【Dラウンジよ、永遠なれ】「見えてないデザイン、社会に問い続けるムサビ 」をオンラインで見てみた

2020年12月14日(月)

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2020年12月13日(日)、とうとうこの日がやってきました。

武蔵野美術大学デザイン・ラウンジとして最後の企画展
東京ミッドタウン・デザインハブ第89回企画展 「見えてないデザインー社会に問い続けるムサビー」

●会期:2020年11月14日(土)- 12月13日(日)会期中無休
●時間:11:00 –19:00
●会場:東京ミッドタウン・デザインハブ
●入場料:無 料
●主催:東京ミッドタウン・デザインハブ
●企画・運営:武蔵野美術大学


のクローズドイベントであり、デザイン・ラウンジとしても最後のイベント「見えてないデザイン、社会に問い続けるムサビ」が開催されたのでその様子をレポートします。

といっても、手羽は自宅療養中なのでオンラインで、ですが。
デザイン・ラウンジ立ち上げに関わった人間として、この日に会場へ行けないのが本当に残念で、突然こっそり行っちゃおうかとも思ってたけど、奥さんから「あんたが行ったらみんなやりにくくなるから行くな」と止められまして・・。

ラウンジ閉室はネガティブ要素がないので、本来なら派手に閉室パーティをやったはずだけど、コロナの関係でそういうイベントは全て中止(涙)
でも、逆にコロナのおかげと言えるのは、1年前だったら会場に行かないと見れなかったトークイベントが、

スタッフの皆さんのおかげで自宅にいながら参加できたことですね。
PCの前で正座しながら見てました(嘘)

スタッフから届いた画像と、手羽が画面キャプチャした画像を合わせながら紹介していきます。

最初の進行は、市ヶ谷チームリーダーであり、社会連携チームリーダーの河野さん。
前日の大学説明会も相変わらず固めな話でしたが(笑)、河野さんのおかげで今回のイベントは全部うまくいったんじゃないかしら。
手羽じゃこうは真面目にいかないのよね。

パネリストは、


  • この企画展の中心人物でもあったクリエイティブイノベーション学科の若杉先生。


  • クリエイティブイノベーション学科の長谷川先生。 長谷川先生とムサビの出会いもこのデザイン・ラウンジが関係してますね。


  • 視覚伝達デザイン学科の北崎允子先生


  • 工芸工業デザイン学科の山中一宏先生。山中先生はTPOに合わせてTシャツを選んでて、フォーマル用のTシャツだったはず

そして、空間演出デザイン学科の津村耕佑先生。
津村先生はデザイン・ラウンジ運営委員会の副委員長ということもあり、ラウンジの空間デザインを担当してもらったり、

プチプチ・タングル™を使ったワークショップなどをデザインハブやミッドタウンで何度もやってもらいました。

トークの内容は、
●見えてない(見えない)デザインとは
●学生と接する時に気をつけていること
●デザイン教育とは
が中心だったかな。
新しい世代の先生たちの意見を聴けたと思います。

詳細は、大学院クリエイティブリーダーシップコース2年の 久々江 美都さんがグラフィックレコーディングしてくれたのでそちらをご覧ください。

デザイン・ラウンジのおかげで、新しいデザイン教育の発信や社会とのつながりの必要性に気が付き、新学科構想や市ヶ谷キャンパスが生まれた・・・とよく説明してるけど、実はデザイン・ラウンジの活動から「サービスデザイン」「ソーシャルデザイン」「デザイン思考やアート思考」に興味持ったりなんとなく理解できてる大学職員をどの美大よりもいち早く複数人作ることができたのが一番大きいと個人的には思っています。


そんなことより・・・えーと・・・本題よりも手羽がずっと気になったことを書いてもいいですか?

スクリーンキャプチャした画像だけど、これでわかります?
ちょっとアップしてみましょう。

ガラスにスーツ姿のおっさんたちが反射して映ってたの。

ほら、ここにも。
こういうのって一度気がついちゃうと最後まで気になるもんで。

後でわかったんですが、

こんな感じでみんなで見てたんですね(笑)


最後はもちろん、

長澤学長、そして、

長年デザイン・ラウンジのディレクターをつとめてもらった井口先生から閉室のご挨拶。
お二人の話も久々江さんがグラレコされてるのでご覧ください。


  • グラフィックレコーディング:造形構想研究科 修士2年 久々江 美都

二人の話を聞きながら、手羽は10年前のことを思い出してました。

こちらの記事でも書いたとおり、
手羽、デザイン・ラウンジをおおいに語る
2010年9月10日に(当時)デ情の長澤先生から「デザインハブへの入居打診があった」とメールで連絡あって、その夜に長澤先生の個人研で井口先生と3人で秘密会議をやったのが全ての始まり。
すぐに視察し企画書書いたはいいけど、当時の教学執行部からは反対され「こりゃ通すのは難しいか・・」と諦めかけてたところに法人側の判断でひっくり返って、その会議の夜に長澤先生の個人研にいって「まさか企画通りましたよ!」と報告したのもいい思い出(笑)

で、無事に

2012年3月30日(金)に開所式が行われました。
司会は手羽で、緊張しすぎていつも以上に高速クネクネし続けたせいで、「ぶれた写真しかない」と初日にラウンジ伝説が生まれたっけ。

開所式当日の朝、「プレス用に集合写真撮るけど、おっさんばかりの写真で華がないんだよね・・なんかないかなあ・・」と考えてひらめいたのが、


  • 左から井口先生、原先生、甲田前学長、日本デザイン振興会飯塚 理事長(当時)、JAGDA勝井先生(当時)、東京ミッドタウン・マネジメント株式会社 山本取締役社長(当時)

お偉いさんたちに原研哉先生デザインのラウンジマーク「柔らかいD」を持ってもらった写真です。
このラウンジマークは、何を隠そう、余ってたシチレンボードを当日朝、手羽がカッターでちまちま切って作りました。
写真撮る直前に原先生に「切った跡がデコボコしてるなあ・・」と言われ「写真だとわかりませんから!」と答えたり、普段はあんまり褒めてくれない当時の広報課長(現経営戦略室長)が「こういう発想が手羽さんらしいですね」と褒めてくれたのをよく覚えてます(笑)

なんと、このラウンジマークを保存してくれてて、

最後の登壇者で同じ写真を同じ場所で撮ってくれた!!
何も言わなくてもやってくれたのは、ちゃんとラウンジの歴史を受け継いできてくれた証拠。加倉井さんありがとうございます。

描いてたストーリーとしては、次に入居される団体さんを最後に紹介して、つながりを強調したかったのだけど、その団体さんはまだ入居されることを発表もしてないし、ムサビ最後のイベントっていうのに会場に関係者が一人も来てないし、どうなってんだ、と(笑)
冗談です。次入居されてる団体さん、頑張ってください!
私たちは一足先に次のステージに行きますんで!

展示も終わり今日から展覧会場は撤収に入りますが、ラウンジ内の荷物の箱詰め作業は既に始まっているそう。
いずれ閉じることはわかってたからあまり増やさないようにはしてたけど、8年分の荷物ですからね。それなりにあるんじゃないかしら。

家具など什器は市ヶ谷キャンパスで使ったり、鷹の台キャンパスに持っていき、12月18日までには空っぽにはなってるはず。
ラウンジスタッフもあと1週間、頑張ってね。
遠足は家に帰るまでが遠足だから!



以上、イベントが終わった後に

この写真が届いて、優しさにちょっと泣きそうになった手羽がお送りいたしました。
嘘です。ちょっと泣きました。
学長、井口先生、そして関係者皆さんの気持ちに感謝しております。ありがとうございます。


ただ。
ただね。

美大生って飽きっぽくてさ、

すぐに余計なことを始めちゃうのが悪い癖なんですよね・・。
 

てか、それもう手羽の写真の前でやる意味が全くないんですけど・・。
 
 

天使の輪っかみたい・・って、それ、シャレになってないし!(笑)


てなわけで、

武蔵野美術大学デザイン・ラウンジよ永遠なれ!

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。