繊維産地に新しい風を入れて、新たな価値を生み出す OA vol.5 キュレーター宮浦晋哉

「世の中を生き抜く術・勝ち残る術」をテーマに、建築界の異端児の異名をとる建築家松葉邦彦が今話したい人物と対談、インタビューを行い、これからの世の中を生きて行く学生や若手に伝えたいメッセージを発信する。第5回は東京の下町、月島にある築90年の古民家を改装して出来たコミュニティスペース「セコリ荘」を運営するキュレーターの宮浦晋哉さんにお話を伺いました。

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宮浦晋哉
1987年千葉県生まれ。2012年、日本のものづくりの創出と発展を目指すキュレーション事業「Secori Gallery」を創業。国内産地の取材を通して、執筆、編集、出版、イベントの企画運営、商品開発、プロモーション、ディレクションなどに携わる。 2013年、各産地の魅力を集めたコミュニティスペース兼ショールーム「セコリ荘」を設立。2015年、ウェブメディア『セコリ百景』をリリース。2015年10月2日、セコリ荘の北陸産地への展開店「セコリ荘 金沢」を開店予定。

松葉:「Outsider Architect」の第5回は、東京・月島でセコリ荘を運営する宮浦さんにお話を伺って行きたいと思います。前回の五十嵐さんとの対談に引き続き、この連載では「世の中を生き抜く術・勝ち残る術」について、ゲストと一緒に考えていきます。今回は主に、以下の3つのトピックについて話をしていこうと思います。

1:現場取材から学ぶ
2:全国の繊維産地にギャラリーをつくりたい
3: ファッションに道に生きていくには

1:現場取材から学ぶ

松葉:宮浦さんは元々大学で建築を専攻されていたとお聞きしましたが、何故ファッションに転向されたのでしょうか?

宮浦:高校卒業後に芝浦工業大学の工学部に進学をしたのですが、2年で中退し杉野服飾大学の2年次に編入しました。空間を作ることに関心があって入学したのですが、大学入った瞬間「これからは家が建たない時代だから、君たちは建築家になれない」みたいなことを教授から言われてショックを受けました(笑)。18歳の希望に溢れた学生に言う事なのかと・・・。芝浦時代からダブルスクールで夜は服飾の勉強をしていたこともあって、リアリティのあるファッションの道に進むことを決めました。

松葉:家が建たないなら家以外の建物を建てれば良いじゃんって個人的には思いますけどね。ちなみに、僕も同じ事を教授から言われました「建築家になれるのは100人に1人もいないって」。当時所属していた専攻は学生が100人もいなかったので誰もなれないじゃんって思いました(笑)。どこの学校でも通過儀礼的に言っているのでしょうね。


  • 宮浦晋哉

宮浦:当時、僕にその発想があれば建築続けていたかもしれません(笑)。杉野服飾大学卒業後は、渡英してロンドン・カレッジ・オブ・ファッションという大学のメディア・コミュニケーションコースというところで学びました。

松葉:元々はデザイナー志望だったのですか?

宮浦:元々はパタンナーとか技術方面に進みたくて、杉野服飾大学に入ってからもテーラードを作るコースを専攻しました。デザインというデザインはほとんど行わず、スタンダードを学ぶコースでした。

松葉:一概には言えないですが、入学当初って建築専攻だったら建築家になりたいだとか、ファッション専攻だったらファッションデザイナーとか、一見すると華やかそうな職種を目指す学生が多い気がするのですが、宮浦さんは最初から技術方面に進もうと思っていたのですね。ただ、ロンドンではメディア・コミュニケーション専攻になっていますよね。元々形のあるものをつくろうだったのが、形の無いものをつくることに変わってきていますよね。ロンドンではどのような事をされていたのでしょうか?

宮浦:コミュニケーションという大枠の中で、デザイン、メディア、PR、ブランディングなどについて学びました。アウトプットの方法は自由だったので、在学中に雑誌にまとめたり、展示会を企画したりしていました。

松葉:ロンドンから帰国された後は何をされていたのですか?

宮浦:帰国した理由でもあるのですが、日本各地の繊維産地に通い始めました。マーケット先行で同じようなものが並んでいる市場がつまらないなと感じていて、日本独自のアイデンティティーが服作りに反映されていないのをもったいないと思っていました。ロンドンで学んだことの延長で、服を作っていくためのそもそもの仕組みをつくっていけないと考えていました。デザイナー、職人、また消費者の関係を考え直す必要があり、先ずはひたすら工場に通い取材をさせてもらい、行かない時は図書館や人に会って勉強をしました。

そうしているうちに繊維工場や産地の状況を伝える本を作りたいと考えるようになり、自費出版で出したのが『Secori Book』です。その出版記念イベントを、渋谷パルコのセレクトショップ「ぴゃるこ」で開催し、大勢の方にお越しいただきました。また、このイベントの開催をきっかけに、執筆依頼や商品開発など色々なお仕事を頂けるようになりました。


  • Secori Book

2:全国の繊維産地に拠点をつくりたい

松葉:月島のセコリ荘に関してお聞かせいただきたいのですが、まず何故セコリ荘をつくろうと思ったのでしょうか?また、セコリ荘とはどんな場所なのでしょうか?

宮浦:日本各地の繊維工場の技術や素材をデザイナーに紹介するようになってきたのですが、そうしていると生地など見せて伝えるための場所が必要だなと思うようになってきました。それで、いろいろな条件で場所を探している時に今の大家さんに出会って、ここ(セコリ荘)をお借りする事が出来ました。


  • セコリ荘

初めは本当にボロボロだったのですが、セルフビルド的な感じで改修していき、生地のギャラリーをつくりました。オープン当初、週末は知り合いのデザイナー達の溜まり場みたいになっていたのですが、他の人も入りやすいようにカフェとかおでん屋さんにしたらどうかと思い、今はおでん屋に力を入れています。週末おでん屋さんをやりつつ平日は取材に行ったり、ここで商談をしたり、新しい出会いの場にもなっていて、少しずつ活動の幅が広がってきています。

松葉:なるほど、確かにおでん屋さんがある事でファッション関係の人だけでなく、近隣の人達も集まってくるスペースになっていますよね。先日もセコリ荘のお客さんとお話したのですが、その方は築地市場にお勤めだと言っていましたし。また、10月には金沢にもセコリ荘をオープンさせますよね?何故金沢にもつくろうと思われたのですか?


  • 生地サンプル

宮浦:講師として石川県に呼ばれたことがあり、そのご縁で金沢とのつながりが出来ました。今はここ(セコリ荘)でデザイナーさんが生地を選んで、僕が職人さんに連絡するのですが、もし各繊維産地にギャラリーがあればもっと早いじゃないですか。また、セコリ荘には全国の素材が100種類以上あって既にキャパオーバー気味です。それだったら地方に展開していったほうが、素材を通して工場と職人さんに一度に繋がれるので、可能性が広がるかなと思いました。丁度そのようなモデルを作りたいと思っていた時に金沢文化服装学院の理事長の村上さんと意気投合して、金沢でもセコリ荘を展開する事を決めました。北陸の次は、兵庫の西脇や、岡山の倉敷、東北や九州でも展開していけたらと思っています。


  • 開店準備中のセコリ荘 金沢

3:ファッションの道に生きていくには

松葉:以前に行った建築プロデューサーの古賀大起さんとの対談で、建築学生が建築の道に進もうと思ってもその道のりが困難の連続で、最近は建築に進む人が減ってきているという話が出ましたが、ファッション業界はどうでしょうか?

宮浦:建築もファッションもそんなに変わらない気がします。大手に入ればそれなりの生活ができるけど好きなことばかりはできないし、個人でやる場合は生活の問題もあるので、必ずしも好きなことができるとも限らない。本来の活動とは違うことで稼いでいる人も多いですし。若手デザイナーが自分のブランドじゃ食べていけないから企業にデザイン提供しているケースも多いです。そういう状況を打開するために、幾つかアイデアがあって、様々なプレイヤーがチームをつくり、企業に対してデザインコンサルや提案など行える仕組みが出来たら面白いなと思っています。また、業界を跨いでの活動というのも重要だと思っています。例えば建築家やアーティストが一緒にチームをつくり活動をする。これからは業界を跨いで活動していくことが必要だと思います。


  • 松葉邦彦

松葉:確かに建築業界でも最近の若手は建築分野にとどまらず、他の分野を横断している人が大勢いるような気がしています。先日インタビューをした建築家で、HAGISOの代表の宮崎晃吉くんは、カフェやギャラリーの運営では飽き足らず今度は宿泊業も始めるようだし。そもそも僕自身もアートプロジェクトを運営するNPOを立ち上げてトークイベントやパーティーをやってみたり、挙げ句の果てにはWebメディアで連載枠をもらって、自分が話したい人と勝手に対談をやっていたりする訳だし(笑)。
もちろん高い専門性を持っている事は重要なのだけど、これだけ情報が溢れ価値観も多様化してきている現代社会で、自分の専門性の枠から出られないのだとすると生き抜いて行くのは難しいのかなとは常に思っています。

宮浦:僕のミッションはやはり「国内の繊維産地に新しい風を入れて、新しい価値を生み出していくこと」なのですが、これらは教育やメディアや市場とも切り離せない問題です。国内で流通している衣料品はほとんどが輸出品で、また日本で流通した衣料品の多くが廃棄されています。このままでいい訳ありませんよね。先ほど挙げた「チームで仕事をしていく」というのも1つの働き方の案で、今年立ち上げた「セコリ百景」というのも情報発信という側面からのアクションです。これからも、ものづくり、メディア、教育に関わりながら少しでも産業と未来に貢献していきたいですね。

セコリ荘
東京の下町、月島にある築90年の古民家を半年かけて改装してできたコミュニティスペース。
ものづくりとその背景のものがたりをゆるりと共有することを目指し、2013年開店。日本各地から買い付けてきたものづくりが並ぶ「ショップスペース」、各地の職人の技術と素材を展示する「ショールーム」があり、ガレージを改装したスペースでは作家の器やグラスで季節の食を味わうことができる食堂スペースになっている。
104-0052 東京都中央区月島 4-5-14
http://secorisou.com


セコリ荘 金沢
セコリ荘の金沢店も東京店と同様のコンセプトのもと、北陸三県のものづくりが並ぶショップスペース、工場の技術と素材が並ぶショールーム、季節の食やドリンクを味わえるカフェスペースが1つの空間に。セコリ荘の立ち上げに参加した下山和希がディレクターを務め、2015年10月2日にオープン予定。
〒9218032 石川県 金沢市清川町1-5
https://secorisoukanazawa.localinfo.jp


協力
テキスト:藤沼拓巳
写真撮影:松下美季

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OTONA WRITER

松葉邦彦 / KUNIHIKO MATSUBA

株式会社 TYRANT 代表取締役 / 一級建築士 ( 登録番号 第 327569 号 ) 1979年東京都生まれ。東京藝術大学大学院修了後、事務所勤務を経ることなく独立。人生で初めて設計した建物が公共の文化施設(旧廣盛酒造再生計画/群馬県中之条町)という異例な経歴を持つ。また、同プロジェクトで芦原義信賞優秀賞やJCD DESIGN AWARD新人賞などを受賞。