美大生の海外留学何がいいの? イギリスで得たもの、失ったもの

東京のデザイン事務所で働く前の2010年から2年間、イギリスの美大で写真を勉強していました。日本の美大を離れて、馴染みのない国での制作活動。受けた影響も大きく、貴重な経験だった一方で、帰国してから苦労したこともありました。留学中とその後の体験談をお伝えしたいと思います。

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  • 2012 United Kingdom / Photo by Yuri Gomi

もともと英語が得意だったわけでもなく、美術をはじめたころは留学とは縁のないものと思っていました。しかし日本の美大で、短期間で完成させる制作をこなすうちに、育った環境を離れて、一度しっかり時間をかけて自主制作をしたいと思うようになりました。

また、様々なものを見てアートディレクションの引き出しを増やしたい、そのために語学も身に付けたい、そして写真のことをもっと学びたいと考えていました。それらを一度に達成するための選択肢が、交換留学でした。

在籍していた東京藝大の交換留学で渡英し、のちに正規留学生になり、20代半ばの2年間、ロンドン郊外で学ぶことができました。


  • 申請や内諾、語学など約1年の準備を経て、イギリス・サリー州にあるUCA芸術大学へ向かいました。


得たもの1: 海外で制作活動をはじめ、作り手としての輪郭が浮き彫りに。
自分の制作の「核」が見えてきた。


実際に生活をはじめると、母国語、家族、旧知の友人、学歴、業界の繋がり、土地勘などが全てシャットダウンされ、ほぼゼロから歩み始める頼りない自分がいました。「交換留学生だから寮には入れない」と突然言われ、急遽家探しがスタート。ところが家探しに必要な、保証人や銀行口座も携帯電話もない状況、「どうするんだ自分!」とツッコミを入れたくなることもありました。そんな状況下で、スーツケース1つの最低限の荷物で生活を始めると、今の自分に出来ることと出来ないことがよく分かり、等身大の自分が見えてきました。

実技面でも同じく、現在の自分が見えてきました。それまでに身につけた技術、考え方、表現の個性といった、身に染み込んでいるものだけが残り、制作者としての輪郭を浮き彫りにしました。まず出来ることを確認し、他者との違いを考え、そこから自分にしか作れないものは何かを考えはじめました。あたらしく作品を作るには恵まれた、今までにない、自己に集中できる環境でした。


  • 夜は桜のように見える花が、郷愁を誘います。

さらに、美大生同士は、国籍が違っても言葉が完璧でなくても、お互いの作品を通してすぐに打ち解けることができました。バックグラウンドも年齢も違う同級生たちの、真摯なプロジェクトは、刺激と励みになりました。

そうして初めて海外で暮らしてみて、差異を知る一方で、国や文化を越えて共通するものを見つけたとき、人や社会の本質のようなものを見ることができました。同様に、制作面でも、クライアントのいない自主制作を複数進めたことで、コンセプトの共通点を見つけることができ、制作の核とも言える「作品を通して表現したいこと」が見えてきました。


  • キャンパスがあったイギリス南部のFarnham。古き良き街並みの残る、小さな美しい町でした。


  • 街の端から向こうは、草原や森が広がっていました。



得たもの2: 多くの作品を見て、芸術を理論的に考察する経験。

美大のなのに評価の半分は論文。さらに実技評価の半分はリサーチ。
イギリスの美大教育で新鮮だったこと。

イギリスの大学院はネイティブの学生よりも留学生の比率が高いことが多く、私の所属した研究室では部屋にいる全員の国籍が違うこともありました。それゆえ検討会では作品を見る角度が様々で、幅広い視点に触れることができました。教授がおすすめしてくれる企画展やアートフェアが欧州の他国のものであったり、美術をきっかけに自分の世界地図が広がりました。

教授陣は「作品は完成してから持ってくるのではなく、アイデアのメモや、参考にした本やウェブサイト、展覧会の資料を検討会に持参し、相談するように」と、制作プロセスを重視していました。コンセプトメイキングの過程をまとめた書類が、実技と同等の評価対象となる学科もあるほどです。


  • 同学科の学部生の授業は聴講することができました。

  • 検討会とワークショップを中心とした大学院の授業。

仕上がりだけでなく制作過程も評価の対象なので、リサーチにも時間をかけることができました。幸いにも電車で1時間弱のロンドンでは、たくさんの美術館やギャラリーで企画展が行われていて、アートとしての写真作品にも多く触れることができました。引きこもる制作ではなく、外へ出て見聞を深め、得た情報を論文で分析し、それをふまえてコンセプトを考えるアプローチは新鮮でした。

また、私の学部では評価の半分が論文でした。日本で論文を書いたことがなかったので、書籍を参考に他作家の作品を分析し、理論的に考察するのは勉強になりました。成績のつけ方は、審査項目がリストで開示され、スコアは学外のゲスト教授による再審査が行われ、とても明快でした。


  • 論文の執筆経過。提出間際まで修正を重ねました。

  • UCA芸術大学Farnham校 併設のギャラリー。

  • ロンドンは展覧会以外にも、店内装飾に凝った場所が多く美大生には見所満載です。


得たもの3: 履歴書の作り方の違いを通して、
経歴に頼るのではなく、個人の技術と能力を高めることの重要性を学んだ。


イギリスでは新卒採用というものが一般的ではなく、卒業後まずはインターンとして社会に出る人が多い印象でした。美大生の履歴書にあたるものは「Creative CV」と呼ばれ、黒いボールペンで手書きで…という日本の履歴書とはだいぶ違っていました。レイアウトや図表、グラフや色など表現を工夫し、出力で提出します。 記載する内容は、使えるソフトや機材、インターンやアルバイトも含む職業経験、学歴、展覧会などの経歴、話せる言語、性格など人それぞれ。オリジナルのフォーマットなので人柄が表れてきます。生年月日や性別が、書く必要ないけれど書いてもいい程度の情報だったのは、日本の履歴書では上の方に書き慣れていただけに驚きでした。
 
CVでは、技術や能力など実践力をアピールする側面が強いので、経歴に頼らず、個人の能力をスキルアップしながら働いていく文化の一片を見たような気がしました。学生も、在学中からインターンで社会経験を積んだり、展示や出版に携わったりと、実践力をつける努力をしていました。


  • アルルフォトフェスティバルのレビューに有志参加。

  • 多くのイベントを学生料金で見ることができました。

  • 大判カメラ実習。 アナログの基礎を復習。  

  • ネガスキャンや出力で通ったデジタルルーム。

  • 学生ビザは制限時間付きで働くことが可能だったので、イベントの撮影の仕事なども受けることができました。



得たもの4: 専門分野の現場で身に付いた言語と会話力。
国境を越えて出会えた友達。


作品のコンセプトを掘り下げるときや、ディスカッションの場で、作品を言葉にする難しさに重ねて、語学の壁。しかし教授や友人に伝えたいことがあるので、段々と英語が身に付いていきました。
作品コンセプトの英文に奮闘したことは、後にデザイナーになってから、海外賞のプレゼン資料作りに活かせました。留学前は話す機会のなかった英語に慣れることができ、まだまだ足りないけれど、言いたいことを伝えられるようになりました。

何より、日常生活や美術関係のことなど、さまざまな国の人と自分の言葉で話す楽しさを知りました。そのおかげで、母語が違っても気の合う人たちと出会うことができ、各地にかけがえのない思い出が残り、今でも相談できる心強い友人が増えました。


  • 昔ながらの建物の歴史と現代を融合したような、趣のあるパブが多く、友人や教授と授業後に寄ることもありました。



得たもの5: 正規留学によって確保できた試行錯誤する時間と、イギリスの学位。


長所短所が異なる交換留学と正規留学との違い


海外で制作したいと思ったとき、すでに日本の大学に在籍していたため交換留学を選びましたが、学費面、最初に要求される英語のスコアのハードルが低かったので助かりました。ただ交換留学は期間が短く、相手校で卒業や修了の学位が習得できないことが多いです。

私は、プロジェクトをある程度の手応えを得られるまで継続したかったので、学校に交渉して正規留学に切り替えることにしました。それでも馴染みのなかった環境で制作をする2年間はあっという間に過ぎてしまいましたが、修了するまで、本当に貴重な期間を過ごさせてもらったと思います。


  • 欧州に長く滞在できたために制作できた作品「LANDMARK 1966-2012」の展示風景


  • 卒業式。異国で切磋琢磨した同級生と一緒に修了することができ感慨深かったです。



得たもの6: 離れてみて、日本で制作するアドバンテージに気づいた。


描きかけのデッサンもそうですが、育った国も離れてみると客観的に見られます。ロンドンの本屋で日本のグラフィックデザインを久しぶりに見たとき、とても精度が高いと思いました。色彩感覚の繊細さ、文字など、日本では当たり前だったことも距離を置いたことで、貴重な感覚や技術だと分かりました。暮らしの面でも、電車が予定通りに来る、美味しい食べ物がすぐ買える、文房具や電子機器など制作に必要な物が豊富で高品質、修理が早いことなど、日本に暮らすと、集中して仕事ができるという便利さに気づくことができました。


  • 冬は毎日が極寒、曇天でした。


留学で多くを学んだ一方で、機会を失ったこと、帰国後に苦労したこと3つ。

失ったもの1: 想定外のことが起きたときに、家族を手伝えなかった。


介護の必要な家族もいなかったので、今ならばと留学したものの、2年間の留守のあいだ家族に予想外のことが起きても、手伝うことができませんでした。イギリスの入国管理が厳しいことや、学生の身で交通費のこともあり、頻繁には日本を往復できません。家族から「あのときは大変だった」と聞くたびに、心が痛く、また社会人になるのも遅くなり迷惑をかけてしまったので、留学経験はかならず活かさないといけないと思っています。

失ったもの2: 新卒の就職活動をする機会。

帰国の時期によっては就職活動に参加することが厳しくなります。特に美大生がデザイン職を受けるときは、就職活動に持っていく制作物を1年以上かけてコツコツと作ることが多いです。そこで海外で論文を書いていた時間が長いとなると、一時帰国して面接だけ受けるというわけにもいきません。
もちろん、積極的に企業に働きかけ、社会人の一歩を踏み出した留学経験者も多くいます。それでも、海外経験が必ずしもメリットにならない新卒採用は独特だと感じました。

失ったもの3: 東京の時間感覚。

もともと東京で制作していたときは制作漬けの日々でしたが、イギリスで私生活も大切にする時間の流れ方に馴染んでしまい、東京の時間感覚を取り戻すのに苦労しました。仕事だと周りに迷惑をかけてしまうし、ヨーロッパの街並みがフラッシュバックするような、逆ホームシックに悩まされました。それでも、私の場合は、母国で仕事ができないまま、所縁のない他国で成功するのは難しいと思ったので、再び環境に適応していくことにエネルギーを消耗しました。



良いことばかりではないけれど、
もし遠回りが許されるなら「なぜ作るか」を考え鍛える時間を。


  • 教授の著書。写真教育の本"BEHIND THE IMAGE"

このように、海外留学は良いことばかりとは言えないかもしれません。それでも、新天地でゼロから作品を作り、迷走し、のちに教授が著書に私の作品を掲載してくれたことなど、遠い国で手応えを得ることができた経験は、その後の自分を支えてくれています。

「どうしてあなたはこの作品を作るのか、なぜこの手法なのか」と頻繁に尋ねられ、考える経験は、即効性はなくても、壁にぶつかったときに効いてくるはずです。

「どう作るか」を学ぶことももちろん重要ですが、もし遠回りが許されるなら「なぜ作るか」をしっかり考えると、制作していく上で、タフさに繋がります。留学はその考えを鍛えるための有効な手段だと思いました。

これから旅立つ美大生が、新しい環境で実り豊かな経験ができることを願っています。

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OTONA WRITER

五味 由梨 / YURI GOMI

デザインとアートディレクションを東京藝大で、写真をイギリスの大学院で学んだのち、東京のデザイン事務所でグラフィックデザイナーとして勤務。その後、フリーランスでデザインと写真の仕事をしています。主な作品に、杉並区の公式キャラクター「なみすけ」など。 制作のバックグランドになった旅のことや、様々な国で見たものを、美大出身の視点で発信しています。