【静かに時を刻む街】清里駅前に行ってきた

1泊2日の家族旅行に行ってきた手羽です。2話に分けてレポートさせてもらいます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

タイトルどおり、目的地は清里
と言っても、今の学生さんは「清里」と聞いてもピーンと来ないかもしれません(笑)
全くわからない人はお父さんかお母さんに聞いてください。
きっと、「ああ。彼女と食べたソフトクリームがおいしかったなあ・・」と遠い目をすることでしょう。

清里高原は標高1200mのところにあり、「高所」「気象変化が激しい」「平坦な場所が少ない」「急坂が多い」という環境のため、米作に適さない土地で、もともとは荒野だったそうです。
そこに東京大震災復興ボランティアとして来日したポール・ラッシュさんが訪れ、日本人が知らなかった標高が高く、寒い地域に適した酪農の方法を伝授したり、レタスなどの高原野菜の栽培支援をしたため、ポールさんはその後「清里開拓の父」と呼ばれることになります。
(ちなみに日本にアメリカンフットボールを普及させたのもポールさんです)

ただ、これは観光客向けの清里案内。
清里を実際に開拓したのは、昭和初期、小河内ダム建設のために立ち退きを強いられ、この地に移住(移植)してきた人々です。
なので「清里は東京のダム建設によってできた町」とも言われてます。
「八ヶ岳念場ヶ原開拓地」「安池興男」で検索すれば、苦難の開拓史が出てくるので、興味のある方はぜひ。

「清里」を知ってる人も、世代によって真っ先に思い浮かぶものが違うんじゃないでしょうか。

私よりずいぶん上の世代は
「八ヶ岳へ山登り」
だと思いますが、手羽と同世代、もしくは少し上の世代は
「高原のペンション」
「清泉寮のソフトクリーム」
「聖子ちゃんとトシちゃんのグリコのCM」
「年下のあンちくしょう」

じゃないかと。

あ、これは下水道のマンホール。
牛のイラストが入ってますね。

んで、手羽がもっとも印象で残ってるのが、やっぱり「タレントショップ」。
テレビを見てると、とんねるず、山田邦子、田代まさしたちが「清里にタレントショップを作った」と連日紹介されてて、毎週見てた「天才たけしの元気が出るテレビ」でも北野武が企画でカレー屋をオープンしたり、「時代は原宿じゃないんだな。清里ってどこにあるかわからないけど行ってみたいなあ。東京の近くなのかな」と福岡のド田舎に住む坊主頭の手羽少年は思ったもんです。

そんなタレントショップで一世を風靡した清里ですが、バブル崩壊で全てのタレントショップが閉店しました。
観光客も減り、清里駅前は静かに時を刻む状態になっています。

今回の旅行で自分にミッションを3つ設定しました。
その一つ目が「清里駅前をじっくり見る」。

清里は4度目なんだけど、毎回車なもんで駅前を通っても、降りてちゃんと見たことなかったんですね。
多分清里に来るのはこれが最後だと思うから(理由は後日)、噂の駅前の状態を目に焼き付けておきたい。
それが今回の旅行の目的の一つでした。

これ以降の写真、ちょっと大きめなものもありますがご了承ください。

当時のキーワードは「ファンシー」「メルヘン」。
当時のアツイ言葉、それが「ファンシー」「メルヘン」だったんです。

この牛さんは素材感から見て、コンクリかモルタルでできてるのかしら?
(FRPならツルツルなはずだし)

牛さんの建物をひいて撮ると

お土産屋さんです。
どうですか?ファンシー&メルヘンでしょ?

こちらは交番と公衆トイレ。
交番までもがファンシー&メルヘン、略してファンメル(手羽が作った造語)だったんです。

お土産屋さん「ぴっころ」のイラストは西原理恵子チック、というかサイバラさんが描いたといっても通じそう(笑)
あ、行った時は閉まってましたが帰りに通った時は営業してました。


萌木の村でこの時期毎年開催されてるのが「清里フィールドバレエ」です。

この写真を撮ってる時にすれ違ったおば様が
「昨夜見てきたんですけど、バックが天然の星空だし、幻想的でとっても素敵だったわあ。当日券もあるから絶対に見た方がいいわよ」
と勧めてくれました(笑)
どうしても「寂しい街・清里」な紹介になってしまうんだけど、それは駅前だけであって、駅から離れた清泉寮や萌木の村などは賑わってますんでそのへんは勘違いせず、訪問してもらえれば。

といいつつも、手羽の目的は駅前。

メルヘンな建物。
このすぐそばに

有名なミルクポットの形をしたお店があります。
繁盛期はこの前で写真を撮るために行列ができてたそう。
手羽的にはペンギン村ですな(笑)

とっくに営業はしてないのですが、店内には商品が並んだままでした。

こちらもスーベニアショップ「ポッポ」。

やはり営業はしておらず、医療法人さんの所有物になってました。

「清里フェステ」はお土産屋とレストランをやってたそうです。

こちらはショッピングモールだった「ワンハッピープラザ」。
「アゼリアの塔」を中心に作られた広場で、時計台の針はちゃんと時間を刻んでました。
しかし、「ハッピープラザ」でも良かったはずなのに、なんで「ワンハッピー」って名前にしたんだろう・・一個だけのハッピーって、なんかネガティブな印象なんだけど・・・。

手羽はバブルの頃に作られた建物や造形物が好きで。
「ダサい」とかそういうのは抜きにしてね。

というのも、「装飾」はお金に余裕があるからできるんであって、真っ先に経費を削られるのが装飾や造形部分。
いわゆる「デザインの本質」ではないのだけど、「気持ちの余裕」を表してるのが「装飾」であり。
これは照明ですが、今どきただの広場にこんな形の照明を複数設置しませんよね(笑)

建物もうまく段差を使った造りになってる。
ただ、床が抜けててこれ以上は立入禁止。(2年前ぐらいまでは入れたみたいだけど)

カップルハウス!
「カップル以外は来るな」って発想もバブル的というか。

*PM追記
===========
カップルのスペルは、coupleなので、コーヒーハウスかな??
揚げ足は、取られるのもお好きだと良いのですが…
===========
という指摘が・・・ほんとだ・・・手羽、英検3級なもんで・・・。

店内はきれいな状態のままです。

この巨大キノコや人面カタツムリ、人面樹とか、お金があったから作れたんであって、今なら平面、よくて半立体ですよ。
造形屋さんが頑張ってた時代なのです。

この形の照明も最高だなあ。

こういう「売り物件」と貼られたお店や朽ち果てた標識を見ちゃうと、やはり悲しいものはあります・・。
8月最初の日曜日の昼なのに、駅前でオープンしてるお店が半分以下だし。

でも、駅前のお寿司屋「磯善」さんはどれもおいしかった!
特にミニウナ丼セット(1500円)はウナギがフワフワでリンクロウが「今まで食べた中で一番おいしい」と言いましたから。
夕食ここで食べて、あまりにも美味しかったんで、翌日昼もまた食べにきたという(笑)



「じゃ、帰るか」と駅から少し車を走らせると

こういうお店が。
清里来るたびに「カレー屋さんの潰れた跡か・・」ぐらいでいつも前を素通りしてたんだけど、今回気が付いてしまった!!

ここが北野印度会社だったんだ!!(感動)
テレビで見てたカレーは本当においしそうだったなああ・・・。

山梨大学・北村眞一教授「清里高原の開発」を引用すると、
============
この街並みが建築協定やプロデューサーなしで出来上がったことは驚異的である。安普請であるとか、低俗だとかの批判はあるが、よくディテールまで観察すると一軒一軒がメルヘン風の部品を巧妙に組み合わせたデザイナーの苦心の作であることがわかる。
============

今であれば、「駅前全体を都市計画デザイナーに依頼し・・」というステップが入るはず(入ってほしい)。
でも、この「街並みのメルヘンさ」がそれぞれの店舗が積み上げたものってのがすごい。
ぜひ建築とか空間演出系の学生さんに見てほしいし、早く調査研究してほしいんですよね。
「日本現代遺産」とかで残せないものだろうか・・。


続く。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。