急ぎの話題を優先してたら、先々週の話がまだだった・・。
9月15日(金)、津田塾大学さんとムサビの包括連携協定締結式が津田塾さんで行われましたのでそのレポートを。
会場は津田塾大学さん。
私達スタッフは早めに津田塾さんへ入り、会場設営。
津田塾大でムサビスタッフがバックボードを設営する図。
さて、いらない気もしますが津田塾さんのご紹介を。
1900年、津田梅子さんが女性の高等教育をめざすために私塾「女子英学塾」を開かれ、これがのちの津田塾大学となります。
欧米視察の岩倉具視大使一行に最年少の女子留学生として同行したのが津田梅子さんで、その時の年齢はなんと満6歳。津田塾の「女性の社会進出」「グローバル」「勉強熱心」な気風は津田梅子さんの血が学校や学生さんに受け継がれている証と言えます。
ムサビと津田塾さんとの関係は、2000年に多摩アカデミックコンソーシアム(通称TAC:ICU・国立音大・東京経済大・東京外国大・津田塾・ムサビ)、2006年に鷹の台地区学生生徒通学安全環境推進協議会(通称4校協議会:白梅学園・創価学園・津田塾・ムサビ)、2015年に小平市大学連携協議会(通称ブルーベリーリーグ:嘉悦大・白梅学園・一橋大・文化学園大・職業能力開発総合大学校・ムサビ)といった複数校締結は既にしており、単位互換や学生・教職員交流などは昔から実施しています。
今回は教職員の派遣・受け入れ等今以上に強い関係を作るために締結を結ぶことになった、と。
ちなみに津田塾さんとムサビとは、「西武国分寺線鷹の台駅が最寄り駅」という共通点があり、鷹の台駅でしっとりめのきれいな恰好した人はだいたい左側に行き(津田塾へ)、汚い派手な恰好した学生はまっすぐ進む(ムサビ)ので、「服装みればどっちに進むかわかる」なんてよく言ったもんです。(最近はわかんなくなってきたけど)
その津田塾さんですが、日経ダイヤモンド9月16日号に出てましたね。WEBだとこちら。
■女子大はなぜ凋落したのか、25年で偏差値最高74から65へ | 今週の週刊ダイヤモンド ここが見どころ | ダイヤモンド・オンライン
このページではかなり「女子大否定的」な内容で書かれてますが、雑誌ではこの直後に津田塾・高橋学長のインタビューページがあり、改革について熱く語っていました。
津田塾さんは渋谷区千駄ヶ谷に新キャンパスを開設、2017年から総合政策学部を新設されており、まさに「津田塾、動く」なのです。
どうしても歴史と伝統があると動けなくなっちゃう傾向にあるんですよね。
さて、いよいよ締結式。
両学長も会場に到着し、
ちなみに津田塾さんとムサビの関係ってことだと、2学部制になったことで、英語名称を Tsuda CollegeからTsuda Universityに変更されていて、それに合わせてさっきから背景にでてるコミュニケーションマークを制作されました。
これをデザインされたのが、廣村デザイン事務所、つまり東京工芸の教授をされている、ムサビOBの廣村正彰さんなのです。
普通なら「締結後、和やかに談笑」と書くんですが、爆笑してました(笑)
津田塾OGでもある高橋学長が「昔から鷹の台駅できれいな恰好をした人がムサビ方面に行き、汚い恰好の人が津田塾方面に分かれて歩いてた」と話されてて、「あ、大学によって印象が違ったんだな」と。
そのあと、学生さんがキャンパスツアーをしてくれまして。
手羽は津田塾さんには何度も来てるけど、案内してもらったのは初めて。
本館(ハーツホンホール)は残念ながら改修中。
中庭にはミロビーがあります。
交流館の中には教会もあります。
様々な宗派が利用するので十字架は置かれていませんが、タイルの模様で十字架が表現されてるのがわかります。
図書館は丹下健三氏の設計なんです。知ってました?
ちなみに第二代塾長(初代学長)が星野あいさんなので、その名前がつけられています。
2階には
津田梅子記念室。津田さんが留学時に来てた着物などが展示されてます。
「学生さんが本館屋根裏にこっそり侵入して遊んでたら、古ぼけた箱を発見し、中を開けたら大量の津田さんの書簡が発見された。それがなんと1984年でつい最近の出来事」なんてエピソードも。
留学時にお世話になった方とずっとお手紙の交換をされていて、戦争時に屋根裏に隠してたそう。
それにしても、今回案内してくれた学生さんがすごく姿勢のいい人で、「そういえば、ムサビ生って基本的に猫背だなあ」という新発見も。
府中街道から見る印象と違って、キャンパスが広い。撮影は恐れ多くてできませんでしたが、寮もキャンパス内にあるんです。
緑がきれいなグランドもあります。
ところで、気が付きました?
学生が校舎の外に全然いないんです。あ、ちゃんと授業をやってる期間ですよ。
ムサビだと授業時間中も芝生で寝てたり、パフォーマンスしてたりする学生がいるけど(笑)、津田さんは図書館やホールで勉強してる学生さん以外全然おらず、お昼休みになるとドバーーと外に出てくるんですね。
全員授業を受けてるってことであり、他大学さんからもびっくりされるそうです。
「あまり例がない」といえば、他に2つあり。
津田塾の住所は「津田町」。そうなんです。大学名が地名になってるんですよ。
早稲田大は早稲田にあるから早稲田大になったわけで、その逆。都市開発で「●●学園」とつけた地名が最近はありますが、こういうパターンは全国でもほとんどありません。
そしてもうひとつが、
津田梅子さんのお墓がキャンパス内にあること。
津田さんは小平キャンパスの完成を待たずに他界されたのですが、遺書に「できればこの地に眠りたい」と残されてました。その遺志を継ぎ東京府(現東京都)との困難な折衝の末、特別に校地内に墓所が許可されたそう。キャンパスにお墓はNGなんだそうで(知らなかった・・)
無事に締結式を終えたことを報告する長澤学長。
以上、津田塾には「梅子の墓参りをすると結婚できなくなる」という「梅子の呪い」がある、と昨日、津田塾OGである数学の圓山先生に教えてもらった手羽がお送りいたしました。
【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。