お給料は野菜
だいぶ間があいてしまいましたが、前回は学生時代に仲間と立ち上げた規格外の野菜を販売する「やおや」を紹介しました。今回はその続きを書きたいと思います。
「やおや」を運営していた当時、働きの対価は売り上げの5%と、農家さんが選んだ野菜を頂いていました。
5%は運営していくためのギリギリの費用。野菜はお給料です。
このやおやさんは、「規格外野菜をなんとかするプロジェクトその①」と位置付けていたため、お金をもらうよりも野菜をお給料にした方がスマートだろうと当時のメンバーは考えました。
だからお給料は野菜!!です。
野菜のお給料は、きゅうりばっかりの日。ナスのみの日、ジャガイモバケツ一杯分の日…。
同じ山形市内の農家さん(当時の登録農家十軒ほど)だから、それもそのはず。同じ時期に同じ野菜がピークを迎えます。
一人暮らしの家に持ち帰った大量の野菜達。
こうなると、工夫して保存したり、工夫して色んな食べ方を模索します。というか、せざるを得ません。
ふと気づけば、これは当たり前のように農家のお母さんたちがやっていることでした。
お陰様で料理も上達し、実は嫌いだった野菜も全て食べることが出来るようになりました。
そんな当たり前の苦労をしたことによって、仲間と発見したことは
“野菜は腐るけど、お金は腐らない!!!
だからお金って便利なんだ―!!!”
ということ。
よく考えれば当たり前のことですよね…。
腐らなくて軽いもの。それがお金ですよね。
でもその当時の私を含めたやおやメンバーは身を持って実感したんです。
あぁお金ってなんて便利なんだろう…。と。
腐ることにが豊かさが有る
そんな学生生活を送ったおかげで、野菜との距離は近づきました。
野菜は自分で作る、または知り合いからもらうことが中心になりました。
そうするとやっぱり野菜が余るのです。
だから家に人が来ると食事を出したくなります。
「一緒にいかがですか? 」と。
それは決して私が優しいからではなく、早く食べないと野菜が腐るから。
「どうか食べてほしい、もらってほしい」という気持ちになるのです。
もしそれがお金だったらどうでしょうか。
なぜか、お金は余ることがありません。
沢山持っていても、たいていの人は「余っている」と思わないのです。
自然の摂理を兼ね備えた腐るものは、巡ります。
腐って土へ還る循環。
頂き物を人にあげて、また誰かから頂き物する循環。
豊かって、こういうことなんじゃないか。
豊かさって、気持ちから来るものではない。
自然の摂理なんだ。気持ちはあとから付いてくる。
そう思うようになりました。
お金は便利だけれど、いくらあっても足りず。
野菜は腐るけれども、そのおかげで豊かさを感じることができる。
やおやさんをやってみて、さらに野菜をお給料にしてみて、便利さと豊かさ、それはイコールではないんだと改めて気づきました。
これからどんなバランスでお金と付き合っていこうか。
それが今の課題です。
山形県在住。2015年9月より群馬県吾妻郡高山村に移住予定。 東北芸術工科大学を卒業後、針仕事集団艸絲の運営や、大学の畑指導で主に生計を立てている。何かに1つに依存しない自立型の暮らしをつくっていきます。