森下尚紀
1972年東京都渋谷生まれ。幼稚園から大学まで青山学院で一貫教育を受ける。中等部からサッカー部に入り、大学では体育会サッカー部に所属。関東大学選手権で得点王に輝きプロの道を目指すがプレー中の大怪我によりその道を断念。大学卒業後、アディダスの総代理店である株式会社デサントに入社。1998年アディダス ジャパン株式会社設立に伴い同社に移る。アディダス在籍中は、サッカーのみならず、ベースボール、ランニング、バスケットボール、テニス、ラグビーなどの商品開発を含む包括的なプランニング部門の総括責任者、営業部とマーケティング部の架け橋となるアカウントマーケティング部の責任者として重責を果たし、日本市場における販売シェアNo1の獲得に貢献した。2015年4月末にて同社を退社。同年5月、スポーツを軸とした新たな仕組みを構築することで、日本の明るい未来創りに貢献することを企業理念とするスポーツビジネスの総合マネジメント会社 株式会社MPandC(エムピーアンドシー)を設立する。
松葉:「Outsider Architect」 の8回目は、スポーツビジネスの総合マネジメントを行う株式会社 MPandC代表取締役社長の森下尚紀さんに主に以下の3つのトピックスについてお話を伺っていこうと思っています。
1:現実と新しいことをシミュレーションし、それを実現出来る環境を整えていく
2:斬新なアイデアをコーディネートによってビジネス的な成功へと繋げていく
3:アスリートと街を繋げていく
1:現実と新しいことをシミュレーションし、それを実現する環境を整えていく
松葉:大学までサッカーをされていたとお聞きしましたが、それがスポーツビジネスに関心を持つきっかけになったのでしょうか?
森下:幼稚園から大学までは実家のそばにある青山学院に通っていて小学生の時はラグビーをやっていたのですが、中学生からサッカーに転向し、高校を経て大学では体育会サッカー部に入りました。丁度その年(1993年)にJリーグが華々しく開幕したのですが、初代Jリーガーにはサッカー部の先輩達が大勢いて、自分もその流れにのってJリーガーになるのが当たり前だと思っていました。ところが、Jリーグ発足3年目頃に各チーム大勢抱えてしまった選手のリストラを行っていて、不運にもそのタイミングと自分の就職活動の時期が重ってしまいました。Jリーグの状況の変化に加えて、人工靭帯を入れるほどの大怪我をしていた膝の事を考えると、仮にJリーガーになったとしても長続きしないだろうと思い、一般企業を就職する道を選びました。ただ、それまで一般企業に就職をする事を前提としていなかったため、短期間の間で自分の進むべき道を決めないといけなかったのですが、突き詰めて考えてい行くと今までやってきたサッカーを活かさないでどうする、という思いがこみ上げてきました。というのも、以前膝の怪我で入院していた時に、病院の先生から「森下さんが怪我をした理由は、ストレスや栄養、睡眠不足だけでなく、シューズ選びなど色々な要素が原因となっているのですよ」と教えてもらったのですが、実は今までそのような事を教えてくれる人はいませんでした。だとすると、これからも自分のような怪我をする人が出てき来てしまう。だったらそれを教える事が出来る企業に入ろうと思い、当時、adidasの総代理店だったデサントの入社試験を受け合格し、入社後はadidas営業本部に配属されました。
松葉:adidasではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?
森下:営業本部に配属されて気づいたのですが、長年サッカーをしてきた自分が納得いくような商品が開発中のものを含めて一切ありませんでした。その状況を変えようと1年目にも関わらず企画の責任者に対して逆企画提案を行ったりしました。その甲斐あってか、2年目には商品企画部に移動となり、そこからサッカースパイクの開発を手掛けるようになりました。
松葉:なるほど、森下さんが担当されたスパイクのカスタマイズを行う「mi adidas」やリペアやシューズケアも行う「アディダス クラフトマンセンター」などの選手目線の企画は、サッカー選手としてのバックグラウンドによるものなのですね。
森下:adidas時代から今に至るまで自分の中で凄く大切にしていこうと思ったことは、自分のつくった商品を買ってくれる人が、最終的にどういう表情・笑顔になっているかという事までをきちんとイメージするという事です。最初から終わりまできちんとイメージ出来ないのであればそれは一旦ストップしようという事を心がけています。ものづくりをしているとついカッコいいものをつくろうとか、価格の安いものをつくろうとかいう思考に陥りやすいのですが、これをつくった時にどういうお客様が来て、どういう行動をして、どういう場で着用して最終的にどうなるのかという一連のイメージ、これを僕はシミュレーションと言っているのですが、このシミュレーションをとても大切にしています。シミュレーションが出来ないものに関しては前に進めていかないことにしていますし、逆にシミュレーションが出来上がったものに関しては、頭の中では全て企画書は書き上がっている状態です。売り方や価格設定、使用している場面や使用している人の表情などシミュレーションを実現する環境をどうつくっていくかという事がとても重要です。
松葉:インタビューに際して事前に頂いたメールにも「環境」という言葉を多く使われているという印象を受けました。自分の意図する事を実現するための「環境」が必要で、どういう「環境」をつくれば人がどう動くかという事を常に想定されているという訳ですね。
森下:一般的なマーケティングというのは結構理想主義なところがあって、「確かにおっしゃる事はわかりますが、現実にそれをやれるのですか?やったら売れるのですか?もしくはやるためにはどれくらいの費用がかかるのですか?」など、現実とかけ離れていることが多々あります。ですが、自分が大切にしていることは、あくまでも現実に即しているマーケティングです。また新しい事をやっていかないとそもそもマーケティングになっていきません。ですので、現実と新しいことを自分でシミュレーションし、それを実現出来る環境を整えていく必要があります。
松葉:頂いたメールの冒頭に「私は現実的なザ・マーケッターです」と書かれていたので、今お話をお聞きするまでは「ザ・マーケッター」という言葉の方に着目していました。ですが、実は「現実的な」という方が重要だったのですね。確かにマーケッターにせよコンサルタントにせよ、理想ばかり語って現実に即していないということでは何の意味はありませんからね。
森下:デザインも同じでして、プロダクトにおける良いデザインは奇抜で新しいことを描きつつも、実はその裏で現実的な使い勝手をきちんと実現しています。メーカーにも色々なタイプのデザイナーがいるのですが、そのことを理解しているデザイナーのデザインした商品は必ず売れます。
松葉:今お話を伺っていて、自身の設計した建築が見かけばかりで話題づくりのみに終始していないかなと不安になりました・・・(笑)。
森下:ただ、松葉さんのような斬新なデザインに特化したような方は、その部分はあまり意識しなくて良いのかしれません。意識しすぎてしまうと新しいものを生み出す事が出来なくなってしまうと思います。「MPandC」という社名の由来をご説明しますと、弊社が得意としている「Marketing」「Planning」「Coordinating」の頭文字を取ったものです。我々はコーディネイティングも業務として行うのですが、松葉さんを我々がコーディネートすることによって、新しくも現実的に即したものを生み出していくということが出来るのだと思います。
松葉:確かにその方が良い結果に結びつきそうですね。ここ一年くらいはプロジェクトの大小に関わらず極力他者(社)とコラボレーションするように心がけてきたのですが、それを通じて気づいたことは、図面をいっぱい描いてくれるような人より自分を上手く使いこなしてくれるコーディネーターの方が重要だなという事でした。自分と同じような職種の人間ではなく、自分に無い能力を持っている方と協同していかに良い結果を出していけるかということが重要なのだと思います。
2:斬新なアイデアをコーディネートによってビジネス的な成功へと繋げていく
松葉:adidas時代に手掛けたプロジェクトで印象深いプロジェクトをお教えいただけますか?
森下:2002年の日韓ワールドカップの際に、スタジアムを日本代表のチームカラーのブルーに染めるというプロジェクトが特に印象に残っています。2002年以前の国立競技場の状況などを写真で見ていただけると一目瞭然なのですが、元々日韓ワールドカップが来るまでスタジアムの観客席にいるのは、大体スーツ姿のサラリーマンばかりで、ゴール裏の本当に一部のエリアを除き一体感を持ってチームを応援するという雰囲気ではありませんでした。もちろん女性の姿を見ることもほとんどありませんでした。そうした状況で、ワールドカップ開催の際に訪れた観客全員に日本代表のユニフォームを着させるにはどうしたら良いのだろうか?というシミュレーションを行いました。ただ、ユニフォームをつくっただけではこのような状態にはなっていかないので、どのような広告を打てば人の心に響くのか?などあらゆる事をシミュレーションし、必要な環境をつくりあげ、結果スタジアム全体をブルーのユニフォームを着た人で埋め尽くしました。この経験は違う競技(ベースボール)の読売ジャイアンツと契約した際にも活かされており、東京ドームをチームカラーのオレンジ一色に染めることにも成功しています。また、2010年のワールドカップ南アフリカ大会の際には、女性がどうしたら日本代表のユニフォームを着たいと思うかというシミュレーションの下、お茶の水美術専門学校の学生と協同でJR渋谷駅の女子トイレを 日本代表のロッカールームに見立てたブルーの空間に変貌させる企画を実施しました。選手たちのイラストや名前、背番号が描かれた空間を体験することによって、日本代表に興味を持ってもらい、最終的にはユニフォームを着て応援してもらうという行動に結びつきました。
松葉:大勢の人が利用する一方であまり良いイメージのない駅のトイレに、広告スペースとしての価値を見いだすというのは非常に斬新ですね。
森下:このプロジェクトによってトイレもきれいになりましたし、今までマーケティングスペースとしてとらえていなかったトイレに対する価値が変わりましたよね。
また、もう1つ印象に残っている事例としては、2002年のワールドカップの公式球「Fevernova」の発表の際に実施した渋谷交差点でのイベントです。巨大なサッカーボールのオブジェを屋根に備え付けた車を路上にとめました。大きなサッカーボールが車の屋根を直撃して車が破壊されるというストーリーを表現することで、多くの通行人が注目し、各ニュースで取り上げられました。このストーリーにより限られた予算で最大限効果を引き出した広告が実現しました。事前にメディアに情報をお知らせし、貸し出用のボールや資料を用意しておくことでTVニュースをはじめ様々なメディアに取り上げてもらいました。まあ、警察からは大分怒られましたが(笑)。この時もどういう環境をつくれば人がどう行動するかという事を綿密にシミュレーションしています。
松葉:なるほど、これはかなり斬新な広告ですね。ほとんどお金もかかっていないのでしょうし。ただ、警察の面子は丸つぶれでしょうが(笑)。
森下:わたしは斬新なものをつくり出す事はなかなか出来ませんが、そういうものをつくり出せるセンスの良い人達を上手にコーディネートしていく事でビジネス的な成功へと繋げていけるのだと思います。また、意外にこのようなコーディネートをきちんと行っている人はわたしの知る限りあまりいません。2014年のワールドカップの際の事例を挙げますと、様々な企業がスポンサーになっているのですが、その企業間で連携してのマーケティングやイベントはあまり積極的にはおこりません。そこでワールドカップの会期前後の約2ヶ月間、六本木ヒルズのカフェを借りてイベントを行いました。通常、家賃が非常に高額なため1社だけでは長期間借りることは収支面で困難ですがワールドカップ関連の企業を複数集めて十分な予算を確保することで2ヶ月間イベントを実施しました。結果、相乗効果を生み出しイベントは大成功だったのですが、このような事を実施する人は他にはいませんでした。
松葉:確かに、同じ目的の下に集まってきているのであれば、一緒にイベントを実施した方が効果的ですよね。何故いないのでしょうか?
森下:気づいていないという事と、面倒であるという事に加えて、広告代理店がバラバラなため各社で連携するという事が無いという理由が大半だと思います。
3:アスリートと街を繋げていく
松葉:adidasで様々なプロジェクトに関わり、お仕事も充実されていたと思います。何故ご自身が代表となって新たなプロジェクトに取り組もうと思われたのでしょうか?
森下:adidasに在職中に色々な方と出会い、その出会いを通じて1つの会社に所属していると出来る事の限界を感じ始めました。そこで、やはり一から自分でやっていくしか無いだろうと思い、2015年7月に株式会社MPandCの代表取締役社長としてスタートを切りました。
松葉:どのような事業を展開されているのでしょうか?
森下:基本的にはスポーツ事業のマネジメントを中心に行っているのですが、最初にあえてスポーツとは無縁のプロジェクトを紹介させていただきます。“日常の世界に「ウルトラな男」を創り出す”をコンセプトにウルトラマンをモチーフにした「A MAN OF ULTRA」というブランドで、2015年の10月1日から31日までの1ヶ月間表参道ヒルズに期間限定ショップを出店、その運営業務を行いました。期間限定ショップのために用意されたスペースは2坪位の広さでして、事前の調査でも、店舗の立地的やスペース規模的にもかなり集客は厳しいということもわかっていました。ですので、普 通にショップを出してもかなり厳しいということは容易に想像できます。その状況の中で売り上げをあげるためには、情報を広く拡散して人々に周知するしかないと思いました。ちなみに、松葉さんだったらこの状況にスタッフ何人体制で臨みますか?
松葉:1日2人で回るとして、せいぜい4~5人位かなと思いますが?
森下:普通だったらそうですよね。けれども今回は2坪位の広さで1ヶ月の期間限定ショップのために12名のスタッフを雇用しました。しかも、月に1回、最終日にしか入らないスタッフもいるというような状況です。基本的にこのような体制では機能しませんよね。しかもそんなスタッフにもアルバイト代より高いスニーカーを支給しました(笑)。ただ、採用したスタッフは皆SNSのフォロアーが何千人もいる非常に高い情報発信力を持った人物達でして、販売に加えて情報拡散というタスクを与え、期間限定ショップの情報を広く拡散してもらいました。その結果「A MAN OF ULTRA」の期間限定ショップは表参道ヒルズワゴンショップの単月売上記録更新を実現しました。運営費をもらって運営だけをやるのは簡単なのですが、しっかりと成功させなければ意味がありません。そのためには何が足らないのかというシミュレーションを行い、環境を整え、求められた以上の結果を出すように心がけています。
松葉:スポーツ事業ではありませんが、森下さんのシミュレーションや環境という考え方は常に一貫していますね。スポーツに関するプロジェクトについてもお聞かせいただけますか。
森下:アスリートのセカンドキャリアのサポートをするために、アスリートと街を繋げていく「アスマッチプロジェクト」というプロジェクトを、衆議院議員の鴨下一郎さんが理事長代理を務めるNPO法人のPOINT GREENの活動の一環として取り組んでいます。元アスリートは大勢いて、現役時に頑張っていればいるほど辞めた後良い就職先を見つける事が出来ません。その事に今子供を持つ親世代は少しずつ気づき始めていて、子供にはスポーツは程々にして、間違ってもアスリートを目指すなという教育をしてしまう傾向が強まっているように思います。そうすると日本のスポーツがどんどん弱体化してしまいます。ですので、何年先になるかわからないですが、スポーツを真剣にやっても大丈夫だという環境を今からつくりあげていきたいのです。これは自分自身に課されたミッションだと思って取り組んでいます。具体的な話をしますと、例えば各自治体が所有している体育館の職員に元アスリートを雇用したとします。元アスリートですので今まで培ってきたノウハウや人脈もあります。それらを駆使すれば色々なスポーツプログラムを作成したり、質の高いイベントを実施したりすることが可能です。そうすれば体育館利用者の満足度も上がりますし、やり方次第では収益を生み出す事も可能になると思っています。他にも街のスポーツショップで元アスリートをスタッフとして雇用してもらい、その勤務時間の一部をみなし勤務として地域のクラブチームや部活活動のコーチをするなどというと取り組みも進めていけたらと思っています。もちろん、スポーツショップの人件費は多少かさむかもしれませんが、一方で自分のお店のスタッフが指導者になればそのチームの人達はスポーツショップのお客様にもなり得ます。うまく機能すれば結果売り上げの上昇にもつながりますし、地域のスポーツ振興にもなります。
松葉:どの自治体にも体育館はありますし、市民センター等に併設されている小さな体育館も含めると結構な数になると思います。そうしたところで充実したスポーツプログラムが実施されていれば、近隣住民も喜びますし健康促進にもつながりますね。近年の高齢化率の上昇によって医療費が増大しているという現状がありますが、これを解消するためには人々が適度に運動し健康に暮らすというのが一番効果的なのだと思います。
森下:そして、アスマッチプロジェクトの特徴的な点は、ビジネスではなく企業のCSRとしてやっていこうということです。ビジネスでアスリートのセカンドキャリアサポートを行っている事例は既に多く存在するのですが、ビジネスの場合その会社の利益が目的になってしまうため応援者がなかなか増えません。そして凄く大変な作業なため応援者がいないとなかなか広がっていきません。ただ、各企業のCSRとして行うアスマッチプロジェクトの場合、ビジネスベースではあり得ない環境が出来上がっています。アスマッチプロジェクトの活動を指示するPOINT GREENの理事には鴨下一郎先生を始め、錚々たるメンバーが名前を連ねているのですが、皆さん一切報酬を受け取っていません。ですが、ビジネスでないからプロジェクトの趣旨に賛同して、このようなメンバーが集まってきているのだと思います。今後はラグビーを始め、各競技の日本代表クラスの方に活動に参加していただける予定です。また、非常に現代的だと思うのはアスマッチプロジェクトの告知に際してはLINE@を活用しているのですが、これもLINEのCSRとして無償で活用させていただいています。
松葉:LINE@を活用しているというのは現代的ですね。またビジネスでなくCSRでの活動というのはなかなか出来ることではないと思います。アスマッチプロジェクトは「アスリートと街を繋げていく」がキーワードになっていますが、建築設計やまちづくりに関わっている立場からすると非常に興味深い内容です。それ以外にも同様のコンセプトを持ったプロジェクトはありますか?
森下:米原市と母校の青山学院のプロジェクトも「アスリートと街を繋げていく」がキーワードになっています。2015年の11月初旬に滋賀県米原市と青山学院大が教育の支援など包括的連携協定を結びました。首都圏とのつながりを強化することで、女性や若者にとって魅力あるまちづくりにつなげていくという米原市の意向と、関西地方の学生らと交流することで大学に多様性を持たせたいという青山学院の意向が合致して今回の協定締結に至りました。具体的には、青山学院大学が最も力を入れる英語教育のノウハウを生かし、夏休みなどに教員や学生を米原市の高校に派遣して授業を行ったり、小中学生の学習支援や市民向けの公開講座の実施、インターンシップの学生の受け入れや米原駅東口まちづくり構想への参画、さらにはスポーツマネジメントを実践的に学べる場や機能誘致の研究などの連携を予定しており、弊社はスポーツ領域でのお手伝いをさせていただきます。私は街に新しいものをつくっても数年で風化していってしまう、そしてまた隣町に新しいものが出来るということでは駄目だと思っています。やはり継続的に育っていく事が必要です。そう考えた時に教育機関が出来て、そこに学生が集まり街に入って行くという事が必要だと考えました。ただ、青山学院が加わっただけではわたしの考える街づくりではありません。そこでヨーロッパの地方都市のあり方を参考にしました。ヨーロッパは地方の小さな街にもサッカーのクラブチームがあり、そのクラブチームを軸として街が回っています。例えばクラブチーム施設内にテニスやバレーボールなどの様々なスポーツのクラブやアスレチックジムがあったりします。またクラブハウスには地域住民がお酒を飲みに来たりもします。練習風景を見ながらお酒が飲めるわけです。所属選手は引退後クラブハウスで働いたりスクールでサッカーを教えたりしています。街がスポーツを中心に回っているとも言えますよね、凄く地元愛が強いのです。そしてこのモデルは今後の日本の地方のあるべき姿なのかもしれないと思っています。そこで米原市では米原駅東口周辺まちづくりプロジェクトにスポーツ競技チームを組み込み、このモデルの実現を目指します。たとえば、フットサルのプロリーグの運営はどのクラブチームも厳しい現状となっていますが、このプロジェクトでは、ヨーロッパのモデルを参考に地域と密着しまちづくりの1つとしてフットサルチームを1から育てていくことが可能であると考えています。そして同時に、実践的なスポーツマーケティングの場として教育との連携を取り入れていきます。この米原市での取り組みは、10年後には日本各地の自治体で採用されているモデルになっていると思います。
松葉:国の施策によって今地方創世の下、人とお金が地方に流れていまよね。そして建築業界では空き家再生や地方都市でのリノベーションなどが積極的に行われ、その活動によって注目を集めている建築家も大勢います。僕はその姿を見て凄いなと思う一方、10年後はどうなっているのだろう?という疑問も感じてしまいます。今後仮に国の方針が転換し予算が打ち切られた際に、どれだけの自治体が活力を維持する事が出来るのか?数多くあるうちのどれだけのプロジェクトがきちんと地域に根ざし、かつ中長期の戦略として取り組まれているのだろうか?ただのブームだけでないか?と。ですが、今伺っていた米原市のフットサルの取り組みには未来を感じました。理想だけでなく現実も十分に想定されているのと同時に、切り口が多岐に渡っているからだと思います。もちろん実際にやってみないとわからないとは思うのですが、それでも10年後、20年後に人がアクティブに生活している姿を想像する事が出来ます。
森下:各地域で取り組まれている空き家再生やリノベーションというのもいいところまで来ているのだと思います。ですので、何かと融合してイメージ出来てくればより良いものになっていくのだと思います。ただ、空き家再生やリノベーションだけで動くと予算の打ち切り等によって駄目になったり、1年経ったら目新しさが無くなって人が集まらなくなってくるというような事になるのだと思います。10年後も20年後も人が住み続けたいと思う街となるために何が必要かということを本気で考える必要があります。今、我々が米原市側に提案しているのが幼児教育です。これから子育てをしていく世代が米原市に安心して住んでもらえるようにするために、優れた幼児教育を行う施設を米原駅前に誘致したいと思っています。そうすれば米原駅周辺に人が大勢集まってきますし、また、米原駅周辺には古民家がかなりの数ありますので、そこを改修して若い夫婦が住むというような事がおこってくるかもしれません。駅間を通じて米原市が盛り上がってくるのだと思います。色々な事を次々と思いつくのですが、いずれにしてもこういった事をきちんとやっていくという事が、環境を整備するという事なのだと思います。
松葉:確かに、子育て世代が常に住みたいと思う街になっていかないと、高齢化率は上昇し、いずれは街から人がいなくなってしまいますよね。スポーツを専門とされている森下さんが幼児教育にまで言及されているのは一見すると不思議な事かもしれませんが、10年後も20年後も住み続けたい街とは?というシミュレーションと、その実現のためにどんな環境が必要か?という思考を常にお持ちであれば、ジャンルにとらわれず幅広い発想が出てきても不思議では無いと思いました。
協力:藤沼拓巳
株式会社 TYRANT 代表取締役 / 一級建築士 ( 登録番号 第 327569 号 ) 1979年東京都生まれ。東京藝術大学大学院修了後、事務所勤務を経ることなく独立。人生で初めて設計した建物が公共の文化施設(旧廣盛酒造再生計画/群馬県中之条町)という異例な経歴を持つ。また、同プロジェクトで芦原義信賞優秀賞やJCD DESIGN AWARD新人賞などを受賞。