【未来につながる兆しを拾う】ムサビ地域フォーラムアート&デザイン2019吉祥寺「吉祥寺から巣立った我ら」に出てきた!

2019年9月1日(日)もう9月か・・

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8月31日(土)、

手羽は吉祥寺駅前にいました。

吉祥寺は通勤の通り道だし、ちょいちょい買い物に来る街だけど、ほとんど車だから駅前をこうやって撮影するのは初めてかもしれない。
吉祥寺といえば、


  • さとうのメンチカツ行列におざさの羊羹行列が有名だし、


  • あとは亡くなった像の花子。惜しむらくはこの象の像をムサビOBではなく藝大OGが制作したことかしら

ちょっと前までは「住みたい街ベスト1」と言われてましたが、ドンキができたあたりからランキングは下がり始めたような。ま、平日は不審者と漫画家ばっかりだし、もともとそんなに住みやすい街でもないんだけどね。
吉祥寺好きな方はグループ魂の「梅図かずお」がおすすめ。

でテクテク歩いて、

手羽調べでは日本に2つしかない「美大通り」を歩き、向かった先は

武蔵野美術大学吉祥寺校!
(もう1本の「美大通り」は鷹の台キャンパス前の道路)

8月31日、9月1日と
第25回武蔵野美術大学 地域フォーラム「アート&デザイン2019吉祥寺」~もうひとつの芸術祭 原点に立ち、未来を見る~
がこの吉祥寺校で開催されたのです。
地域フォーラムとは、大学と校友会(同窓会)の共同事業で、ムサビのエクステンション活動の一環として、地域社会へ文化的メッセージを発信し、地方との結びつきを模索するという目的で、全国で展開しています。去年は福岡でしたね。
今年は90周年ってこともあり、ムサビの発祥の地でもある吉祥寺校で恐らく初めて開催することになった、と。

この期間、常に開催されているのが、

ムサビズム展partⅡ
合同卒業生展で、校友会80周年の時にスパイラルで開催してるんでこれで2回目。


  • 雰囲気からしてまさに芸術祭(学園祭)ですね


  • 7月頭には定員に達しました。


  • また招待作家として甲田 前学長と 遠藤彰子先生の作品も展示されていますす。

ムサビズム展partⅡに合わせて、建築学科の校友会組織「日月会」は吉祥寺のgallery shell 102でU-50の展示、やはり基礎デザイン学科の校友会「基礎デの会」は永谷ギャラリーで展示してますんでこちらもぜひ。今日までです。

午後2時からは大学と校友会支部長さんたちとの情報交換会。
去年まで手羽が大学側の担当だったんであっち側に座ってたけど、今回は校友として後ろで聞いてました(笑)


  • 「しかし、原稿見ないで15分ぐらい一気にしゃべれる学長はすごいね」と横に座ってた森先生と話してました。他人事

そのあとの校友会総会も無事に終わり、記念撮影。


で、手羽はここからが本番なんです。

もう一つの主イベントがありまして。

2号館の階段をのぼり、

4階まで上がったのは15年ぶりぐらいかもしれない・・そこに第1講義室があります(吉祥寺校には一つしか講義室がないけど第1講義室)。

この日は情報交換会を見るためにやってきたお客さんではなく、

■パネルディスカッション「吉祥寺から巣立った我ら(ムサビ)」
●日時:8月31日(土)17:45-19:00  
●ゲスト : 甲田洋二 / 前学長、画家、名誉教授| 小池晴二 / 元理事長、日本映画・テレビ美術監督協会顧問| 宮崎晋 / 現 理事・評議員、博報堂チーフクリエイティブオフィサー顧問|長澤忠徳 / 武蔵野美術大学 学長
●司会 : 手羽イチロウ / 美大愛好家

手羽も登壇者だったんです!(ドーン)

去年の企画会議で甲田先生、小池さん、長澤学長の登壇がまず決まったんですが、手羽から「そこに宮崎さんを入れた方が絶対に面白くなりますよ」と提案したんです。(理由は後で書きます)
でも直前になって宮崎さんから「このメンバーまとめる役は手羽さんがいいんじゃない?学長もしゃべりたいだろうし」と言われ、急遽司会をやることになった、と。
ま、「やりたい」とも言ってたけど(笑)

ただ、宮崎さんのご都合が前日に悪くなってしまい、ご欠席に(涙)
この3人と手羽が進行しました。

なんで手羽が宮崎さんを推薦したかというと、

これは手羽が今回用に作った登壇者とムサビの主な出来事をまとめた表(ちょっと間違ってるかもしれませんがご了承ください)

ちょうど宮崎さんは吉祥寺校と鷹の台キャンパスを併用してる頃の学生で、1,2年鷹の台、3,4年吉祥寺で学んだ方なんです。新学科・市ヶ谷キャンパスを検討してる時に宮崎さんが「自分がそうだったけど、低学年は広い環境で造形教育を学び、高学年は都心で実践に移す方法が良かった」とおっしゃってて、そのあたりを語ってもらおう、というのが手羽の作戦だったの。
また宮崎さんは金沢美大の客員教授をされてるけど、ムサビのイベントにはあまり登壇されたことがないので一度出てほしいなーというのもあって。
ちなみに西原さんの漫画「まあじゃんほうろうき」に出てくる「博●堂の宮崎」はこの宮崎さんじゃないのでお間違えなく。

このパネルディスカッションの企画趣旨は手羽の中ではっきりしてました。

「昔は良かった」話をやるつもりは全くなく・・実は手羽はあんまりそこに興味はなくて・・当時の話を聞くことで「ムサビが昔から大事にしていること」「今につながる種や兆し、変化」「今後ムサビに必要な姿」を見つけ出したくて。

例えばですね、

校友会は乃木坂ロッポニカビルに校友がつどえる場所として、乃木坂MSBサロンを1991年開設しました(今はありません)。

そう、その約10年後にムサビは

乃木坂のすぐ隣の六本木ミッドタウンにデザイン・ラウンジを立ち上げています。
コンセプトは「(校友だけではなく)企業や大学などが集まって議論する場所」で、実はMSBサロンと似てる・・というか、こっそり参考にしました。
市ヶ谷キャンパスがグランドオープンするのもラウンジ開設から約10年後の2021年だし、こういう「都心で人が集まる場所を作る」という機運が10年おきぐらいに起きるんじゃないか、それはなんでだろう、てことは100周年あたりにもこういうものが求められるんじゃなかろうか、となると今からうっすら計画してた方がいいのかもしれない、と思ってて。

また、

鷹の台キャンパスができた頃はこんな感じで(崖は1号館の階段のところ)、キャンパス内に竹藪や雑木林、ボーボーの草むらがあり、学生さんが授業の合間にバイトで開墾してるんです。
市ヶ谷キャンパスは学生さんと一緒にコンセプトを作っていく方針で、ムサビは昔から「キャンパスを学生と一緒に作る」考え方があるのがしれません。過去を知らなくてもいつのまにか。

あくまでも例えばですが、これが「兆しや種をみつける」で、そこから将来ビジョンを作ってバックキャスティング的に考えていきたい・・というのが趣旨。

それを武蔵野美術大学開校式を行った同じ講義室でやる意味って大きいんじゃなかろうか、と。


もひとつ、手羽的に一度やってみたかったのが「大学史エンタテインメント」(笑)
例えば、手羽が一度諸先輩方に聞きたかったのが「略称『ムサビ』はいつから使われ始めたのか?」なんです。

大学史史料室で確認できるのはこの1969年の写真で、その2年前に「むさび」とひらがな表記が使われてるのまでは確認できてます。帝国美術学校は「帝美」、武蔵野美術学校は「美校」と略すのが一般的だから、どこかで「ムサビ」と言い出した瞬間があるはずで、それがいつなのか知りたくて。

で小池さんに聞いたところ、学生時代は既に「ムサビ」と言ってたそう。てことは少なくとも1954年には「ムサビ」が存在してたってことであり、となると武蔵野美術学校になった時にはもう「ムサビ」があったのかもしれない。情報求む。


そうそう。人によって記憶が違う案件だと、吉祥寺校・鷹の台キャンパスを併用してる時期に

吉祥寺校と鷹の台キャンパスの連絡バスが走ってたんです。
この写真をよく大学史で使ってて、さらに当時の総務課長名で書かれた「連絡バスに乗り遅れてもタクシー代とか出さないからな」という文書が発見されてるんだけど、宮崎さんを始め当時の人は「全然記憶がない」「そんなものはなかった」という反応が多くて。
「もしかして教員専用のバスだったのかな?」なんて推測もしてたんだけど、これは甲田先生がはっきりと「あった」とおっしゃってくれました。グランドは鷹の台にしかなかったから、体育をやりにバスにのって鷹の台キャンパスに行ってたそう。

アカデミックな時代検証ではなく、こういう学生生活に近い視点をオーラルヒストリーで調べ、その様子をそのまま見せるのって面白くないかなあ、と思ってたんです。
参加された皆さん、どうだったでしょうか。

うーん、相変わらずクネってる。
このまま一周しちゃうんじゃないかってくらいクネってる。よくこんな姿勢で司会やってたなあ・・。

最後にムサビを一言で表す言葉や、未来に望むこと・メッセージ、意気込みを色紙に書いてもらいました。

小池さんは「自分らしさ」で、ムサビ生やOBOGは自分を持ってる人が多く、いろんな業種で活躍してる人が多い。
「いろんな業種で活躍」といえば、昨日発表された実写ドラマ「サザエさん」の脚本を芸術文化学科卒の阿久津さんがやるし、
実写「サザエさん」主演は天海祐希!西島秀俊、濱田岳、松岡茉優、成田凌らも出演(コメントあり) - 映画ナタリー
その代表格はやっぱりこの人かな。
テレビでよく見掛けるのに“本業”がハテナ過ぎる有名人たち… - 趣味女子を応援するメディア「めるも」

甲田先生は「知力と造形力」。造形ができるだけではダメで、これはムサビの理念「教養を有する美術家養成」につながる言葉。
そして長澤学長は「Beyond the Rules」。今年1押しのフレーズですが、「美大だったら絵を描いてろ」な概念を超える、小池さん、甲田先生のメッセージにも通じるメッセージ。
さすが元理事長、前学長、現学長だけあって、うまくまとめていただきました。
皆さん、ありがとうございました!!


えーと、想定内ではありましたが自己紹介の段階で計画してた時間をかなりオーバーしてしまい(笑)、ずっと時計を見ながらタイムマネジメントしてました。でもこの3人で5分オーバーで終わったのは奇跡というか手羽仕切りだからできたと言っても過言ではなく、「頑張ったね」ともっと褒めてください。またスキルを上げてしまった。
この日のために大学史史料室にこもって写真調べたり、この2週間ぐらい60年史と80周年記念誌とにらめっこしてネタを仕込んでました。もっとネタがあったんだけど、時間なくて紹介できなかったなあ・・。


んで、会場を移し、

懇親パーティに突入。


  • 校友会から大学にご寄付をいただきました。ありがとうございます!


  • 甲田先生が乾杯の音頭。かんばーい!スタッフの皆さん、お疲れ様でしたー!!


  • 華やかなケータリング


  • 懐かしい先生たちも出席されてました。泉先生に網戸先生。お元気だなあ


  • ラジオ終わりにやってきた中島信也さんと話してるのは榎本了壱さん


そしてそして、スペシャルゲストの演奏です。

ピタゴラスイッチなどでおなじみ、栗コーダーカルテット!!
リーダーの栗原さんが視覚伝達デザイン学科の卒業生で、中島信也さんと同期なんです。「いろんな分野で活躍してる人」の一人。
ちなみに学生時代に中島さんと栗原さんは「ケチャップ」というバンドを組み、卒業後は3LDKのアパートで同居生活をしてたんですが、そこに「武道館でデビューしたい」と居候を始めた身長180センチの大柄の男が、のちの岡村靖幸・・といううそのようなホントの話があります。


さて、本日9月1日はトークライブ「みうらじゅんからの手紙」があります。
みうらじゅんさんも中島さんの同期で、この世代は奥山清行さんもいるし、ほんとすごいなあ・・。
あ、トークライブは一瞬で満席になったので、突然お越しいただいても参加できません。ご了承ください。



以上、

最近は「みんなの●●展」が流行りなのかな、と思った手羽がお送りいたしました。
「みんなの富永みーな展」をminnaがやるってどうだろ。

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。