武蔵野美術大学の芸術祭も無事に終わりました。
最終日後半はずっと見てました。
超処女カワアイドルあいちゃんからMagic Kingdom Projectの流れがよかった(笑)
オンライン講評会は音声トラブルがあったけど、初めてのオンライン芸術祭は全体的にみたら大成功だったんじゃないでしょうか。
学生の皆さん、そして芸術祭実行委員会の皆さん、本当にお疲れ様でした!!
ところで、こちらの記事で書いたとおり、
■【多分50周年】武蔵野美術大学オンライン芸術祭2021「電脳都市・武龍」は10月29日から3日間っ!【サロン風月もよろしく】
芸術祭は10月30日がムサビ創立記念日ということで始まった創立記念祭がベースになっているのもあり、ムサビ公式twitterでは昔のムサビの写真を紹介するスペシャル企画をやってたんですよ。
鷹の台キャンパスは1961年に開設しました。写真は1961年頃の鷹の台キャンパスです。鷹の台キャンパスで初めて建てられた鉄筋コンクリートの建物は、現在の2号館がある場所に建てられた女子寮でした。 pic.twitter.com/ZP8URv4zbN— 武蔵野美術大学 (@musabi_koho) November 1, 2021
一枚目の写真はまだ「正門」がない頃の正門。
正面のがけは1号館と中央広場の段差で、鷹の台キャンパスがまだプレハブ校舎しかなく、卒業生がよく「土埃がすごかった」と語る時期の写真ですね。
しかしつくづくキャンパスのグランドデザインをされた芦原先生は、なにもないこんな野っ原から今のキャンパスをよく構想したもんだなあ、建築家ってすごいなあと思います。
ちなみにこれが掲載された11月1日はタマビの創立記念日です。
本日10月30日は、武蔵野美術大学の創立記念日です!1929年10月30日に、前身である帝国美術学校が吉祥寺に開校しました。「創立記念祭」が変遷したのが現在の「芸術祭」です。過去には「体育祭」が行われていたこともありました。写真は7号館付近で行われていた1967年の「体育祭」と現在の7号館です。 pic.twitter.com/d596xiYOf4— 武蔵野美術大学 (@musabi_koho) October 30, 2021
昭和46年の体育祭。9号館、10号館あたりは昔はグランドだったそうです。
この写真は同じ場所に行って撮影してきたってことですね。
なかなかやるじゃん。
大学公式がそうくるなら、手羽も負けてられない!!
先週のアニメ「ブルーピリオド」のEp.05「課題が見えてもどうしようもねぇ」は、八虎がムサビの油絵学科に推薦入試で合格した森先輩に会いに行く回。
んなわけで、ムサビでのシーンが登場するわけですが、どれくらいムサビが再現されていたのか検証してみましょう。
◎注意:
●2021年11月2日現在、ムサビ関係者以外は入構できません。
●画像の引用についてはこちらを参考にしました。
■アニメブログの画像引用で違法と言われない著作権法のポイント - アニメとスピーカーと‥‥。
正門。パッとみると写真に見えちゃうくらい精密に描かれてるけどアニメのキャプチャです。
でも、よーく見ると正門の左側がすごく細い。
こんなんじゃここからムサビ菌を噴霧できない(笑)
こちらが実際の正門。
かなり忠実に再現されてますね。
ただ、本物の正門を見たことある人だったら「正門」が全部入る構図で作画してるような気もします。
正門入って、正面の1号館。
かなり正確に描かれてます。
4号館下。
アニメでは反対側が使われてるんだけど、こっちの方が雰囲気があってたので。
4号館の印象的な螺旋階段。
ここも背景含めてかなり正確に描かれてますね。
ちなみに八虎は東京藝大を目指してるけど、「ゲイダイ」の次に「ムサビ」という単語が出てきてるかもしれない。ありがたやありがたや。
ちなみにアニメ「ハチミツとクローバー」が放送されてる時も検証ブログをやってたました。
■MAUハチクロ応援ブログ|ハチクロムサビMAP
そうそう、これをやってた2005年当時はまだ「美大愛好家・手羽イチロウ」は爆誕してなくて「広報の千葉(仮名)」という名前でやってたんだった。
以上、手羽の芸術祭の思い出といえば、
男神輿を作ったことかな、の手羽がお送りいたしました。
これは手羽が4年生の時の男神輿です。
自分の顔(ライフマスク)を使った作品をずっとFRP(強化プラスチック)で作ってたんだけど、男神輿の御神体制作担当になり、勝手に自分の顔を埋めこんだら「やるとは思ってたけど・・・」とみんなから諦め顔で言われました。
上記写真の御神体の左下をよーーーく見ると、顔があるのがわかるはず。ええ。手羽の顔です。
この写真を見た方から「御神体が小さく見えるけど気のせい?」と聞かれたので、説明しておきましょう。
当時は木彫で作られた御神体があり、通常時は石彫場に祀られ、芸祭の時だけ神輿に乗せて担いでたんです。手羽の1個上の先輩からその御神体本体ではなく、それをFRPで型取ったものを神輿で担ぐようになりました。単純に中から光らせるために(笑)
つまり、昔は「御神体」の原形があったので、ずっとこのサイズだったんですね。
うちらの頃はまだ品があったの。
でも手羽が卒業した2年後、酔っぱらった冨井・・じゃなくて彫刻の冨井先生が芸祭最終日に「古い伝統がなんぼのもんじゃい!!」と御神体を燃やしてしまう事件が発生。
それ以降、御神体の原型がなくなった男神輿は今のような巨大化が始まりました。
てか出せるかっ!
でも冨井が言うことも正しく、伝統なんて変わらないようでいて全然変わるものなんですよ。
昔は女神輿もなければ「合体の儀」なんてなかったし、男神輿の時に歌う「えんやこらせ」「武蔵野音頭」もメロディが手羽たちの頃と微妙に違うし、「4年生は赤ふんどし」なんて決まりごとは手羽が4年の時の神輿写真を見ればわかるようにありませんでした。全員白ふんどし。誰かがいつのまにか作ったルールに過ぎません。
「伝統は変化するから続く」のであって、つないでほしいのはルールじゃなく精神なんですよね。
【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。