SALONAIR in PARTNER
#01 宮嶋 みぎわ(ジャズピアニスト / 作編曲家)
対談アーカイブ
先日22日、海外在住アーティストとの対談番組『SALONAIR in PARTNER』を配信しました。今回のゲストはニューヨークでで活動するジャズピアニスト・作編曲家の宮嶋みぎわさん。
2年半前にSALONAIRの放送が始まったころにも、一度ご出演いただいている宮嶋さん。
ニューヨークと日本それぞれのジャズ界でのご活躍の様子や、アーティストとして生きていく上でのアドバイスなどをざっくばらんに聞きました。
テキストでご覧になりたい方は、以下実録をぜひご覧ください。
特に後半、美大生にぜひ読んでほしいアーティストとしての生き方についてのお話が詰まってます!
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ALIMO (以下A):今回ゲストは、ニューヨーク在住のジャズピアニスト兼作編曲家であられる宮嶋みぎわさんなんですけれども、今日はニューヨークの街を映してくれています。みぎわさんは、SALONAIRをエストニアで始めたときに第一回にゲストとして出演してくださった方であり、SALONAIRをつくっていく段階で力を貸してくださった方でもあります。そんな経緯もあり、復活したSALONAIR第一回でも宮嶋さんにゲストをお願いしました。
日本は夜11時ですが、ニューヨークはライブ映像の通り「朝」です。早速お呼びしたいと思います。ニューヨークのみぎわさん、おはようございます。
宮嶋(以下M):はーい、おはようございまーす!よろしくお願いします!
A:ご無沙汰しております。前回は2013年の3月くらいですから、、、
M:もう2年以上経ってるんだー!私たちの居住地も変わっているしね。あのときから引越してもう4ヶ所目です。
A:そうですか。4箇所も!よくFacebookとかTwitterでは活動を拝見していますが、いくつの活動が一緒に動いているのかわからないくらい、同時にいろいろ進んでいるような気配を感じています。
M:そうですね、この2年の間は、いろいろな種類の仕事をして、この2年の間にすごく肩書きが増えました。
2年前、ALIMOさんと宮嶋みぎわさんはそれぞれ文化庁の助成金で海外へ。
そのまま海外で活動するために越えなければいけなかったのは、ビザの切り替えだった。
A:2年前はお互い文化庁から助成をいただいてお互い海外にいたわけですけど、僕は文化庁の助成金のあと、別の助成金でエストニアにいて、結果今は日本に帰ってきました。みぎわさんは助成金が終了した後もニューヨークに残っていらっしゃるんですよね。
M:そうね。文化庁の助成金で留学中に持っていたのは仕事ができないビザ(アメリカで収入を得ることが禁止されている)ビザでした。そのあと、アーティストとして仕事をする人のためのビザに切り替えて、もうすぐ2年が経とうとしています。
A:早いですね〜。
M:早いよー!アメリカのアーティスト用就労ビザは3年しか保たないんですけど、あと1年しか残っていなくて延長するなり取り直すなり考えなくちゃいけないんです。でもビザの延長はとても大変なので考えたくないんですよー。アーティストに対するビザを下ろしてくれる数が年々減っていて、すごく厳しい審査を越えなきゃいけないから準備が大変なんです。
A:みぎわさんの活動はニューヨークの現地の方々とも絡んでいる活動で、ニューヨークで部屋にこもって絵を描いているのとは違うような感じもしますね。
M:ALIMOさんが言うとおり、「アーティストビザ」を取得するときは、現地の人たちと一緒に仕事をするということが重要だったりするんです。例えば今、Skypeを繋いで日本でピアノを教えたり作曲を教えたりして日本円でお給料をいただく仕事なんかもしていますが、そういう仕事だけになってしまうと、このアーティストビザはもらえないんですね。アメリカ人と仕事をしてコラボレーションして、アメリカの国に貢献していることが証明できないと、アメリカに住む意味がないからということで「出て行け」ってなっちゃうんですよね。
A:でもアメリカへの貢献という意味では、現地に相当絡んでますよね。
M:そう、私は意識して貢献しようとしているし、絡もうとしているからね。アメリカだけに貢献しても意味がないから、アメリカと日本を繋ぐような仕事を積極的に狙って、自分で仕事を生み出すように心がけています。
A:今回事前にいろいろ写真をいただいたんですけど、一番遡っているもので14年の6月のものですね。さっそくみぎわさんのお仕事を見ていきましょう。
宮嶋みぎわさん、この1年の濃厚な活動を振り返る!
2014年6月、大好きだったバンドのレコーディングに参加させてもらった
M: 2014年6月からですね。The Vanguard Jazz Orchestraという、アメリカにある、49年も歴史があってグラミー賞の常連ジャズバンド。私はずーっと昔からこの人たちのファンだったのですが、ラッキーなことにこの人たちと仕事ができたんです。毎回彼らのライブへ行き、最前列で作曲のためにメモをとって涙目で彼らの演奏を聞いていたら、アジア人の女の子がメモを取りながらライブに来ているのが目立っていたようで、彼らのなかでも話題になってしましまいまして。それがきっかけで彼らと知り合って、彼らの仕事を手伝い始めたんですね。それが振り返るともう8年前なんですが。
そのバンドが、構想6年でつくったCDのレコーディングに昨年私も参加させてもらうことができて、最初の写真はその記念写真です。写真を見ていただくとわかるのですが、アジア出身は見事に私一人、女性も私ともう一人。この仕事は後世のためにも続けていこうと思っているんです。女性やアジア人などマイノリティで、ジャズ界で頑張っている人たちの励みになればと思っています。(※厳密にはバンド内には、中国系アメリカ人のメンバーがいますが、アジア出身は宮嶋さん一人)
2014年7月、日本でビッグバなどのリーダーを対象にしたビッグバンド講座を開催!
M:アメリカで得た知識は、一時帰国した時には日本に全部提供して帰ってこようと私はいつも思っています。こっち(NY)に住み始めるとこっちの生活が大変なので、日本に対して何ができるかを考えるのをやめちゃう人が多いんですけど、私はせっかくだから帰ったときには何かを残してこようと思って、帰国するたびに大きい勉強会を開くようにしているんです。
こちらの写真はその第一回ビッグバンド講座。ビッグバンドを持っている人、またはビッグバンドのリーダーになることに興味がある方に受講いただいて「ビッグバンドのリーダーとはどういうことができなきゃいけないか」という話、つまりチーム運営、練習の仕方、音楽の話から集団経営・ビジネスみたいな話までお話するというのを、朝から夜までやったときの話ですね。
A:お話されるのはみぎわさんがニューヨークで身につけたノウハウなんですか?
M:そうですね。ビッグバンド・ジャズって16〜17人のチームで演奏するんですけど、16人・17人もいるとちっちゃい会社くらいあるんですよ、規模が。そうするとメンバー同士の揉め事なんかもあったりするわけですよ。そういうことをどうやって解決するのかも、集まったみんなは聞きたいんですよね。ビッグバンドのリーダーだけを集めたこうした講習は今までになかったんですけど、ビッグバンドに必要だろうなと思って自分で企画して実現したんです。
2014年9月、地元・茨城の学校に本とCDを寄贈しました
M:私のメインの仕事として、自分のジャズオーケストラ・ビッグバンドを持っていて、活動しているんですけど、その15年くらいやっている日本のビッグバンドで、去年東京でライブをやりました。そのときの写真が左側。
もうひとつ9月にやったのは、これまで地元に対してどんな貢献ができるか長い間考えてきたんですけど、「そうだ自分が手がけた本やCDを寄贈すればいいじゃん!」ということに、はたと気づきまして。きっかけは去年初めて茨城で自分のビッグバンドのライブをやったとき。ボランティアでお手伝いに来てくれた高校生や大学生、社会人の方が、みんな真剣に勉強しようと挑んでくれて、それを見ていて、「やっぱり茨城は東京よりも勉強の機会が少ないんだな」ということを実感したんですよ。それを見て、もっと私は貢献しなくちゃいけないなと思っていろいろ考えているうちに、「寄贈しよう」と思って。自分の手がけたCDだけど、自分の家に在庫があるわけじゃないじゃないんですよ。だから自分で本とCDを買って、茨城県内のビックバンドサークルのある小学校と高校10校をセレクトしていただいて、10セットずつ寄付したんです。これがきっかけになって、今年の9月には母校の茨城県立日立第一高校に戻って中高在学生約1000人の前で特別公演として1時間お話をしつつ、吹奏楽部とコラボレーションで演奏をする、という予定が決まりました。この様子はAMラジオ茨城放送で9月27日19:30〜20:00に放送されます。
ポンッ!って本業以外のやりたいことが湧いてくる
いい想いをたくさんしているから、世の中に還元しなきゃといつも考えている
A:普段ニューヨークでの活動があるじゃないですか。それらをやりながらも、こうした茨城の活動をしたいというのは、どこからか湧いてくるんですか?
M:ポンッてね(笑) もしかしたら普通のアーティストと違うのかなと思うのは、私はどこか「貢献したい」と思っているんですよ。さっきお話したみたいにね、憧れのすごいアーティストと仕事をしたり、いい想いをたくさんしているので、それを「世の中にどうやったら還元できるかな」っていつも考えている。ずっと心の中に「これを日本に返さなきゃ」という想いがあるから、ひらめくことがあるんでしょうね。
さらにありがたいことに、いろんなことをやりすぎてて全部のことをやりかけの状態にしているので、それを見て助けてくれようとする人が日本にたくさんいるんですね。茨城では、Miggy+ Jazz Orchestra茨城公演実行委員会があってですね、実行委員長の河野さんという方がブレーンとしてたくさん提案をしてくれるんです。県庁寄贈の話も、私は単に「寄贈したい」とひらめいただけで、それを実現してくださったのは河野さんや県庁のみなさんなのですよ。
次の写真も9月です。背中しか映ってない写真ですが、1年に1回やっている仕事で、小学生から高校生まで出る「ステラジャム」というニックネームのジャズのビッグバンドコンテストがあって、その審査員をしています。今年も3日間、全部で1日約15バンドの課題曲と自由曲を聞いて、演奏が進んでいるのと同時にリアルタイムでマイクにコメントを吹き込んでいくんです。審査員6人の録音したコメントがもらえるという、学習に重きをおいた素晴らしいコンテストなんです。
2014年12月、初めてグラミー賞の投票権を取得!自分たちに投票するために(笑)
M:グラミー賞の投票権を去年初めてもらいました。投票権をもらうためには審査があるんですよ。自分の音楽のキャリアなどを資料として提出して、メンバーになれるかを審査されるんです。OKされて年会費を払えば投票に関わることができるんです。自分たちに投票するために会員になったんです(笑)。自分たちに入れてもいいんだよ。
12月にノミネートされたかどうかがわかったんですけど、写真は、投票に際してアソシエーションから送られてきたボーターズ(投票者)ガイドです。グラミー・アソシエーションからは資料や招待状が頻繁に、次々に送られてくるんですが、私はその書類全部捨てちゃいました(笑) (そんな貴重なもの捨てるなんて、って)みんなにすごく怒られちゃったんですけど、後生大事に持ってたら、もう二度とチャンスがこない人みたいでしょ?こんなのいつでも来るからいいの、って言える人になろうと思って捨てたんですよ。
A:後悔しないように頑張らないとですね。こういうグラミー賞の投票に日本人が関わるってすごいですよね。
M:ありがとうございます。日本人でグラミーのジャズ部門に関わる人は多くはないから、頑張らないといけないですね。
2015年2月、日本の学生20名弱を受け入れるニューヨークジャズ研修旅行をコーディネイト!
M:これはですね、洗足学園音楽大学という学校が神奈川県・溝の口にあるんですけど、そのジャズ科のヘッドをしておられる香取さんが、実は私の人生を変えた人なんです。私が大学4年生の時に大学サークルでお会いしたことがきっかけで。私は彼の作曲を聞いてビッグバンドの世界に入り込んだんです。その彼が「ニューヨークの研修旅行をやりたいんだけど、知り合いが全然いなくて、コーディネイトをしてくれないか」と突然依頼をくださったんですね。
私今ニューヨークで音楽家をしていますが、その前にリクルートで『じゃらん』という旅行雑誌の編集の仕事をしていました。でもさすがに、旅行のコーディネイトの仕事なんてしたことないわけですよ。しかも20人弱日本から学生が来る。どういう研修内容にするかを先生や学校と打ち合わせて決めて、JTBニューヨーク支店と打ち合わせをし、もう1名鈴木陽平さんという経験豊かなコーディネーターに協力いただき‥‥結局その恐ろしく大変な仕事を引き受けてしまったんです。
が、これがとても感動的な仕事だったんです。2週間くらいニューヨークでレッスンをしたりアポロシアターにいってライブを見たりしたんだけど、最後お別れの時に、男の子ですら空港で泣いちゃったりしてくれて。「感動しました」「人生が変わる旅でした」と言って泣いちゃうんです。もう感無量でしたよ、こちらがありがとうと言いたかったです。
2015年4月、国際ジャズデーで演奏!
M:UNESCOが定めた「国際ジャズデー」という日があるんです。4月30日。この日は世界中でジャズのイベントをしているんですが、ニューヨークでやったイベントの一つに呼んでいただいて、「 “International Jazz Day“だから、アメリカ人だけじゃなく外国人のアメリカで演奏している人に演奏してほしい」ということで。今年戦後70周年でしょう。だから、特に日本人にやってもらおうという話になって、私とオルガン奏者の敦賀明子さんを選んでもらってこのイベントで演奏しました。
A:国際アニメーションデーもありますよ。10月28日でしたね、たしか。国際ジャズデーほどしっかりしたものではないですけどね(笑)
M:そうなのね!
2015年5月、宮崎幸子CD製作プロデュース!超贅沢なメンバーをアサイン。
M:これはレコーディングの写真です。宮崎幸子(ゆきこ)ちゃんというボーカリストのCD制作でプロデュースを依頼してもらって、レコーディングメンバーを選んで声かけてコーディネーションを全部やりつつ、曲のアレンジをしました。
メンバーは、日本から来たボーカルの宮崎幸子ちゃん、ベースの寺尾陽介くんに加え、大物メンバーをアサインしました。The Vanguard Jazz Orchestraのリーダー、ダグラス・パーヴァイアンスさん。伝説的な、おそらく世界で一番有名なジャズのオーケストラであるCount Basie Orchestraの元ドラマー兼リーダーデニス・マクレルさん。素晴らしいピアニストのオスカー・ペレスさん。サックスとフルートに、NY一忙しい大人気サックス奏者と言われるスティーブ・ウィルソンさん。一番右のレコーディング・エンジニアのクリスさんは、グラミー賞を若いのにとった方で。
日本からは若手のホープと言われているベースの寺尾陽介くんも来てくれて、超贅沢なメンバーなんですよ。
A:すごいなぁ。
M:うん、すごいのー。ちなみに、後ろにいるSteven Wilsonさんは、9月〜10月、私と一緒に日本でツアーしてくださるんですよ。10月5日にはこのユキちゃんのCD発売祈念ライブを、渋谷のJz Bratという会場で実施する予定です。
2015年6月、プロのための作曲ワークショップでファイナリストに!
M:The BMI Jazz Composers Workshopという、ジャズのプロ作曲家しか参加できないワークショップがあるんです。学生さん対象じゃなくプロしか参加できないの。試験にパスすると無料で3年間そのワークショップが受けられる。日本じゃそういう考え方ないよね。学生や子ども向けの教育の機会は確かに大切だし、それをやっていると見栄えが良いから企業もスポンサーするんだけど、オトナとかプロには何の機会も与えないでしょ?日本では大人向けの勉強の機会に目が向いていないんだけど、今みんな80歳とか90歳まで生きるんだから60歳から勉強したっていいわけだよね。BMIのワークショップは年齢関係なく応募してくるから20代から60代までのプロがみんな一緒に勉強していて本当に面白かったですよ。
1年に1度ファイナルコンサートがあって、優秀な曲が8曲…8人の作曲家が選出されて、さらにその中の3人はファイナリストに選ばれるんだけど、私そのBMI/Charlie Parker Awardでそのファイナリストに今年選んでもらったの。この大きな会場で指揮をしたんですよ。
2015年7月、記念すべきデビューライブ。「ニューヨークのみぎわバンド」を結成!
M:最後の写真が、私の記念すべきデビューライブ。
A:最初デビューライブと聞いた時ピンと来なかったんですよ。だってデビューしてたんじゃなかったっけ!?って。
M:そう、そうなのよ。いろんな活動をしていたんだけど、自分のビッグバンドをニューヨークでは立ち上げてなかったんです。だからビッグバンド結成!という意味では今回がデビューなの。日本にも私のビッグバンドがあるのだけど、今回はニューヨークで新たにビッグバンドを組みました。もちろんメンバーは全員アメリカ人ですよ。ニューヨーク在住のニューヨークで活躍しているメンバーだけで「ニューヨークのみぎわバンド」を結成。
A:アメリカ人ばかりなんですか?
M:たまたま一人日本人がいるけど、日本人だから入ってもらったわけじゃなくて、ニューヨークで活躍しているニューヨークのギタリストで、良いプレイヤーだから入っていただいただけで、日本人だから、という理由ではないです。「アメリカ人」ってひとまとめにしちゃいましたが、おもしろいのは、サックスの中には日系アメリカ人がいるし、あっ、サックスの真ん中の人はメキシカンの血が入っているし。トランペットの人には韓国系アメリカ人がいるね。みんな自己認識としてはアメリカ人と思っているので、私も今「アメリカ人」って言っちゃいましたが、ニューヨークはそういう感じなのですよ。すごくミックスされていて「◯◯系アメリカ人」という人が多いんですよ。
A:自分のバンドというのは、つまり、ギャラをみぎわさんが払うんですか?
M:そうそう。私が小さな会社をやっているようなものだから、私がライブ会場とのやりとりやお金のコントロールなどをするのも全部私です。
これで一応報告おわり!1年間の間にやっていることが濃いでしょ。ジャンルも広いし。
A:広くて濃いですよ(笑)
ビッグバンドを教えるときに一番力を入れるのは「コミュニケーション能力」の重要さ
アーティストで生きていくのに必要なのは技術だと思いがちだけど、それは大きな間違い!
A:今回、一時帰国されるんですよね、もうすぐ。いろいろな活動を日本で行ってまたニューヨークに戻ると思うんです。僕も今日本で先生をしているので知りたいんですが、ビッグバンドを名古屋や富山で教えるということを伺ったんですが、ビッグバンドを教えるというのはどういう感じなんですかね?まったく想像がついていなくて。
M:ビッグバンドって要素がひとつじゃないんです。たとえば、私は画家ですというときに、絵を描く技術だけあれば画家として成功するわけじゃないですよね。社会の中で画家として成功しようと思ったら、画家として必要なものを全部持ってないといけないわけですよね。たとえばマネージャーときちんとうまくやっていく能力も必要かもしれないし、画廊の人と交渉する能力も必要かもしれないし、他の画家仲間の人とコミュ二ティをつくってやっていくことも必要かもしれないし。大学にいるとよく間違えちゃうのは、大学では技術を学ぶ場所だから、技術力の高い人が大学では高い点数をもらって、みんなそういう人が社会に出て活躍するんじゃないかってみんな間違えて思いがちなんですよ。でもそれは大きな間違いで。ニューヨークで活躍するにも技術力が必要だと思われがちなんですけど、それはもう当たり前、大前提なんです。技術に対する努力は当たり前。それよりも何よりも一番大事なのは、コミュニケーション能力なんですよ。自分の生活を整えて...人の約束を破らないとか、約束した納期を守って作品を仕上げるとかね、そういうのが大事だったりするわけですよ。
A:本当にそうですよ。本当にそう。本当に。
「私の人生にはコミュニケーション能力を訓練することが必要である」と決意して、
延期しないで若いうちにちゃんと勉強しちゃったほうがいい
M:美術やっているひとってさ、納期を守れない人も多いよね(笑)
A:(笑)。絵を描いたりとかアニメーションや漫画をつくるとかって個人作業で、人とコミュニケーションをとらなくていいから、自分ひとりでの表現にこだわりがあったりするんですけど、そういう表現をする人こそ、実はコミュニケーションが大事だったりするんですよ。でもそういう人に限ってやらない、できないんですよ。
M:一人で手を動かすのが好きな人って大概、一人の時間が好きなんですよね。でも長い人生の中で、どっかのタイミングで意識して「私の人生にはコミュニケーション能力を訓練することが必要である」と決意してさ、コミュニケーション能力を磨くことが必要なんだよね。でもみんな目をそむけちゃうんだよね。勉強することが必要なのは、わかっているのに。
作曲家もそうなりやすいの。作曲家も自分でやる仕事だからね。学校の作曲の授業で点数をとる人は作業が得意な人なんですよ。でも世の中で成功するためには、作曲家なんて生身の人間が集まって演奏するんだからね、本当は言葉や音でのコミュニケーションも上手じゃなきゃいけなくて。実はコミュニケーションがすべてなんだよね。そこができてないと絶対いけないんだけどね。
学生のみなさんに言いたいのは、苦手なことというのは延期しているとしわ寄せが絶対くる、ということ。学生のときの、柔軟な時にやっておけばいいけど、30代・40代・50代…って延期していっちゃうと、何十年もその問題を抱えたまま生きていかなきゃいけなくなる。早いうちに勉強しちゃったほうがいいよ!と思う。でもできない人の数の方がずっと多い実情なんですよね。
ビッグバンドで教えることの半分くらいは、音楽を通じたコミュニケーション、もしくは口を使ったりe-mailをつかってコミュニケーションする普段のコミュニケーション。それ(コミュニーケーション)でどうやって音楽の質を高めていくのか、ということ。そこがおもしろいところですよ。
A:学生さんの反応は?
M:だいたいの学生さんたちはびっくり仰天ですよね、そこが大事だと思ってないから。音楽の話じゃなくてそういう話になった途端に「なんでこの人そんな話してるの?」みたいな。「そのためにお金払って授業受けてるんじゃないのに」っていう反応。
たとえば、私のピアノのレッスンの話でいうと、ピアノの演奏って「筋力」なんですよ。指に筋力がないとピアノは弾けないの。何か弾けないものがあるときって、たいがい、音楽の才能がないんじゃなくて、筋肉がないのが理由なの。普段指や手の筋肉なんて意識しないじゃないですか。手のひらの中が筋肉痛になるんだよ、手をちゃんと使うと!趣味でやっていたりキャリアが短い人には見えないプロならではの「当たり前」ってあるんです。私が教えるのはそういうところ。
学生のうちに培っておくべきは基礎力。
美術の基礎力でも、音楽の基礎力でも、「見ること」「洞察力」が重要!?
A:アニメーションの業界も、アニメーションスキルは求めてないですよ。まずは「絵をかけるか」が問われるんです。基礎力は会社に入ってからは培えない、身につけられない。アニメーションは教えられるけど、デッサン力からは教えられないよというスタンスなんです。
学生はなぜ描けないかというと、ほとんど自分の絵ばかりを見ているんですよね。でも答えはモチーフにある。このモチーフを描くために自分の画用紙ばかりをみているんですよ。僕の師匠の言っていたことの受け売りなんですけど「10秒あったら8秒見ろ」って言うんです。「ほとんどの時間はまず見ろ」「お前は描けないんじゃない、見てないだけだ」と。それでほとんどの時間を見ていると、モチーフを覚えて、描けてくるんですよね。
M:似ている話ししていい? 私の作曲の師匠のジム・マクニーリー先生は天才だと思うの。演奏家の人柄とか、その人が楽器を吹いたらどんな音がするかを理解する天才なんです。
ジャズというのはアドリブソロをとるから、アドリブのその瞬間に奏者の個性が全部出ちゃうんだけど...たとえば、ライブ・ペインティング・イベントで使う曲を私が今書いているとすると、その画家がどんな絵を描きそうか、という想像がより具体的に、より深くできる人がいい作曲家なんです。その画家がより輝くためにはどんな曲を書けばいいかという「洞察の深さ」が違いになって出てくる。私の先生はその点が特に天才で、考えなくてもその想像ができちゃう。人をぱっと見ただけで得る情報量がすごく多い。それらの情報を含めて曲を書くから、その奏者が輝く曲をかける。普通の作曲家は「自分の曲」を書いちゃうんだけど、ジム先生は「その人の為の曲」を書きながら、もちろんジム先生らしさもうまいこと入っているわけで、その奏者がより輝くような仕事をすればするほど、結果ジム先生の腕前がみんなに伝わってジム先生も輝く。そういうアプローチができる人なんですよね。観察の力が素晴らしい。私はいろんな作曲家をニューヨークで見てきたけど、ジム先生がその力においてはダントツで世界一だと思う。私もそうなりたいと思っているの。
今度やるスティーブ・ウィルソンさんとのライブについても、私もスティーブが輝く曲を書きたいと思うから、スティーブのライブに50回どころじゃないな、100回くらいかな...行って、ずっとメモを取りつづけて、その情報を使って彼に演奏してもらうための曲を書いてきた。今年、その中の一つを彼がすごく気にいってくれて、自分のCDに入れてくれたんです。私はその人を輝かせるために勝手に努力して曲を書いてたんだけど、それをスティーブ本人が気に入ってくれて、ライブで演奏するたびにその私の曲が一番お客さんの拍手が大きいらしいんです。スティーブもマネージャーさんも、「この曲はライブのたびに、一番喜ばれる曲だから」と言ってくれてCDに入れることが、すぐに決まったんだって。
A:その流れすごい!
M:一般的に学生の頃思う「成功の流れ」と違うんだよね。学校でいい点数をとりました、作曲の知識のテストでいつも100点でした、みたいなことじゃないんだよね。
会社員の道もアーティストの道も両方本気でやった私だから、伝えられることがある
美大・音大生のキャリアについて、美大や音大ももっと対応すべきことがある
A:なんか武蔵美という名前も事前に聞きましたね。
M:そう、日本には8月28日から1ヶ月以上帰るんですけど、9月16日に、武蔵野美術大学で教えている常見陽平さんの授業に出ます。美大や音大って、制作ばかりやって自分の進路について考えることをしない学生も多いけれども、ムサビにはキャリアのことを考える授業があるんですよ、常見くんはその授業の先生なのです。今回私はそのゲストスピーカーとして呼んでいただいて、武蔵美の学生さんたちの前で、音楽だけじゃなくてアートとビジネスみたいなことをバランスよくとって、貧乏にならないで暮らしていくためにはどうしたらいいか、ちゃんと生きていけるアーティストになるにはどうしたらいいか、など、キャリア形成の話をします。(後日PARTNERでも紹介いたします)
A:キャリア形成を扱う大学事務局は、どこの大学にもあるんですよね。うちの大学もあるんです。でも、教員側の立場と、大学事務局の立場や意見がたまに食い違ったりするんです。「作家」になると「会社」に就職はしていない形になるでしょう。就職を推薦する大学事務局側は、「それはキャリアとして認めない、就職していないんだからそれは就職した数に入らない」というスタンスを取ることがある。フリーランスであっても絵を描いて食べていけるんであれば、それはキャリアと言っていいんじゃないかというのが教員側の立場。こういう摩擦の延長は、授業にも出てくるんです。大学3・4年生に課題を出した時、それが「作家を育てるための課題」だったとする。すると、就活で忙しい学生にとっては苦痛だったりして適当にやりすごしたりするんだけど…その時の成績のつけ方が難しい。そんなことなら最初から大学のコースを「就職組と作家組に分けてほしい」と言いたくなる。作家になりたい学生にはそのためのノウハウを教えるし、就職したい学生にはそういうスキルアップの仕方をやるし‥‥。
M:そうなんですよ。美大と音大はそこに問題があって、その大学を卒業したあとキャリアプロセスが分かれるでしょう。美大と音楽の場合は就職以外の選択肢が、ありすぎる。上智大学を出て音楽家になる人なんてそんなにいないでしょうから別に、上智大学では音楽家になるための授業やケアなんてしなくていいけど、美大や音大はみんなそのために大学に来ているわけだから、ケアしてあげないといけないよね。大学側も教員側も、みんな自分のやっていることが正しいと思っていて。アートやっている人はアートが正しくて、民間に就職している人はそれが正しいと思っている。だからぶつかっちゃったりするんだけど、現実的に見たら、最初から両方の進路があるんだからねえ、学生のことを考えて両方を学校では扱わないといけないよね。もっと大学が対応していかなきゃいけない。
私はレアな人で、音大にもいかずリクルートという会社に就職し、7年半勤めました。最終的にキャリアとしては編集デスクというかなり上の職種まで勤めて、それを辞めて音楽家になっている。私は両方の世界を知っている。かつ、両方の世界でそれぞれかなりのところまでやっている...こういう人って数としてもそんなにいないんですよね。だから私はそれについていろいろ話さなきゃいけないと思っている。それでキャリア形成の話ができる機会は、「お給料とかいらないからやらせてください」と積極的に参加させてもらっているんです。去年はトークショーもやったんです、同じようなテーマで。
自分の能力を使って世の中に良いことができるようになれば、なんだっていいわけじゃない、本当は。死なない程度にお金が入ってくれば。自分の力をどういう形で世の中に対して還元するのが社会のためと自分のためにいいのか。みんながもっと研究するべきで、学校や社会はそれをサポートするべき。日本はそういうのが遅い、遅れているよね。そういうサポートがない。
A:武蔵美の授業はぜひ知りたいですね。さて、あっというまに時間がきてしまいました。
M:まとめを自分で言いましょう。これを見てくださっている人の中に美大生が多くて、本当にこういうことで普段から悩んでいるんだとしたら、私に遠慮無く連絡してみてください。私は「あなたから話から聞きたい」とアクセスしてくれた人を拒んだことはなくて、連絡をくれた人には必ず返しているので。直接話してみたいと思ったりしたら、ライブに来てくれてもTwitterに話かけてくれてもいいので。
A:そうですよね、2年前にみぎわさんに連絡を取った時のリプライの速さは覚えていますよ。「今出先でちゃんと返信できないけど、必ず返信します」とか言って、すぐにリプライがきたんですよね。そのあとまたちゃんと返信もしてくれてね。
M:コミュニケーションだね!(笑) わたしはすごくうれしかったんですよ。ALIMOさんが考えている「アーティスト同士の横を繋ごう」というその発想が素晴らしいとおもったんですよ。
A:素晴らしいお話をありがとうございました。
M:たのしかったです!
A:すごく忙しいでしょうけど、帰国した時の活動とかも、ぜひ編集後記ということでリストアップして紹介していただけると嬉しいです。
M:りょうかい!元気でね!また話しましょう。
A:ありがとうございました!今日も長い間ご視聴いただきありがとうございました。まだちょっと消化しきれない(笑) 僕もあとでいろいろ追っていきたいと思います。
それではみなさん、ありがとうございました。
お知らせ
ゲストの宮嶋さんですが、対談にもありましたように
9月16日(水)に武蔵野美術大学の常見陽平先生の講義にゲスト出演します。
ゲスト出演の内容は、本美大生のウェブメディア「PARTNER」に後日掲載される予定です。
PARTNER編集部です。 編集部アカウントでは、フリーマガジンやイベントなど、総合メディアPARTNERに関わる様々な情報を提供いたします。