【ボクタチノチョウコクノイキザマ】最上先生を偲ぶ会に行ってきた

2018年12月2日(日)

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イベントも1000記事記念も一段落ついたので、1週間前の話に戻します。


11月24日(土)、午前中は
【一生忘れられない日】ぶんぶんウォーク2018 -武蔵野美術大学「とりかえっこ」プロジェクトに行ってきた!
をチェックして、午後からムサビへ。

この日は

先日お亡くなりになった元彫刻学科主任教授・最上壽之先生を偲ぶ会が行われたのです。
「最上?誰?」って人はこちらをご覧ください。
【ムサビ彫刻関係者各位】最上先生を偲ぶ会を開催します
一度は作品を写真や映像でご覧になったことがあると思います。

学内にいるムサビ彫刻OBとして手羽も発起人になりまして、

偲ぶ会1週間前に発起人会がありました。
共通彫塑の戸田先生・山本先生、油絵学科の袴田先生、彫刻学科の伊藤先生・冨井先生、そして手羽という組み合わせ。ちなみに「学内3研究室にわたって卒業生教員がいる」ケースは彫刻以外だと工デくらいで(来年から基礎デもそうなりますね)、「プラス事務局」となると彫刻学科だけなんです。「立体」って美術の基礎教育や応用力という意味では大事な要素だけど、ちょっと特殊なものだし、ちゃんと習ってる人は少ないから、ある意味「平面よりも需要はなくならない」とも言えます。
浦沢直樹のMASTER キートン第9巻「瞳の中のハイランド」で、キートンが「3次元をそのまま立体にする彫刻家よりも3次元を2次元に変換する絵画作家の方が優れている」的なことを言ってて、「だったら2次元を立体にしてみろよ。2次元は嘘が使えるけど3次元じゃ嘘も矛盾も許されないのよ」と昔から思ってます。

えーと、なんの話だっけ。ああ、発起人会の話だった。
会議で揉めたのが「会の終わり方」
通常なら締めの挨拶の後はめでたく一本締めで終わるところだけど、偲ぶ会で一本締めもない。どうやったら終われるんだ?と。
「終わり方のデザイン」って難しいんですよ。最初と山場は誰もがイメージするけど「終わり方」ってちゃんと決めないことが多く、なんとなく自然と終わるイメージを持ってる。でも最後に盛り上がりつつ「はい。ここまで」と区切りを入れる必要があり、終わり方がうまいとイベントってだいたい満足度も高いんです。
簡単なところだと、誰かがプレゼンした後に拍手が入ると終わった感・区切り感が生まれるけど、ないとボヤとしたま進行しちゃうでしょ。なので手羽が絡むイベントではあえて大きく拍手するようにしてます。

手羽「やっぱりムサビ彫刻の飲み会締めといえば、エンヤコラセとか武蔵野音頭じゃないっすか?」

あ、エンヤコラセ・武蔵野音頭を知らない人はこちらの動画をご覧ください。

これは芸祭の男神輿動画で、彫刻学科の新歓コンパ、お返し、安全祈願祭などなど彫刻飲み会では、昔から伝わるこの二つの歌を歌って終わるのが習わしなんですよ。
校歌は歌えなくてもこの二つは歌える(笑)

袴田「でも最上先生はエンヤコラセも武蔵野音頭も嫌いだったんだよね・・・しかも偲ぶ会で歌うのはどうなんだろ」
手羽「それもそうですね・・・」

てなやり取りがあり、とりあえず袴田先生が締めの挨拶をしてなんとなく終わることに。


そして偲ぶ会当日に。
午前中は偉そうに学生さんに指示を出してたけど、この発起人メンバーだと手羽も下っ端なので、手羽の役割は会場装飾とケータリング発注係。久しぶりの下っ端仕事(笑)
せっせと会場づくりをして、ぼちぼちと時間。

徐々に卒業生や関係者が集まってきた。

祭壇には最上先生の奥様からお借りしたものを展示してて、最上先生が掘った仏像の他に

先生のアトリエの写真なども。


そしてこれは超貴重なレアアイテムなんですが、


  • 最上先生が晩年に使われていたメモ帳。こうやってタイトルを考えてたことがわかる美術史においてもかなり貴重な資料。ほんと感動もんで。


  • 殴り書きの文章もあり、恐らく文化庁へ出品か委員のお断りのするための手紙下書きと思われ


  • こういうイラスト(落書き?)もありました

そしてムサビ美術館・図書館にご協力いただき、

美術館が収蔵する最上先生の作品も展示してました。
戸田先生や彫刻研が運搬・設営をやったんだけど、美術館には分解されて収蔵されてるんで、これの運搬・設営をアート業者に依頼したら、最上先生クラスの作品だとウン十万、いや百万以上かかるかもしれません。しかしこれが45歳ぐらいの時の作品っていうんだからこれまた驚き。

伊藤先生による挨拶・献杯でスタート。

多分なんだかんだで80人ぐらいは来てたんじゃないかな。
1学年30人ぐらいの小さな学科で、お手紙は一切出さずに口コミだけで学年超えて80人集まるってすごくないですか?

デザイン系だと仕事が生まれるメリットがあり、空デ「芸空の会」や建築学科「日月会」等学科の校友会組織を作ってるところもあるけど、彫刻は基本一匹狼系なんで、あまり多くで集まったりはしません。
今回こうやって80人ぐらいが集まること自体彫刻学科の歴史で初めてのことだったのです。
これも最上先生のつながり。


  • 冨井先生・・というか冨井の挨拶。もう誰も聞いてない


  • 偲ぶ会というかほぼ彫刻学科大同窓会大会


  • 久しぶりに会う後輩もいるし、全然知らない先輩たちも

最上先生は2006年に退任されてるんで、最後の方の学年だと、ちょうどお子さんがこれくらいの年齢なんだね。

しかし、男性はハゲたり白髪になったりで「やっぱり老けるもんだね」と言い合ってたけど、女性は学生時代よりきれいになってる方が多く。美魔女。

手羽の同期を紹介しましょう。

右側が鎌倉彫をやってる森本勒弥さん。あだ名は「ロクさん」。つい最近神奈川県知事賞を受賞されてます。ちなみにお子さんが現在ムサビ彫刻学科4年にいて「学費が高い!」と怒られました(笑)

左側が遠藤 研二さんであだ名は「エンちゃん」。エンちゃんといえばうちの社会連携スタッフ・ABさんから
AB「ムサビ彫刻出身のエンドウケンジさんって知ってますか?」
手羽「エンドウケンジ?同級生でいたけど、よくある名前だよね(笑)それがどうしたの?」
AB「うちの子供の美術の先生がムサビ彫刻のエンドウケンジさんって人らしくて」
手羽「へー、じゃ、お子さんに背が小さくて坊主でヒゲはえてて丸メガネをかけてないか聞いてみて」
と答えた翌日、『背が小さくて坊主でヒゲはえてて丸メガネをかけてる人」だと回答があり、エンちゃんだと確定。世界は狭い。作家活動をつづけながら非常勤講師をされてます。

そして真ん中にいるのが、私たちが学生時代に助手をされてた土田義昌さん。
今は某中学・高等学校で芸術科主任をされてまして、つい先日もムサビがキャリア講演会でお世話になったばかり。
石彫作家で今年のなよろ国際雪像彫刻大会2018で参加したチームが優秀してたりします。

手羽含めてこの4人がそろうのは卒業以来のことで、「あいつは2バツ」「たまたま入ったギャラリーで●●ちゃんが展示してて今も陶磁作家で頑張ってる」「年賀状ではやり取り続いてるんだけど会ってないねー」「ミッドタウンで新学科ガイダンスやったら●●が来てて、お子さんが受験を考えてるんだって」「▲▲と■■は喧嘩別れしてる」「〇〇とは連絡つかないんだよなー。何してるんだろ」みたいな話を。

「会場設営終わったら手羽は暇になるから受付でもなんでもやるよ」と言ってたけど、久しぶりに助手さんと同級生に会うとなんだかんだ積もり積もった話があり、なんも協力できなくてすいませんでした・・>彫刻研


  • 最後にムサビ彫刻OGである青木野枝さんが挨拶。ノエさん、ムサビの先生になってほしかったなあ・・

そして、締めの挨拶を発起人代表して袴田先生。
「最近最上先生と連絡取ってなくて、ちょっと不義理になってるなあ」と思い、奥様に連絡を取り「入院してるけど今元気だから会いに来て、って言ってる」と行く日を調整してる時に亡くなったとのこと。


袴田先生といえば、今回あることが判明して。
学内でよく「手羽さんと袴田先生って何学年ぐらい違うんですか?」と聞かれるんだけど、「手羽が入学した時に袴田さんが大学院生ぐらいの感じ。そんなに仲良く話したことはないけど、顔と名前は昔から知ってる関係だったね。袴田さんは手羽の卒業制作も覚えてくれてるし」と答えてたんですよ。

で、その話を袴田さんにしたら「ボク、大学院行ってないよ」と衝撃の事実が返ってきたんです。
「え?え?じゃなんでいつも学内にいたんですか?」と聞くと「最上先生から『お前は作品を作れ』って言われて、卒業しても工房を使わせてもらってたんだよ」と。
そういわれると、手羽が学生時代は何年生かわからない怪しい屈強な先輩(っぽい人)が学内で制作してて、そういう人に機械の使い方やマナー、エンヤコラセを教わったりしてたっけ。
今は学費論やスペース、安全責任面でとても無理だし、そんなことしてたら学生の親御さんから「学費も払ってないのになんであの人は大学の施設を使ってるんザマスか!」とクレームが絶対に入るだろうけど、今思えばTAや研修生みたいな仕組みが自然とできてて、それでうまく回ってたんですよね。「昔はよかった」話をするつもりはないけども。



さて、袴田さんの締めの挨拶が終わり・・・終わり・・・やっぱりうまく終わった感が出ない・・・。
袴田「やらないと決めてたけど、やっぱり一本締めやりますかっ!いいよね(笑)」

よーー、パンッ!

うん。これこれ。終わった感が出る。最上先生だから怒りはしないだろう。
じゃ、うちらは撤収があるけど、後の人は学生時代よく使ってた天平・・・は今日閉まってるそうだから、三合庵で2次会ってことで先に行っててーーー。


と終わらせようとしてたら、マイクをぶんどって、

頼みもしないのにエンヤコラセを歌い出す後輩。もー、せっかく締めたのにー(笑)
でもこのカオス感が彫刻学科の良さだし、学年超えてみんなが歌える歌があるっていいことだな。

撤収作業を学生さんが手伝ってくれることになってたんで、作業前に余った料理を食べてもらった。
こんな先輩ばかりでごめんね・・。


以上、

サイゴノバンサンニミンナイタヨ、ノテバガオオクリイタシマシタ。

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。