3.11後の世界で、つくる人々 〜お坊さんの喫茶店

3.11は様々な価値観をゆるがした。と様々な場所で耳にします。その価値観とも強くリンクしている宗教に関わるお坊さんで、カフェをあらゆる場所で開催している方がいると聞き、お話をうかがいに行ってきました。3月11日、そのカフェの会場があった仮設住宅の団地に到着したお昼頃、車を降りたときに触れた石巻市の空気はさすような冷たさをしていました。冷えきった身体が人々の集まる会場の空気に触れた時、じわりと内側が温められる感覚がありました。

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「あぁ、あかねちゃん?ちょちょ、こっちきて。美術の大学いってるんでしょ」
美大生、という響きにプレッシャーを感じつつも、カフェがはじまる直前の空気にいきなり飛び込み、右も左もわからなかった私は、喜んで金田さんのいる場所の近くへ移りました。ガーベラやかすみ草などの花らがさされた「3.11」の文字に並べられていたプラスチックのコップたち。これらを色の配分なども考慮してコンパクトに並べ替えてほしいとのことでした。
そうこうしているうちに周りがにぎやかになったなと思い顔を上げると、その団地に住まわれているたくさんの方々が、すでに集会所の至る所で会話を交わされていました。カフェの準備のお手伝いをされていた人も、そこについさっきやってきた人たちも、笑顔で。

 
このカフェドモンク、という移動式喫茶のマスターである金田諦應さんは、曹洞宗通大寺という宮城県にあるお寺で住職をされています。震災後、炊き出しの活動後にすぐ、医者が命ならこっちは心だ、と軽トラックにコーヒーとケーキをのせて被災地へと赴きました。お坊さんとは、を軸としてではなく、宗教者とは、というより大きな軸を持った彼だからこそ実現することができたこの喫茶。これまである避難所で、またある集会所で、モンク(英語でお坊さんの事を指す)が文句を聞きますということで、たくさんの人とその心が集う時間をつくってきました。震災後の宗教の存在についての会話をしている中で「たまにね、お寺は日本では風景にすぎない、と言う人がいるけど、そうですよ、風景ですよって思うね。宗教って、風景とか風土とかと一緒。だし、それをもとに戻すように助けてるんだよ。」と、彼は言われました。

並べ終えた花のコップを前に満足し、お土産として実家から持ってきたのみかんを金田さんのもとへ持って行くと、すぐ、「あぁ、それ持ってみんなと話しておいで。」と一言。みかん片手に会話の間に入ると「ここに来たのは何度目か」「何々さんは今日娘さんが来てるから後で見えるそうだ」など、お互いそれぞれの生活に関する話が飛び交っていました。僧侶らしき方々が何名か間に入り、言葉を交わしていたことにようやく気づいたのは、その後記録写真を撮影するために被写体を意識した時でした。


14時46分
自治会長の方の「黙祷」の合図と市内に流れる遠くにきこえる放送と共に、一分間の静寂のなか一人一人が目を閉じました。「亡くなった方の想いをきちっと受け止めて、そしてそれぞれの人生を歩んでいただきたい」彼はその集会所に集う人々に、そう言葉を向けました。「外から来る私たちにできることはなんだと思いますか」答えと似たものでした。「自分たちのそれぞれの生活の中で、それぞれの命を燃やして生活してもらうくらいですかね。どうにかできるもんでは、到底ないって。できたっていう実感なんてない。」「僕は仏さんのあの目はそういうことだったんだなと、思いましたよ。ひとりでは何もできないんだけど、どうにかしたいって、あの、悲しみと慈しみの刷り込まれた目と表情。180cm先の地面を見ているあの伏せた目は、目の前の事に関心を寄せろって言ってる。見えるものには限界がある。その限界の先に起きていることに我々は想いを寄せる努力をしないといけないんです。それが想像力をつかうということなんだよね。イメージするという行為しか目に見える範囲から先の世界をどうしていこうかな、に向き合う事ができないんですよ。」

 傷の存在によって魅力の増した、繊細な金継ぎされた器のような人々がその集会所にはいました。
小さな女の子が、息継ぎと鼻をすする音だけで、声をあげずに泣いていました。追悼のお経が読み上げられた後、集会所の外へとでていった場面が強く印象に残っています。その後、彼女が6歳であることを知りました。彼女も今、一度負った傷を認めつつ、自分の破片を手に、どう金継ぎをしていこうかとその方法を見つけようとしているのでしょう。そして大人たちは一生懸命、その一度壊れてしまった箇所が同じようにまた壊れませんようにと、彼女達が金継ぎした箇所とともに守られるように、きっと言葉や想いを残すことを通してそんな世界をつくろうとしている、そのように私は感じました。

 金田さんがこの場所をつくり続けている理由。たくさんあると思いますが、ひとつ言い切るとしたら何ですか、という問いかけに、彼は「最初はね、寄り添いとかだったんですよ。はやりの感じの。だんだんそいうことどうでもよくなってきたの。もうね、ケアするもケアされるもない。ずっとやってるとね、つくられてるものとこっちの境界がなくなるんだよ。美術で言うと、つくる対象と、つくる私、みたいな、そういうのがなくなった瞬間にタッチした時に芸術家は悩みだすんだ。真理の領域にタッチした時ね。それはもう苦しいよ。そっから本当の芸術ってやつははじまってくんじゃないの。前はそういうとこ気負ってたかもしれないね。自分がつくるんだ、みたいな。今はもうそういうのないかな。」と答えました。
正反対のもののように思われそうな、想像と真理。
現前、でもなく現実でもない、より本当の何かに身体をもって向き合おうとする彼からでてくるそれらの言葉は共に使われていても、むしろそうして使われていた方が、説得力があるように思われました。

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STUDENT WRITER

川口あかね / Akane Kawaguchi

人と人の間づくりが得意な人になるため、日々言葉を練習しています。 好きなものはくもり空と手紙。 東北を自分ごととして捉えるきっかけづくりを行う団体、サイントを運営。