ドイツの都市の多様さとアーティストの関係
筆者は大学院在籍時の短期の交換留学をきっかけにシュツットガルトを訪れ、帰国後大学を修了し再度渡独。現在はシュツットガルト芸術学校に在籍しながら作家活動をしています。
在住3年を迎え、ドイツをはじめとするヨーロッパの都市を見て回り、言語や暮らしに慣れてくることで、人々の持っている価値観や土地柄が少しずつ見えるようになってきたように思います。
私の住んでいる街、シュツットガルトでは、戦後復興の栄華とアカデミズムに支えられた文化力の厚みを強く感じることができます。それは時にコンサバティブな印象にも映りますが、その背景には、この街が工業都市として栄え、19世紀の工業化以来比較的安定して豊かであったことが挙げられます。工業により築かれた資本力によって、当時すでに認められていたバレエやオペラ、クラッシック音楽等がしっかりとした支援を受けることができ、現在までその良好な環境を保持できているのです。バウハウスのモダン建築を初めて住居化する実験住宅となったヴァイセンホーフ住宅地区が実現したのも、バウハウスの教育理念と実験精神に対するシュツットガルト資本家たちの理解と支援の大きさによって叶ったと言われています。
逆にベルリンやライプツィヒといった都市は、街の経済力ではなくアーティスト発信型のムーブメントが着火点となり、刺激的な現代アート、アンダーグラウンドカルチャーの街としての知名度を高めています。
このように、その街の文化の性質や背景というのはそれぞれ異なり、そこで制作活動をするものにとっては一長一短とも言えるものです。
美術館や有名ギャラリーが示すその国の大きなアートシーンにアンテナを張ることは多くの留学生や外国人アーティストの意識しているところだと思いますが、それと同じくらい、アーティストやクリエイターがその街の空気感に対して意識的でいること、その土地柄を踏まえて制作活動のための環境作りをすることがたいせつであると、筆者は思います。
このような観点は、”外国人”として街や人々を客観視する時期を経て見えたことでもあり、各州がそれぞれ別の国であるかのように異なったドイツの地方色の強さによって意識させられたことでもあります。
シェアハウス? 共同アトリエ? オルタナスペース?
さて、そんな私がシュツットガルトにて制作を続ける中、あるご縁からその思いを強くする出来事に遭遇することとなりました。
きっかけとなったのは、アーティストの三田村光土里さんのプロジェクトである「Art & Breakfast International vol.2」のシュツットガルトでの開催に携わる機会をいただいたことでした。このプロジェクトは誰もが開催者となり、世界中のアーティストやアートスペースのオープン・スタジオ、エキシビション、アートイベント、ワークショップなどと連動し、朝食を通してビジターとアートの場を共有するというもので、私たちがシュツットガルトで開催した朝食・展覧会は悪天候にもかかわらず盛況のうちに終わりました。その開催に際し、場を提供してくれたのが今回ご紹介するHaus / Galerie 44です。
Haus44は、シュツットガルト美術学校からも程近い小高い丘、キレスベルク地区に位置する大きな一軒家です。アーティストやミュージシャン、デザイナーが住むこの家の一部屋にGalerie 44があります。
そこで筆者が目にしたものは、今までに見たどのシェアハウスや共同アトリエ、イベントスペースとも異なっていて衝撃を受けました。
Haus44 その背景にあるドイツの歴史
市内で最も地価が高いとされるキレスベルク地区の閑静な住宅街にあるこの建物、部屋数およそ20室。全4階建、巨大な室内プールとサウナ。シュツットガルトを一望できる30平米のバルコニー。納屋付きの大きな庭。一軒家としては非常に贅沢な”お屋敷”なのです。
それもそのはず、実はこの建物、もとは戦前に当時のシュツットガルト市長 オイゲン•ボルツ氏の邸宅として建てられたもの。そこに現在25人のクリエイターを中心とする若者が住み、日夜展覧会やコンサート、ジャムセッションを繰り広げているのです!
屋敷内の壁に無造作に描かれたドローイング、室内プールはスケボーチューブへと改造され、持ち込まれた古いカウチやテーブル、各部屋に覗く制作中の絵画や楽器。その混沌ぶりは映画「チェルシーホテル」さながら。そこに暮らす人々の実にのびのびした様子もとても印象的です。
しかし街の一等地の屋敷に若いクリエイターたちが住み始め、彼らの表現活動の拠点にしている。この”占拠”とすら呼びたくなるような光景に、訪れた人の誰もがその経緯を問わずにはいられません。
その経緯をお話しするために、駆け足でこの建物の歴史を辿りましょう。
現在Haus44として使用されているこの家の歴史は、1932年に遡ります。当時シュツットガルトの市長であったオイゲン・ボルツ氏の邸宅として建てられました。ヒトラー政権を強く批判していたボルツ氏は1945年に処刑されてしまいます。ボルツ氏は戦後のシュツットガルト市民にとって反独裁精神の象徴として語り継がれ、この屋敷は街の小さな歴史遺産としてひっそりと残されてきました。
ボルツ氏の亡き後、邸宅は1960年に維持費に腐心した親族により不動産会社に売却されます。以来、リノベーションを重ねてはいるものの、築80年以上である上に一般家庭が暮らすには大すぎるため賃貸にも向かず、取り壊し・高級分譲マンションの新築が決定されました。そこに現在のHaus44の発起人のひとりであるデザイナーのペーターが交渉し、建物の取り壊しまでの半年間という期限つきで、この屋敷を賃貸・自由使用するまでにこぎつけたのでした。
始まった挑戦
2015年5月に発起人の数人から入居が始まりました。以前から音楽活動・アートイベントを日常的にできる場を求めていた知人友人らが集まり、同年7月には25人の住人が暮らすようになりました。
スケートボードのチューブやDJターンテーブル付きのラウンジルーム、20人以上が一緒に食事できる巨大なテーブルをしつらえた開放的なバルコニー・・・豪奢な邸宅はセルフリノベーションによって若いクリエイター達が個人の創作活動と刺激的な共同生活とを両立させる場作りのための工夫によって進化し続けています。
美大生メンバー3人によるギャラリーの発足といったものから、「一日一度はできるだけみんなで食事を」という考えのもとおよそ20人分の食事を支度するための役割分担など、住人がHaus44に求める表現活動や生活観に応じて、自然と緩やかな組織形成がなされてきました。
7月のフリーペーパー「Autonoë」のリリースパーティーを皮切りに、朗読会・ジャムセッション、4つの展覧会などなど、月に約2回以上のペースでイベントを開催。彼らがイベントに際して知人や彼らの通う美大向けの告知を除き大きく宣伝を打つことはなかったにもかかわらず、クチコミと周辺住民からの注目を介してイベントを重ねるごとに新聞社等のメディアからの取材申し出が増えてきました。それに比例して、全くの外部からも彼らのイベントに興味を持ち足を運ぶ人が現れ始めたのです。
10月19日付けの現地紙Stuttgarternachrichtenでは「ヴィラ・ボルツの若い住人たちの活動は建物の歴史遺産価値を高める活きた文化活動である。彼らは忘れられかけたこの建物を”誇りの家”として復活させている。」と評されました。
メディアを通して集まった予期せぬ大きな注目が新築計画にもたらす影響を懸念され、不動産側から早期退去が申し出されるなどの危機もありましたが、話し合い重ねなんとか解決。Haus44はこの11月末、ついに本来の契約通りの物件使用の終了を迎えることとなります。メンバーは現在、新しい拠点となる物件を探すとともにHaus44を非営利団体として州に申請中。移転と新たな活動展開に向けて準備を進めています。
これまで約5ヶ月という短期間で怒涛の展開を見せてきたHaus44でしたが、その活動を支える彼ら一人ひとりの思いはとても純粋で情熱的、そしてちょっと意外なほどに実直なものでした。
次回はGalerie44を運営する、現役美大生のイヴァンとフリードリヒが語ってくれたHaus/ Galerie44の暮らしとコンセプト、そしてこれからの活動のビジョンについて、彼らのリアルな声をインタビュー形式でお届けします。
(引用元/参照元)
引用元:stuttgarter-nachrichten.de(10月19日記事より)
参照元:Art & Breakfast International
2013年よりドイツStuttgartで絵画を中心にアートを学びつつ制作活動をしています。在籍中のアカデミーや環境の紹介、ドイツの若いアーティスト・美大生のリアルな事情、考えていること等を等身大な目線から記事にしていきます。