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内野敏子さん
1963年生まれ、熊本県出身
武蔵野美術短期大学(油絵専攻)を卒業後、広告デザイン、建築設計などの仕事を経て、1995年、横浜にて水引工芸、2000年よりバスケタリーを始める。2005年、田舎暮らしを希望した関東出身の夫と共に熊本に戻り、生活道具の店『しろつめ』をオープン。現在は制作活動をメインにwebや紙媒体、企業や個人オーダーの作品を制作。
しろつめ http://www.shirotsume.com/
個人サイト http://uchinotoshiko.web.fc2.com/
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学生時代に楽しんだことは、その後仕事をするうえでの「栄養」になった
卒業後、広告デザインの道へ進んだ内野さん。
「卒業して一番最初に感じたのは、学校の勉強と社会は全く違うということでした。学生感覚ではクライアントには通じません。誰しもがぶつかる壁かもしれませんが、当時の私はそういう仕事の根本を理解できていませんでした。本来は、予算やお客様の意図、その仕事の最終目的を達成してこそ面白いのだけど。だから自由を楽しむなら学生のうちかなと思います。
たまたま武蔵美の短大を卒業はしましたが、油絵だし、実になっているのは就職後の実務がすべてで、学校で習ったことは私には一切関係ありませんでした。学歴関係なく社会に出てからはどれだけ全体を見る力、先を見る力が必要だと思います。でも、学んだことは全部「栄養」。学校で学べる知識や友人関係は宝物で、今も私を形作っているひとつだと思います。
今を楽しむことは、生き方の選択肢を増やすことにもつながる
「ちいさい頃からたくさんものを見たり聞いたりして、選択肢がいっぱいあった方がいいと思うんですよ。社会に出て教わることは確かに面白いのだけど、会社員でなくなった私が今やっていること(水引工芸)は全部子どものころに経験していることの延長ばかり。あれが好きだったからとか、あの風景を見たからとか、全部今につながっている。どれだけ楽しい経験をしたかということがまた違う場所で役に立つ気がします。(美大生へアドバイスするとしたら)今を何しろ楽しむこと。私も穴があったら入りたいくらいの失敗も消したいくらいの過去も、そのときは苦しむこともたくさんあったけれど、結局はすべてプラスになっています。素直な気持ちで、恥をかいても隠さずへへって頭をかいて笑って。誰かと比べたり卑屈になったりすることがマイナスなのかなって思うので、いい意味で“他の誰も認めなくても自分がよければ”いいと思います。あとは、世界をどう広げていくかは本人次第なので、そうすると、やっぱりそのときそのときを楽しむしかないかな。」
『セレンディピティー』水引との出会い
「今私が気に入っている言葉で『セレンディピティー=思ってもいなかったものを偶然発見すること』ってあるんですがご存知ですか。日々の生活で、これをやろうと思っていたことがあったのに、思いがけず予定外の人に会ってすごく楽しかったり、道を間違えてがっかりしたはずが、面白い店を見つけたり。
私はモノじゃなくても、出会いや耳にした言葉など、すごく心が儲けた気分になることが多かったんです。やらなくてはいけないことはもちろんしますが、私の人生、それ以外は結構偶然を楽しむっていう感覚で生きてきたような気がします(笑)。自由な時間にふっと湧いたようなことがすごく大きかったり、いろんな点が繋がって線に繋がったり、いつも考えていたらそれに出会ったりとかよくあるんですね。自然体って難しいんだけど、無欲でいること、まあいっか、って思えるぐらいの柔軟性が必要かなって。」
「あまりに美しい」と惚れ込んだ水引
武蔵美短大を卒業後、広告代理店などを経て、建築設計事務所に勤務されていましたが、結婚による移動で仕事をやめざるを得なくなったその頃、内野さんは水引と再会します。
「20代の頃、代理店と建築事務所の間に西洋和菓子の企画デザインをしていて、そのときに和紙と水引をディスプレイに使っていたんですが、そこで初めて90センチ(三尺)の水引を見てあまりの美しさに感動して。当時は雰囲気を出すためだの素材でしたが、いつかきちんと結びをやってみたいと思っていたところ、たまたま結婚後フリーになったときに、近所で水引教室を見つけ通ってみたんです。そしたらもうはまってしまって。だけどどうしてもできない結びがあって、途中でくじけそうに。そのとき、趣味でアートフラワーをやっていらっしゃった友人のお母さんから“としちゃん、続けたらいいことあるわよ”って言われて。その言葉がすごく心に響いて、思い直して続けたんですね。教室に通った後は、独学で水引を学び3年目の98年に地元熊本で初めての個展をやったんですが、そのギャラリーのオーナーが審美眼の素晴らしい方で。他の作家含め、作品に関しては作家自身よりも理解してていらっしゃるのではと思うほどすごい方で、迷いがあるとすぐバレるし……その方に出会った後、本格的に水引を仕事にしようと思いました。」
内野さんが水引工芸家として活動されることになったきっかけも人との出会いであり、まさにセレンディピティーによるものと言えるかもしれません。
「水引」—これだけはやめられない。震災をきっかけに見えたもの
実は水引をやめようと思ったことが一度だけあるんです。熊本に移り、制作以外に、店をやるために、取引作家の対応、商品の仕入れ、展覧会、雑用、仕事は山積みで週の半分は徹夜、1年のうち、休みは元旦のみというおかしな状況になっちゃって。体も限界で、そのときはよい作品を作り残していきたいからこそ、疲れ切っていた私は水引の仕事をやめるしかないのかなって悩み始めていました。
そんな矢先に東日本大震災が起き、何かできることはないかと悩む傍ら、自分には他のものが何もなくなっても、水引しかないと強く感じました。そして1年後、ボランティアの方たちを通じて、宮城県山元町の仮設住宅で水引のワークショップをやらせてもらったんですね。そのときにも再確認させてもらいました。」
震災後、twitterで知り合ったボランティアグループ「遊牧カフェ」のメンバーとコンタクトを取り、その時々に必要になったもの、避難所での移動のためのキャリーケースや化粧品などを、店のお客さまや水引教室の生徒さんに協力してもらい、送っていた内野さん。その際いつものくせで手紙に入れていた水引の切れ端をきっかけに、最初は仮設住宅に飾るドア飾りを贈り、翌3月に水引のワークショップが実現しました。
「水引と言うとどうしてもおめでたい感じがあるので躊躇していたんですが、ひとりの生徒さんが行きましょう!と背中を押してくれ、先方に尋ねたらぜひと。その生徒さんと一緒に仮設住宅でワークショップを行なったのですが、そのときの受講者の中に「死んだほうがよかった」っておっしゃったおじさまがいたんです。でも、その日をきっかけに自分で勉強されて、まさかの水引番長に(笑)。翌月遊牧カフェのメンバーから送られてきた写真は、暗いお顔だったのが、満面の笑顔で……、その他にもたくさんの温かいおもてなしを受け、私たちが逆に被災地のみなさまから元気をもらいました。」
水引がもたらしてくれた、新しい出会いやつながり
内野さんは、水引工芸家である一方、「しろつめ」という生活道具の店の店主でもあります。このお店にあるものはほぼすべて、ご自身が愛用しているもの。その中の一商品であるアクリルたわしには思い入れがあるといいます。
「宮城へ行く際、商品となる東北の工芸家の方の作品を連れて帰ろうと考えていました。私にできる応援はこれしかないと思っていました。ところがそこで出会ったのが、水引ワークショップの際におみやげにいただいたこのたわしだったんです。プロの工芸家ではなく、岩崎定子(さだこ)さんという主婦の方がひとりで作られているんですが、かわいい上に使い勝手がいいという、言うことなしの道具だったんです。作家さんではないので受けてくださるかどうか分からず、しばらく悩んだあとやっぱりどうしてもと思い、遊牧カフェのメンバー経由で数ヶ月かけて口説き落とし、現在は毎月100個を目安にお取引しています。また、宮城では会う方々に「被災地のことを忘れないでほしい」と何度も言われていたので……しろつめのお客さまにこのたわしを使っていただくことも、その一環だと思っています。」
この商品は、結婚式の引き出物に使われたり、気軽な贈り物などにとても喜ばれる人気商品でリピーターも多いそう。これも、水引がもたらしたつながりなのです。
最後に、まさか水引をお仕事にされるとは、学生時代には思ってもいられなかったでしょうとお尋ねしたところ「そうそう、でもね……」と。
「ただおかしいのが、家が建築屋だったので、棟上げとかしょっちゅうお祝い事があって、小さい頃から水引で結ばれたものをよく見ていたし、いただくことも多かったから、外して遊んでいたの。それに、以前勤めていたところでもいちばん最初に、「贈る」っていうテーマで水引が表紙のリーフレットを企画したり、だから、もともとから好きだったのは間違いないかな。自覚は全くなかったけれどね。結果的に水引をやろうと思ったのは、すべてがつながったから。だから、全く無理も無駄もない。どこかで遊んだことも失敗したことも全部無駄じゃなくて全部がつながっている。」
日本の冠婚葬祭において、特に華やかな場において欠かせない水引は、人々の心を明るくし、人と人とを結ぶあたたかさがある。
内野さんの笑顔はそう物語っているようでした。
人が好きです。 人と関わることが好きです。 ときめくこと、わくわくすることが好きです。 楽しみ、楽しませるがモットーです。