

ポケモンGO解禁後、スマホを見ながら歩いてる人がゾロゾロいて、危なかっしい手羽です。

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他大学さんを見ても、教務部や総務部、学生部などはあまり大きな組織変更が起きません。
それは「学生・教員のための基本業務」「働く人のための基本業務」で業務内容がはっきりし、「大学で必要な仕事だから」ってのが大きい。
変化させるとしても教務部と学生部をくっつけるか別にするか、「グローバル対応(留学生・留学)」で国際系部署を別の部にするか中にいれるか、というところじゃないでしょうか。


一方「企画部」の仕事は、大学になければないで困るものではありません。ぶっちゃけ。
例えばムサビの法人企画グループは現在「法人企画」「広報」「IR」「社会連携」「研究支援」の5つのチームに分かれてて、業務内容は主に「理事長・学長などの役員秘書業務」「中長期計画策定」「「社会連携・産学連携」「大学のブランディング・広報」「IR」です。
でも、「役員秘書業務」は総務部管轄の大学も多い。
また「社会連携・産学連携」「大学のブランディング・広報」「IR」は、「学生の成績管理」「給料計算」などと違って絶対にやらなくちゃいけないもの、やってないからといって大学運営が止まるものではない。
これらは比較的新しい概念なので、どう取り扱えばいいのかよくわからん・・てのがどの大学も抱えてる悩みじゃないかと。「大学広報と入試広報は一緒にすべきか、別々にすべきか」「何をもって社会連携っていうのか?」で迷い、一緒にしたり離したり名前を変えたりを繰り返してるのが現状です。

なので、どの大学の企画部系部署は改編が行われやすい傾向にあり、ま、うちもそうなんですが毎年のように変わってて・・。
手羽が法人企画部に異動になった時・・・9年前頃の状況を思い出すと、法人企画部法人企画室と広報入学センター(入試担当・広報担当)と研究支援センターはそれぞれ独立した違う部だったんです。それが研究支援センターが法人企画部に入り手羽が室長を兼務するようになり、去年から広報担当が法人企画部に入り、今年度から5つのチームに分かれました。
今サラっと書きましたが、広報担当も以前は企画部にあったものを「大学広報も入試広報も一緒にやるべきしょ?」というポリシーで広報入学センターに移り、「いやいや、別なんですよ」てことで法人企画グループに戻ってきてたりします。「大学広報と入試広報の考え方」には個人的にある結論に達しているんだけど、立場的にここでは書けないのでご勘弁を。

ただ、社会が今大学に求めてるもの、文科省が大学改革のために提言してるものは何かというと・・・実はその「社会連携・産学連携」「大学のブランディング・広報」「IR」なんです。
「今まで存在しなかった新しい概念の業務」「どこにもくくりにくい業務」「前例のない業務」「微妙だけど大学としてやるしかない業務」「戦略的な業務」を引き受ける部署が必要で、やはりそれは理事長・学長の下にある法人企画グループのような部署がやるしかない。
大きく考えればなんでも「社会連携」「法人戦略」になっちゃうし(笑)、社会と大学をつなげる部署が必要になったということですね。東京造形さんも今年から総合企画室ができたし、タマビも確か米山さんのところがそんな感じの組織になったはず。ま、一言でいえば「企画」と名のつく部署は「何でも屋さん」ということなんですが。


てなわけで、昔は別組織だったもんで3つの部屋に分かれて業務をやってたけど、法人企画グループになって1年たち、やはり物理的に一つじゃないと無駄が多過ぎる、もっと効率的に流動的に人が動くには一つの部屋にまとめるしかない!!というわけで、来週7月29日に法人企画グループの事務局引っ越しが行われることになりました。


でも、29日といっても手羽は東工大合同ワークショップの関係で来週は大学に全然いないので、空いてる時間に机周りや段ボールの整理をちょこちょこ始めてました。お約束通り、昔の資料を見つけて「うわ。懐かしー」とかやりながらだったけど(笑)

実は広報から法人企画に異動してそのまま、9年間一度も開けなかった段ボールが1つあって・・。
9年ぶりに中を見たら、出版局に提案した「ムサビ日記」の企画書や宣伝するために収録したこっぱずかしい宣伝動画、出版局と交わした契約書が入ってて「ああ、この時に印税契約してれば少しは儲けたかな・・」と思ったり。
あ、ちなみに「売れてないわけじゃない。売れてるけどいっぱい作りすぎて在庫がいっぱいあるだけ(涙)」と言い訳のように表現してたムサビ日記ですが、お陰様で10年がかりでもうすぐ初版5000部が売り切れそうなんです。いや、ほんとに地味に売れてはいたんですよ。


・・・・うーん、今日の話はすぐ脱線しちゃうな・・。


そんな引っ越しの準備でワタワタしてた22日、一緒に仕事をしてきた木黄田さんが一身上の都合で退職されました。あ、「こ」が頭につく退職ではないので木黄田ファンの皆さんご安心を。
はい。「木黄田さんが退職しました」ということを書きたくて、その前の話は全て「とってつけた」話です。多分まだ知らない教職員の人もいるはずだし・・。

企画部はかなりスタッフのモチベーションや能力が大きく関係する部署といっても過言ではありません。昔ながらの「事務処理だけをやる大学職員」「縦割り組織」「大学のことは上の人が決める。それに従うだけ」の考え方を持ってる人じゃ全く使えない。
そう考えると今の法人企画グループのスタッフは能力もそうですがモチベーションが高い人しかいないので本当に助かってて、その代表格が木黄田さんでもありました。これから新しいムサビを一緒に作っていく1人だと信じてたのでほんとに残念で。手羽の力不足です。先生から「いい人が辞めちゃうのよね」と言われ、「・・・って手羽は?残ってる人間は変なやつばかりってことですかっ!!」と言ってみたり。

木黄田さんとの想い出は・・・言うほどないんだけど、やっぱり2009年に入試業務を一緒にやった時ですかね。ブログ書いてるとその時のことが残ってるからほんと助かる。
ムサビ日記 -室長の手羽-: 2009入試業務まとめ
・・・この時のこと思い出した。せっかく木黄田さんをかわいく描いてあげたのに、変な似顔絵をブレゼントされたんだった・・・「あ、普通の人って絵が下手なんだなあ」とわかった時だっけ。

木黄田さん、これからもムサビの頑張り具合を、手羽のクネクネ具合を長崎から見届けてください。でも木黄田さんは頑張りすぎるところがあるので、無理をなさらないように。

以上、最後に一緒に写真撮ったんだけど、なんか手羽が辞めるような感じになってた手羽がお送りいたしました。

なんで手羽が花持ってるんだ?
しかもこの花束、研究支援のみんなでお金出しあって買った花束なのに手羽のもの的になってるし。


この模擬店「手羽イチロウ」の時に作った看板もまだ捨てらずに取ってたんです。これを新しい部屋に持っていくか捨てるかが木黄田さんのことよりも今は最大の悩みで。
ラウンジにこっそり置いてきちゃおうかな・・・それとも貴重な大学史料ということで大学史史料室でいりません?

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。