スウェーデンのメディアを騒がせた卒業制作:アンナ・オデルが起こした「事件」

日本では、今まさに卒業制作展のシーズンですね。スウェーデンでの卒業制作展は5月中旬から6月初旬に行われるため、ちょうど今頃から学生が制作に取りかかります。 ちょうど7年前の今時分、一人の学生が卒業制作の作品のために行った「パフォーマンス」が問題になり、メディアから強い批判を浴び、世間から注目を集めました。 その学生の名はアンナ・オデル。スウェーデン人アーティスト、映画監督。「アンナ・オデルを知らないスウェーデン人はいない」といっても過言ではないほど、世の中を騒がせた人物です。 当時、彼女と同じ大学で勉強していた私は、一人のアーティストの、それも無名の学生がもたらした社会的インパクトに大変驚愕したのを覚えています。今回は、その彼女の「問題作品」について紹介します。

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精神疾患者を演じた「パフォーマンス」

2009年1月21日、「事件」はストックホルム中心部に架かるリルホルメン橋で起こりました。精神疾患を抱えているとみられる一人の女性が、橋から飛び降り自殺を図るところを通報され、警察によって精神病院に搬送されました。しかしその後、彼女が全ての行為は「パフォーマンス」だったと暴露したことから、「問題」が起こりました。


  • アンナが警察に保護されている様子。"Okänd, kvinna 2009-349701"ビデオクリップ。文化会館 (Kulturhuset)での展示風景より。

その女性が、アンナ・オデル。当時35歳。(注:スウェーデンでは、30代の大学生は珍しくありません)その年の春に卒業を控えたコンストファック国立美術大学の学生でした。橋の上でのアンナの一連の「パフォーマンス」は、彼女の卒業制作のビデオ作品の一部として記録されました。

アンナが病院の救急システムを利用したことや、警察や病院のスタッフに抵抗した行為についての是非が、TV、新聞などの各々のメディアで取沙汰されました。主に「アートだからといって何をやっても許されるのか?」と、アートプロジェクトの倫理的問題が議論され、特に当時その病院の院長だったデビッド・エベルハルトはメディアの前で強く抗議し、注目を集めました。(後々にこの院長が問題発言を繰り返し悪役に転じたことで、この出来事は更に話題性をもったとも言われています)

また、このプロジェクトについて、担当教員とともに倫理的、合法的観点から話し合い、学校側の承認を得た上での行動であったこと、更にアンナ本人が、警察に犯罪とは見なされない行為であることを事前に確認して実行したことなどから、それぞれの機関の責任についても問われることとなりました。

一方のアンナは、制作が終わって、卒業制作展で作品を公開するまで、プロジェクトの意図についてのメディアでの言及を断固拒否しました。そのため、様々な憶測や議論が飛び交い、更なる大きな騒ぎとなってしまったのです。


  • アンナを取り上げた当時の記事の数々。文化会館 (Kulturhuset)での展示風景より。


在学生として思ったこと

あの頃は、校内でも校外でもアンナ・オデルの話題で持ち切りで、同じ大学の学生だった私は、「アンナのプロジェクトについてどう思うか」と常に質問される状態でした。当時はアンナ・オデルという名前を聞く度に、正直「またか」とうんざりしていました。
まず一番の疑問だったのは、「なぜ一学生が起こした問題を、メディアが継続的に取り上げて議論しているんだ?」ということでした。アンナ・オデルの行為の是非についても、「どうせ目立ちたがり屋の学生が過度なことをしてしまった」程度のことだと思っていた私は、深刻に社会の問題として受けとめられて議論されていることを、うまく理解することができませんでした。

「スウェーデンはよっぽどニュースが少なくて、何て平和な国なんだ!」と驚きましたし、また「日本では絶対にありえないだろうな...... 権力の大きい方が小さい方に圧力をかけて、形式的に謝罪して終わるのが普通だろう」と思っていました。(最近も芸能界で似たようなことがあったような、なかったような...... 苦笑)
その時は、私自身がアーティストに憧れをもつ学生でありながら、アートはギャラリーや美術館の中でアート関係者のみで行われるものという、漠然とした認識しかなく、アートが社会にもたらす影響力については、確かなリアリティーも希望すらも感じていませんでした。
現にアートプロジェクトが大々的にメディアで論じられるのは、スウェーデンでも至極稀なことですが、実際に目の前で、アートと社会が真剣に「摩擦」を引き起こしている様を目撃できたことは、極めて刺激的な経験でした。


「マジメ」な作品意図

その気になる彼女のコンセプト。4つのドキュメンタリービデオで構成された彼女の卒業作品"Okänd, kvinna 2009-349701"(「無名の女性 2009-349701」という意味:搬送された病院でカルテに記された彼女のID) は、1995年にアンナ本人が精神病を患い、精神病院に入院したという自身の経験から、スウェーデンの精神医療に対して問題点を提起したものでした。


  • "Okänd, kvinna 2009-349701"ビデオクリップ。文化会館 (Kulturhuset)での展示風景より。

具体的には、精神医療の現場において、実際は治療ではなく、患者を拘束する傾向が強いこと、そこにおける権力構造、またスウェーデン社会における精神病への姿勢を非難する内容でした。

誰が病気で、誰が健康なのか。何が普通で、何が異常なのか。安全とは何なのか。社会を脅かすものは何なのか。それを決定するのは誰なのか。

一般の人々がアクセスするのが難しい、閉ざされた精神病院の中で何が行われているのか。その真実や賛否は別として、アンナの作品を通じて、これまで表立って議論されてこなかった精神医療に関する問題について、人々の関心が集まったことについては、社会に大きなインパクトを与えました。
実際に、初めは彼女のプロジェクトについて批判的だったメディアも、作品が公開されて制作意図が明確になった後に、一転して肯定的な見解を示すようになりました。


アンナの逆襲

さて、この騒動のおかげで、アンナは一躍時の人となったのですが、このプロジェクトを通じて起こった「ムーブメント」については焦点が当てられたものの、当の作品自体についての芸術的評価は曖昧な形で終わってしまっていました。
確かに一連のゴタゴタの後に、彼女の作品自体を純粋に評価することは不可能に近く、また人々の関心も彼女の作品へというよりは、寧ろこの騒動によって提起された問題(アートの倫理問題、学校側の責任、精神医療の問題点など)へと偏向していました。実際に、アンナ・オデルの事件を知る人は多くても、ほとんどの人が彼女の作品を見たことがないという現状がありました。


  • photo by Jonas Jörneberg

アンナ・オデルが再び注目を浴びたのは、2013年。彼女の監督デビュー映画 "Återträffan" (邦題「同窓会/アンナの場合」2015年秋に日本上映)が、ヴェネチア国際映画祭でプレミア公開され、スウェーデンのアカデミー賞ともいわれるGuldbagge Awardsで、作品賞と脚本賞を受賞し、まさに輝かしい栄光を勝ち得たのです。
「アンナの逆襲」ともいえるこの作品は、アンナ本人が「アンナ役」を演じる映画で、20年ぶりに開かれた同窓会が舞台。9年間学校でいじめられ、仲間はずれにされていたアンナは、実際にはその同窓会に招待されていなかったのですが、「もし招待されていたら」という設定でアンナ自身が短編映画を制作し、後日元同級生たちにその映像を見せて話し合うという、フィクションとノンフィクションが交錯するお話です。アンナはその短編映画の中で、空気を読まずにいじめられた過去について同窓会の演壇でスピーチをするのですが、「素なのではないか」と思わせるほど、素晴らしく「自分」を演じているところが見所です。
このアウトサイダー的視点は、彼女の卒業作品と共通している部分であり、この映画を観てからその卒業作品を振り返ってみると、「排除される」という事象についてより理解が深まるというのも面白いところです。


  • photo by Matilda Rahm

余談なのですが、アンナはコンストファックを卒業した一年後に、スウェーデン王立美術大学という別の学校の大学院に入学したのですが、私も偶然に同じ年に王立美術大学で勉強していました。(!)
学期初めにディナーパーティーがあり、そこにアンナ・オデルも来ていました。自由に席に座って団欒する形式だったのですが、「問題児」として認識されていたアンナ・オデルの周りに座る学生は皆無で、後から来た私と友人が、アンナのいるテーブル席に座ることになったのです。
最初は「あのアンナ・オデルだ!」と緊張していたのですが、意外にもアンナが当時11歳の息子との微笑ましい話をしてくれて、「なーんだ、普通にいい人だ(しかもママなんだ!)」と思った記憶があります。しかし、アンナを避ける周りの態度はあまりに露骨でとても不自然だったのが印象的でした。

それから3年後に "Återträffan"が公開されたわけですが、映画のシーンとあのパーティーの時のアンナの状況が重なってしまい、映画を見終わった後に何とも切ない気持ちになりました。
そういった日常的な疎外感を乗り越えて、世界的に評価される映画を作ってしまうなんて、何てタフな人なんだろう、と想うのです。

さて現在、ストックホルム文化会館 (Kulturhuset)で、アンナ・オデルの大きな個展が行われています。7年経った後に、"Okänd, kvinna 2009-349701"を取り巻いた一連の出来事を振り返ることで、大切なのは「結論」ではなくて、「議論」することなのだということを感じさせてくれる展覧会です。
世の中で正しいとされていることに疑問を呈することを怖れなかったアンナ。彼女が社会に訴えかけたものは、物事の是非ではなく、考える、話し合う機会の重要さなのだと思います。今後アンナがどう社会を「斬っていく」のか、彼女のこれからの活動がとても楽しみです。


▼開催情報
展示名:Okänd, kvinna 2009-349701
会期:2015年10月17日〜2016年1月24日
会場:ストックホルム文化会館 (Kulturhuset, Galleri 5)

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OTONA WRITER

HIROKO TSUCHIMOTO / Hiroko Tsuchimoto

1984年北海道生まれ。ストックホルム在住。武蔵野美術大学卒業後、2008年にスウェーデンに移住。コンストファック(国立美術工芸デザイン大学)、スウェーデン王立美術大学で勉強した後、主にパフォーマンスを媒体に活動している。過去3年間に、13カ国52ヶ所での展覧会、イベントに参加。昨今では、パフォーマンスイベントのキュレーション、ストックホルムの芸術協会フィルキンゲンで役員も務めている。