友人関係。イラストが描けて一番良かったと思った瞬間。

友達について書こうと思う。 日々、生活をする。そのなかでの楽しみの一つが人のウワサ話だ。 「あの人は今、こーゆー状況だ」なんて話すと「この人、流石にスゴいなぁ」とか「やっぱり、あいつもクズだなぁ」と自分と他人を照らし合わすことができて良い。 こういった話ができるのも多様な人間関係の中に、僕も存在するからで。 総じて言えば、人間関係とは面白さの極北に位置する。人と人が対峙する際に発生する擦れがユニークの火を燃やす。その摩擦が大きければ、大きいほどに、火は明るく私生活を照らす。

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当然のことを書くが、人間関係は多い方が良い。
こうやってエッセイを書けるのも、PARTNER編集部と僕の人間関係あってのことで。
1の関係があるから10にも100にも仕事にもなる。0なんてもってのほか。存在を知られている1の関係さえあれば今後に繋がる可能性はある。









本題に戻す。要するに友達が多ければ良いと書きたいのだ。
誰もが気分はロックスターな10代後半から20代中盤までは「俺は人に嫌われても構わない、理解できる奴だけ来い」という想いを抱えている。だから制作物も説明不足のものが多く、どーしても自己満足に浸かったものが美大シーンを席巻する。
それを永久にやれたら、それはそれでプロだけどもそうもいかない。

20代も後半になってくると、自分の才能や限界点がうっすらと見えはじめ
「俺って大した人間じゃないな」と咀嚼する。
そんな自己の無力さに気づいた瞬間に気分は、常夏の那覇から極寒の網走へ。目は覚め、心は冷め、急に寂しさを覚える。
これは美大に限ってのことではなく誰にも言えることだ。寂しいから、20代後半になるとFacebookで過去の学友と再び繋がり、同窓会ばっかりやるのだ。
あれは、過去に取りこぼした友達がいないかどうか確認するためにやるんだな。

「人の器」と似ているが、人を測るモノサシとして「人の幅」というものがある。
どこまでの人に対応できるかを測る力。
それを計測するには、付き合っている友達の幅を見よう。
有名私立の幼稚舎から大学までエスカレーター式で進んでった人の家庭環境なんかは似ていることが多いから、大体同じような子供が集まる。同じような人で固まると「人の幅」はおのずと狭くなる。そういった状況化で育ったから仕方ないとも言えるが、ま、いずれにせよ金持ちは羨ましい。
僕の場合、わりかし雑然とした環境で育ち、遠回りも沢山したので、普通の企業に勤める友人から、元アルコール中毒で現パチンコ中毒もいる。女優としか交際しないという壮大なマニュフェストを掲げる童貞もいるし、カンヌ広告祭で賞を取ったお方までいる始末。わりかし「人の幅」はある。
近年は、誰にも好かれたいという八方美人要素が増すばかりで、友達も右肩上がりに増殖中だ。


自分でも「ここまで来たのか」と驚いたことが一点。最近、男子中学生とまで友達になった。


コトは、高円寺のたこ焼きの屋台から。
屋台の後ろに、小さなイートインスペースがあり僕はそこで遅めの昼食をとっていた。
「ハフハフ」と夢中でたこ焼きを食べていると7人の中学生がやってきた。テーブルは一つしかないので強制的に相席になる。左右中学生に囲まれる。
最高に居心地が悪い、招かれざる客状態。
受動的に会話も耳に入る。
中学生が話すこと、それは「性」に限る。
最近のアイツらは、デジタルネイティブってやつでiPhoneで動画を見たりして性の自習をする。
だから、生命の神秘の答え合わせは早々と終了。あとは実践のみって状態なんだよね。

すると一人が話しかけてきた
「お兄さん、ダレ?」
なんともざっくりとした質問である。こんな直接的な聞き方をする大人はいない。
自問自答が始まる。
「僕はダレだ?」非常に難しいQだ。
「自分がどんな人間か?」大人世界なら職業で回答するのが常識だろう。しかし、中学生世界、そんな常識が通用するはずない。そもそも、職業で自己を表現することなんて、とってもつまらない。本質的な人間性で表明すべきだ。人生でここまで追い詰められた経験なぞ、ムサビの編入試験以来。
嫌な汗が背中を濡らす。

そこに名案が浮かぶ。

たこ焼きの屋台がある商店街のフラッグのイラストを僕が描いていたことを思い出す。「あの旗を描いた人だよ」と答えると、中学生陣は、「お兄さん、すげぇ」想像以上の高反応を示す。
「どうもハハハ」と僕も素直に喜んでいると、中学生から次の質問が。
「お兄さん、セックスしたことある?」
会ってまだ5分も経過していない。
「あるよ」
と言った瞬間、中学生軍団大フィーバー。「すげぇ、すげぇ、すげぇ」と連呼。矢継ぎ早に色々な質問が飛んでくる。29年間の人生で、僕にこんな注目が集まるのは小学2年の遠足で骨折して以来だ。(いつか、書きます)
丁寧に一つ一つ図解して説明をする。
「イラストが描けて良かった」と心から思った瞬間だ。

そして、一人の中学生が「この人、性の宣教師じゃね」と言った。

中学生と相席して30分ほど経過しただろうか。日本最初のキリスト教宣教師ザビエルを短縮し、僕は「ザビさん」と命名された。
引き続き「ザビさん、ザビさん、ザビさん」と彼らのリビドーは消えることなく、記者会見のような質問大会は1時間ほど続いた。
あんなことやこんなこと、ええっと仰天することまで根掘り葉掘り聞かれ、懇切丁寧に答えた。
僕にも仕事がある頃合いを見て「じゃ、そろそろ帰宅するね」と言うと、
「え、ザビさん帰っちゃうの」と中学生たち。
一人の中坊なんて、僕の袖つかんでまで帰宅をとがめたからね。こんなこと人生初。
「じゃ、ザビさん、LINE交換しようよ」と持ちかけられる。
「ふるふる」の機能を使いアドレス交換。これも人生初。

帰宅し、LINEを見ると早速、中学生と僕のグループが作られていた。
グループ名は「エロの宣教師」アイコンは「ザビエル」だった。
そして、中学生とは今でもLINEでやりとりをしている。
たぶん、どの友達よりもやりとりをしている。

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OTONA WRITER

ヨシムラヒロム / Hiromu Yoshimura

中野区観光大使やっています。最近、29歳になりました!趣味は読書です。