【理事長交代】こんにちは白賀新理事長。ありがとう天坊さん

2019年11月19日(火)

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まず、本題へ入る前に「理事長と学長の違い」を簡単に説明します。
よく「どっちが偉いの?」と学生さんに聞かれることもあるんで(笑)

「学校法人武蔵野美術大学が設置してる学校が武蔵野美術大学」であり、学校法人武蔵野美術大学の長が理事長で、武蔵野美術大学の長が学長となります。時々「武蔵野美術大学 理事長」という表記を見ますが(職員でもこう書く人がいる)、これは完全に間違いで「学校法人武蔵野美術大学 理事長」が本当。
「どっちが偉いの?」という質問の答えだと、学長を任命するのは学校法人の理事会で、その長が理事長。また職員はもちろんですが教員も学長に雇われてるわけでなく、理事長に雇われてるいるんです。大雑把すぎるけど「理事長が系列会社を仕切る会長で、学長は会社の雇われ社長」って説明がわかりやすいかな。

タマビやムサビは学校法人の設置する大学がひとつしかないし、学校法人女子美術大学の設置校も女子美術大学(短期大学部)と付属高等学校・中学校なので違いがイマイチわかりにくいので、私はよく東京造形さんを例に出します。
学校法人桑沢学園の設置してる学校が桑沢デザイン研究所と東京造形大学」って説明が東京の美大関係者には理解しやすいはず。あ、「東京造形大学が運営してる専門学校が桑沢デザイン」と言われたりしてるけど、それも間違いで、むしろ桑沢デザイン研究所の方が歴史が古いっす。

さて、ここから本題に入ります。

学校法人武蔵野美術大学は先日、役員(理事や評議員等)の任期満了に伴う改選が行われ、11月17日付で白賀洋平が新理事長に就任いたしました。

武蔵野美術大学|役員改選、新理事長の就任について
プロフィールを紹介します。

白賀洋平(しらが・ようへい)
1941年生まれ。
1964年大阪大学法学部卒業、同年株式会社住友銀行入行。同行常務取締役、専務取締役、副頭取兼副頭取執行役員を歴任。
2001年株式会社三井住友銀行副頭取兼副頭取執行役員、2002年三井住友銀リース株式会社(現三井住友ファイナンス&リース株式会社)代表取締役社長を経て、現在、同社特別顧問ならびにアジアパイルホールディングス株式会社社外取締役。
本法人では2019年1月より理事、評議員を経て、2019年11月理事長に就任。




ご覧の通り、三井住友銀行の副頭取等をされた方で、
三井住友フィナンシャルグループ|役員の状況(平成12年6月30日現在)
を見ると、「市場営業グループ統括、人事部、管理部、法務部、総務部、 融資企画部担当 」と会社の中でもかなりゴリゴリの仕事をされてたのがわかります。
1月から理事をされているので白賀さんとは既に何度か打ち合わせをしてますが、事業報告書や予算・決算報告書をどの理事よりも読み込んでいらっしゃったり、退任する理事・評議員の方をメモも見ずソラで全員言ったり、手羽が持ってる印象で職員にアドバイスするなら「今まで以上に気を引き締めていかないとダメだよ。『今までこうだったから』や惰性は絶対に通じない」です。
特に総務グループの人は。

その他、新たな理事・評議員・監事についてはこちらをご覧ください。
理事長紹介・法人情報
油絵の遠藤彰子さんが評議員になったり、中島信也さんは理事を再任されてます。


さて、入る人もいれば出ていく人もいる。
天坊昭彦理事長・・・じゃなくて天坊さんが「理事長として」最後の出勤日に臨時職員会(お別れ会)を開かせてもらいました。

大学によっては何十年も理事長が変わらないところもありますが、学校法人武蔵野美術大学は寄付行為で理事の任期を「4年3期まで」と定めており、理事長は理事から互選だから、理事任期満了=理事長退任なんです。

実はこれまでの理事長は全員任期中に退任されており、天坊さんはムサビ90年の歴史上初めて「理事任期満了で退任した理事長」、つまり「自分の意志ではなくルール上退任した理事長」となりました。ここからも今ムサビは安定した法人状態ってことがわかるかと思います。

天坊さんのされてきたことを漢字2文字で表すなら間違いなく「改革」ですね。
新たな事業を様々されてきた改革よりも、やめる「改革」。
今まで難しくて先送りになってきた案件、これまでの理事長が手が出せなかった部分に手を付けて確実に改革をされてきました。なにかをやめるのって始める時よりも決断・信念・体力が必要なんですよ。

今まであえて紹介しなかったこちらのレポートをご覧ください。最後に紹介したいと思ってて取ってました。てへ。
報告2「出光興産の自己革新(1):上場への道のり」|島本 実(一橋大学大学院商学研究科准教授)
3ページの最後の段落を引用させていただきます。
===
歴史ある大企業の自己革新は容易ではない。90年代末に財務危機に陥った企業の中で、出光だけが自力での回復を遂げることができた理由は、天坊昭彦のリーダーシップの、大組織の惰性や悪しき慣習を断ち切り、経営理念の本質を見据えて手段と理念を峻別し、決めた以上は重要なことから断固実行することができたことにあった。
===

ムサビ教職員は思い当たるフシがあるんじゃないかしら(笑)
誰にとっても気持ちのいい改革なんてあるわけがなく、それによって学内でいろいろ起きたりもしましたが(ぼそっ)、「現状を保ちつつ前に進める」というのは、「何も変えない」ではなく「変え続けてようやく現状維持」ってことを自ら実践され、その改革のポリシーを今の職員に植え付けてくれたように感じています。
また、天坊理事長と柳のようにしなやかな長澤学長の関係というか相性もすごくよかったかもしれません。

吉祥寺校と市ヶ谷キャンパススタッフはテレビ会議システムで。

1号館下でお見送り。

長澤学長もこのために出校されてました。

天坊さんの理事長として最後の言葉は「なんか祝賀パレードみたいだね」(笑)

職員は車が見えなくなるまで手を振りました。
天坊さん、理事長としてこれまでありがとうございました!!


以上、「せっかくだから天坊さんと職員の集合写真を撮ろう!」と準備をし、手羽がカメラ向けたら「ブログにあげるんじゃねーぞ」と声が聞こえた手羽がお送りいたしました。
ああ、それってダチョウ倶楽部さん的な「押すな押すな」的なやつだよね。

パシャリ。

職員の集合写真なんてほんと撮る機会がないから(手羽の記憶でも初めて)、100周年に向けてこの手の写真は意識的に残していきたいな、と。

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。