先週出した問題の回答編です。
■【あなたは解けるか?】ムサビ検定、略してムサケン。
さっそくいきます。
ムサビ検定2017【初級編】
問1.武蔵野美術大学の建学の精神の〇内にあてはまるものを選びなさい。
「真に〇〇的自由に達するような美術教育」
A 教養
B 独立
C 精神
D 人間
正解はDの「人間」。ムサビ入門を取ってた人にはかなりのサービス問題。ムサビ入門取ってなくても、これは間違っちゃいけない。
・・・といいつつ、ムサビ入門用のスライド作って先生に見せてたら「手羽さん、Aになってる!!」と速攻で指摘されたんですが・・自分で仕掛けたトラップに見事に引っかかった手羽がここにいますが・・。
ちなみに多摩美術大学の教育理念は「自由と意力」です。
問2.武蔵野美術大学の前身、帝国美術学校が開学した場所は?
A 荻窪
B 上野毛
C 吉祥寺
D 小川町
これも簡単。もちろんCの「吉祥寺」です。
当時は「北多摩郡武蔵野町大字吉祥寺」。
1929年に吉祥寺に帝国美術学校が生まれ、その6年後に「なんやかんやあって」上野毛に移る多摩帝国美術学校(現在のタマビ)と吉祥寺に残った帝国美術学校(現在のムサビ)に分裂します。この「なんやかんや」の解釈はタマビとムサビでは違うのでここでは触れませんが、吉祥寺校については面白い話があって。
その後ムサビは小平市鷹の台に本体を移転します。
鷹の台キャンパスは正門と美術館を結ぶ東西ラインと、中央広場でその軸と直角に交わる南北ラインがあります。そのラインを主軸にした見えないグリッドが作られ、ムサビの建物はほぼすべて(10号館以外?)このグリッド上に置かれ、建物の配置は神社を参考にしてる(そもそも正門が鳥居)・・・ってのは有名な話なんですが、
この正門と美術館を結ぶ軸を、ずーーーーーーーーーと伸ばすと、なんと
吉祥寺校にぶつかるんです!
鷹の台キャンパスの主軸が美大通りに対して微妙に直角じゃないのは、実は吉祥寺校に主軸をぶつけるため・・・と言われてます。*諸説あります。
ここまで建築家ってのはストーリーを考えてて設計してるんですね。こういう発祥の地への敬意を上野毛の大学がしてるかって話ですよ(喧嘩売ってる)
問3.武蔵野美術大学(帝国美術学校)校歌の作詞者は?
A 相馬御風
B 北原白秋
C 島崎藤村
D 山田耕筰
これもムサビ入門受講生ならすぐに答えられた問題。毎週のように校歌歌ってましたから(笑)
Bの「北原白秋」です。ムサビ大学史史料室には白秋直筆の校歌もあります。
ちなみに相馬御風は 早稲田大学、島崎藤村は 明治学院大学。
問4.12号館横の銅像の人物を選びなさい。
A 田中誠治
B 田中誠次
C 田中誠二
D 田中星児
もちろんAの「田中誠治」。
Dだとビューティフルサンデー(わからない人はお母さんに聞こう)。
問5.帝国美術学校設立者の一人である木下成太郞が創設に参画した学校を選びなさい。
A 大東文化学院(現 大東文化大学)
B 多摩帝国美術学校(現 多摩美術大学)
C 武蔵高等工科学校(現 東京都市大学)
D 帝京商業学校(現 帝京大学)
これも間違ってる人が多かったけど、Aの大東文化学院(現 大東文化大学)なんです。悲しいかな、ムサビ職員でもこの事実を知らない人が多いのだけど。
つまり大東さんとムサビは兄弟みたいなもんなんですね。
ちなみに木下成太郞は北海道の文化振興に力をいれたこともあり、北海道中島公園に立派な銅像がたっています。こちらがそれ。
作者はなんと朝倉文夫ですよ!
戦争の金属回收令で全国の釣鐘やブロンズ像が回収されたけど、札幌の方がこの銅像を守ってくれ、戦前の彫刻として歴史的・文化的・芸術的価値の高い貴重な作品でもあります。
後半に続くっ!!
【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。