最近考えた「いじめ」という行為について

こういった雑文を書く時に、自分に課せているルールが1つだけある。それは、政治や社会批評を一切しないことだ。それはなぜか。僕自身、社会がどーやって回ってるか、掌握していないからである。はっきり言おう、何も分かっていない。政治も社会も何も知っちゃいない。ただぼんやりと「こういう感じだろうなぁ」と想像はするけど、本質は掴めていない。分からないことは、扱わないと決める。次の瞬間に、書けるジャンルの幅がどっと狭まっている。全てを説明できることのみ書く。そーなると、自身の体験談しか書けなくなる。結果のコレである。しかし、生活する上で社会に触れていると、何も知らない男でも口出ししたくなる。今回は、マイルールを破って、社会的なことでも書こうかなと思っている。

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長年、一人で悶々と考えていることがある。

それは、「いじめ」に関してだ。
僕自身を書けば、いじめたこともあれば、いじめられたこともある、一般的なスクールライフを送って来た立場。常に、いじめの現場に居たわけではなくスクールカーストの下の方で仲間内でシコシコとやってきた人間である。総じて、いじめを見て来たが自分が加害者、被害者になったことは、ほぼない。





いじめはいつなくなるのだろうか。
いじめによる犠牲者がでるたびに、教育評論家が担ぎ出され議論をしている。
物心ついた時から、続く長い長い議論だ。
話せば話すほどに深まる事柄も多いが、いじめに関しては解決の糸口が全く見えてこない。
動物界にもいじめが存在するという話を聞いたことがある。
それを思うと、いじめという自分の優位性の元に行われるえげつない行為は、人の本能としてやっているようにも思えてくる。
集団の中で1人スケープゴートを作ると、モノゴトが進みやすくなるのは事実だろう。
それを知っているから、本能的にいじめるのかもしれない。

最終的に行き着く先は「いじめは誰が悪いのか?」という話だ。
まともな人は「いじめている人間が100%悪い」と云うだろう。
そりゃ、この意見の方が社会的体裁は良いし、耳障りも悪くはない。しかし、誰しもが大小関わらずいじめの現場を目撃してきて、本当のことを知っている気がする。


実は、いじめられる方にも原因があるのではないかと。


僕は、いじめらる人はスキが多い人だと考えている。スキはミスとも言い換えられるだろう。スキが多くて、つっこみやすい人間がいじめられる傾向にある。
いじめる側は、ストレス解消としてもいじめを行う。スキの多いタイプは格好の獲物だ。
そして、つっこむ。
別の言い方を書けば、いじる。過剰にいじった先にあるのが、いじめなんだ。

大人になったらいじめがなくなるか?
そんなことはない。大人になると、立場がより明確になるから、いじめはより社会的になる。成長すると隠蔽だけは上手になるから、気にいらない相手がいると蛇のようにゆっくりと絞め上げるだろう。しかし、大人のいじめられっこは、いじめられている現場だけが、世界ではないことを知っている。逆に、子供のいじめられっこは世界が狭く、今いじめられてる場だけが世界だと勘違いをする。いじめから逃れるすでを学習していないので、最悪の結果になることもある。


自分の経験を書こう。加害者にも被害者にも上記したが、ほぼ加害者にはなったことがないと自信を持って言える。では被害者になった経験を書いていこう。

僕の小学校は運が良いことに統制がとれていた。
多少なりのいじめはあったと思うが、それほどにエグいことは起きていなかったと思う。

記憶に残っていることと言えば、毎週土曜にK君の上履きがなくなっていたぐらいだ。

朝の朝礼で先生が
「今週もK君の上履きがなくなりました。みなさん机に顔を伏せてください。先生しか見ていません、隠した人は手を上げてください」
とテンプレのセリフを吐く。

「はい、皆さん顔を上げてください」
ザワザワ。ザワザワ。ザワザワ。
「誰も上げませんでした。先生は、残念です。けど、これは隠した人だけが悪いわけでは、ありません。クラスのみんなの責任です。先生にも責任があります。」
ザワザワ。ザワザワ。ザワザワ。
「今からみんなでK君の上履きを探しましょう」
その一声で、クラス全員で上履き大捜索が行われる。先生公認のトレジャーハンティング。
これが、半年間ほぼ毎週続いた。

班に分かれて学校中を探す。片方ずつ違う場所にある。本当に見つかるか、見つからないか絶妙な場所にある。一方はT君の机中。もう片方は体育館のカーテンの奥。

「あった~!!」

見つけた人はちょっとした優越感に浸れる。そして、クラスメイトから「おぉぉ」と賞賛の声。その日だけ、ちょっとしたスターになれるのだった。

土曜日は半ドン。
だいたい、K君の上履き探しで学校は終わった。今になって思うとK君は非常にかわいそうだが、授業もせずに行われる学校中を捜索範囲としたうわばき探しは、小学生にとって一種のエンターテイメント。

これくらいだ。いじめなんて。

僕も無視されたり、からかわれたことは勿論あるが、それはクラスの頂点の気分次第でローテーションに回ってくるヤツで。皆さん、ニュアンス伝わってますよね。

だから、今思い返してみても小学校時代は、とても牧歌的な時代だった。


そして、中学校時代。ここで一転する。
僕の通っていた中学はガラが悪いことで有名。それなりに裕福な家の子は、回避方法として、私立中学か越境入学が上策とされていた。僕も親から「私立行けば」と言われたが、勉学が嫌いだったので、それを拒否した。

中学には、隣の小学校からも多く集る。ま、この連中が悪いこと、悪いこと。こっちの常識が通じないんだわ。荒れているってやつ。

その中のトップに君臨するヤツがいて、そいつがエグいほどに悪。
しかも美少年アイドル軍団に所属していた。それこそ僕が中学生当時は、美少年アイドル軍団の人気は絶頂期。ゴールデン帯に看板番組も持っていたりした。
よくそいつに僕は「お前、調子にのってんな」と脅されたけど、明らかに彼のほうが調子にのってたよね。現実的にも社会的にも。

そいつの暴君っぷりのピークは中2の頃で。人を脅して金をとったり、暴力をしたりと、自由気ままに学校を支配していた。
ここまでくると、いじめじゃない、犯罪だ。
書けないような行為も沢山していて、牧歌的な環境で育った僕にとって目を覆いたくなる光景が広がっていた。
そいつが悪さをするから追随して調子にのるやつも数名いて、あの1年間は正にマッドマックス。
理科の先生もブチキレて、授業を聞かなかったワルを実験用のビーカーで殴ったりしてたもんね。ストレスたまっていたのだろうね。

僕と友人は「あいつらがいなくなれば平和になるのにね」とよく話していた。

そして、間接的に受けていた被害が僕にも及ぶことになる。
修学旅行にて。友人数名と部屋にてゲームに興じていた。
じゃんけんで負けた人の上に全員が乗るたわいない遊戯だ。
「じゃんけん!ぽん!」
S君が負けた。
布団S君友人友人友人
といったカタチで上に乗る。
じゃんけんで勝った僕は一番に乗る。
布団S君友人友人友人
「よいしょっと」
と僕が乗ろうとした瞬間、美少年アイドル軍団とその配下が部屋にやって来た。
さきほどまでの盛り上がっていた部屋一変し、静寂に包まれる。
美少年アイドル軍団
「調子にのるなよ!!」
彼は、いきなり僕を殴った。
嘲笑する配下。静まり返る友人達。呆然と僕。殴られた理由は未だに判明していない。
それを機に僕は、彼らのターゲットになった。バックを荒らされたり、文具を盗まれたりもした。
当然、傷ついた。
しかし、彼らにとって僕はいじめのニューカマー。
小学生の頃から継続的にもっとハードにいじめているターゲットもいたから「彼らに比べたらマシ」とか言う訳分からない思考に至っていた。
不思議だね。

中3になると、美少年アイドル軍団は転校。
配下達も学校休みがちになった。そこで、僕にたいするいじめも閉幕となる。つまり、いじめの被害者となった期間はごくわずかだった。いじめ行為も運が良いことに数回ほどしかされなかった。


2015年。
この前、銭湯に行った。
僕が湯につかっていると一人の男が話しかけてきた。
「ヨシムラだよね?」
誰だろう数秒考える。
「オレだよ、オレ」
顔をよく見る。
なんと、美少年アイドル軍団だった。
彼は、妙に饒舌で僕に色々と質問をした。
「職業?」
「大卒か?」
「住んでいる場所?」
「今でも続いている友人?」
そして
「酒を飲むか?」
明らかに、彼は僕と飲酒をしたい様子。旧交を温めたい!そんな欲求が前面に出ていた。

「ちょっと、サウナに行きません?」
と僕。
サウナに移る。
そして、僕はこう言った。
「お前、本当にあのとき、多くの人にエゲツないことしてたよね」
彼はこう返答した。
「いや、そういうこと言うなよ」
一言目で自己弁護かよ!謝れや!と思った。
続けて、遠くを見るように目を細めて
「俺もあの時、色々あったからさ」
と語った。
多くの不良は、現在の自身を肯定したいがために過去を美化する傾向がある。
荒れていた自分=悲劇のヒーローなんだ。あやつらは。

続けて、
「今でも時々、お前に殴られたこと思い出してイラッとするよ」と言うと
美少年アイドル軍団は、なぜかシュンとした。
「お前さ、中学の時、人を自由に殴れて良かったね。今やったら逮捕されてますよ」
と続けると、更にシュンとした。
「じゃ」
と僕はサウナを後にした。


まとめ
自分の経験を書き出してみたが、いじめは絶対にしてはいけない。今更か!とつっこまれるかも知れないが、そー思ったんだから仕方ない。

最初に、いじめらっ子の問題について書いたが、そんなことが事実だとしてもいじめるべきではない。

だって、15年前にされた一方的な暴力は今も明確に覚えて、なおかつ恨んでるからね。
僕のように数回のいやがらせでも記憶しているぐらいだから、連続的にいじめられた人なんて、恨み具合がヤバい。
被害者は長年そのことをトラウマのように抱えるが、加害者にとっては「俺もヤンチャだったなぁ」的な美談に咀嚼する。

何にしても人から恨まれることは人生おいてマイナスでしかない。
しかし、もっとマイナスなのは恨み続けるという行為だ。本人は無駄なエネルギーと百も承知だが忘れられないのだから仕方ない。


ちなみに、つい先日ある子からいじめについての相談を受けた。友達にハブられているらしい。
僕は「今はつらいかもしれないけど、そんなこと大人になったら忘れて、印象深い思い出になるよ」とアドバイスをした。
けど、このアドバイスは正しくない。
なぜなら、今でも明確に殴られた感触とその恨みは僕の身体を蝕んでいるいから。全然、印象深い思い出にもなってないし。 

往々にして、いじめなんか悪趣味なことはしない方が良い。
そんでもって、人の恨みなんて早々に消えないものだと理解しといた方が良い。

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OTONA WRITER

ヨシムラヒロム / Hiromu Yoshimura

中野区観光大使やっています。最近、29歳になりました!趣味は読書です。