大阪市内に30万坪の土地を持つ、千島土地の次の一手とは?千島土地株式会 芝川能一

世の中を生き抜く術・勝ち残る術」をテーマに、建築界の異端児の異名をとる建築家松葉邦彦が今話したい人物と対談、インタビューを行い、これからの世の中を生きて行く学生や若手に伝えたいメッセージを発信します。第19回は千島土地株式会社代表取締役社長兼、おおさか創造千島財団理事長の芝川能一さんにお話を伺いました。

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芝川能一
昭和23年兵庫県生まれ。昭和42年甲南高校卒業。昭和47年慶応義塾大学経済学部卒業後、住友商事㈱入社。昭和55年千島土地㈱入社。平成17年代表取締役社長に就任、現在に至る。千島土地㈱は江戸時代から続く豪商 百足屋(芝川)又右衛門の資産を引き継ぐ不動産会社で、現在は土地・建物の賃貸に加え航空機リースも手掛けるほか、所有不動産周辺エリアのまちづくり活動にも積極的に取り組んでいる。

30万坪の土地の使い方

松葉:「Outsider Architect」の第19回は、千島土地株式会社社代表取締役社長兼、おおさか創造千島財団理事長の芝川能一さんにお話を伺っていきたいと思います。まずは千島土地の沿革および事業内容についてお教えいただけますでしょうか?

芝川:元々は唐小間物業(貿易商)を手がけていたのですが、銀行も保険会社もない当時はハイリスク・ハイリターンのビジネスでした。そこで、明治に入った頃には唐小間物業を潔くたたみ、その代わりに当時まだ価値が確立していなかった土地に着目し、大阪の湾岸部を中心に約54万坪の土地を購入してインフラを整備し、木材業や造船業などに貸し出しました。その後の大阪は綿紡績などを中心とした産業で栄え、東洋のマンチェスターと呼ばれる時代を迎え大阪湾岸部の不動産業も活況を呈しましたので、我々の祖先は先見の明があったのだと思います。ところが、第二次世界大戦後に大きな転機を迎えます。戦後GHQの指示による農地改革で一部の所有地が没収されるということもありました。

松葉:いま残っている土地はどの程度なのでしょうか?

芝川:基本的には大正区や住之江区(北加賀屋・平林)のエリアで30万坪くらいでしょうか?

松葉:30万坪と聞いても想像できませんね笑。ちなみに何故こちら(北加賀屋)に事務所を?

芝川:元々は大正区にあったのですがそれを西区に移しました。今も登記上の所在地は西区になっていますが、このあたりに経営地が多いため、機能としては北加賀屋のこのビルに集約しています。

松葉:多分今から5~6年くらい前に初めて北加賀屋駅に降り立ったのですが、その際に北加賀屋エリアの大半を千島土地が所有しているという話をお聞きしてとても驚きました。多分事業用だけでなく住人の方もいらっしゃると思いますが、基本的に全て借地ですか?


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芝川:だいたい借地ですね。土地だけ貸しています。戦後、1950年くらいから少しずつ建物貸しをはじめて55年くらいからマンションの賃貸をやってきました。ですが、マンションというのは非常に日進月歩が早いです。今は床暖房や浴室乾燥機とか、求められる機能が進歩している。転勤等の引越しで最新の分譲マンションが賃貸物件になることもあります。そういった物件とはスペックの点で競合できません。そのスペックまで改築するのにはお金がかかるのである時点でやめようということになりました。ですので、近年は建物への投資は減りました。 

松葉:借主の方が土地を返したいという場合はどうされているのでしょうか?借地の場合、原状回復で更地で返してもらうのでしょうか?

芝川:借地の上の建物は借主が建てた建物ですが、基本的に無償で引き受けます。借主は土地を返す時は建物を壊して原状回復をして返すという義務がありますが、我々はそれを免除するケースもあります。ちなみに資産に計上する際には固定資産税評価額というものがあるのですが、古い建物は非常に低い額で資産に計上することができるというメリットがあります。

松葉:古い建物を購入しようとしたことがあるので、その話はなんとなくわかります。僕の場合は建物をリノベーションして活用しようとしたのですが、古い建物だったので担保評価がゼロにされてしまい金融機関が満額お金を貸してくれないという悪い話でしたが笑。

芝川:基本的に引き受けた建物は資本を投下していないので、それを貸すときは建物にかかる固定資産税と火災保険費を払える程度の賃料設定にすれば良いのです。地代にすこし毛の生えた程度の安い家賃で運用できます。

松葉:そういう建物をアーティストやクリエイターといった方々に貸し出していらっしゃいますよね。

芝川:アーティスト達はスキルがあるので自分たちで増改築したいと。我々もそれでいいですよということでやっています。しかも原状回復義務を課しませんので退去時はそのまま出て行ってもらっています。そういったアーティストが使用する物件は住居やアトリエなどは40件ほどになってきました。あとはク・ビレ邸というバーがあるのですが、これは全てうちで改装費を出しています。

松葉:以前ご案内いただいた2階にこのエリアの模型があったところですか?

芝川:そうです。このエリアのインフォメーションセンター的な役割を担ってもらおうと思い舞台監督さんとそのパートナーに運営を任せました。

松葉:そうした活動の結果、地域社会との関係は何か変わりましたでしょうか?

芝川:我々が所有しています名村造船場跡地が近代化産業遺産に選ばれたのですが、それを契機として住之江区役所が「近代化産業遺産(名村造船所大阪工場跡地)を未来に活かす地域活性化実行委員会」というものを立ち上げました。

松葉:とても長い名称ですね笑。どのようなことを行う会なのでしょうか?

芝川:簡単に言いますと初めて我々と地元の方々で協働して地域活性化を行っていこうというものですね。というのも、不動産バブルの時代には土地は貸したら借主のものだということで、土地の所有者はほとんど何もできない状態でした。我々と借主であるお客様とは冷たい関係だったのですよね。例えば、貸して何年かして地価が上がったら我々貸主としては地代の値上げをしたいのですが、借主からしたら何で値上げをするんだと。すなわち利益相反の関係なのですよね。ですが、そんなことを言っていると北加賀屋一帯が沈んでいってしまうかもしれません。ですので、お互いに知恵を出し合って地域を元気にしていこうということをやっています。

松葉:確かにおっしゃられる通り貸主と借主が協働していかないと地域活性化は難しいですね。これだけ面的に大きなエリアですし。

芝川:理想は我々から土地を借りている人たちが地代を払い継いでいく。そして同時に新たに移り住んできたアーティスト達と生活する。実は先ほども一軒空き家を改装している現場を見に行ってきましたが、影響力のある誰かが住みはじめると段階的にまちが2ステップくらい良くなります。

松葉:ちなみに近くに美大などはあるのでしょうか?

芝川:美大も含め大学は全くありません。というのも大阪は大学を市内からことごとく追い出してしまった笑。大阪市大があるくらいで他は遠くにあります。そういう意味では市内に大学がたくさんある京都とは違います。また東京だと千代田区とか地価の高い場所にもたくさん大学がありますよね。そうすると、学生がアルバイトの戦力にもなり、まちが元気になりますよね。この辺りでアルバイト集めようにもなかなか人がいなくて。学生というよりは主婦の人が働いているケースが多いです。

松葉:そうするとここに住んでいたり働いていたりする40組のアーティスト・クリエイター達というのはどうやってこういう場所があるのを嗅ぎつけてきたのでしょうか?

芝川:基本的には口コミと紹介ですね。

松葉:以前コーポ北加賀屋でdot architectsを主宰されている建築家の家成俊勝さんを訪問したことがありますが、近年は瀬戸内国際芸術祭に出展されたりとご活躍されていますよね。

芝川:dot architectsもヴェネチア・ビエンナーレ建築展にも出展したりと大分有名になってきました。アートでも建築でもその業界で有名な人が出てきてくれないとブランドとしては弱いですから、そういう意味ではとても誇らしく思っています。 

アートで街の価値を高めるために

松葉:おおさか創造千島財団についてお聞かせいただけませんでしょうか。

芝川:当社の設立100周年記念事業として、2011年に創設しました。創造活動に対する公募助成事業なども行っていますが、代表的な事業は「MASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)」です。以前から大きなアート作品を置く場所がないという声を聞いていました。置く場所が無いと作品制作もできませんし。そのタイミングで約1,000㎡の鋼材加工工場の建物が返却されましたので、最初は千島土地としてアーティストに作品保管場所を提供していました。ですが、無料でアート作品を預かるというのは株式会社として難しいということがわかってきましたので、財団の方で運営を行うようにしました。

松葉:無料で作品を保管しているのですか?

芝川:はい。倉庫内に保管している作品の常設展示は、運営上の問題があり実施できておりませんが、年に1回メインアーティストを決めて展覧会を行うことにしています。2016年は現代アーティストのやなぎみわさんの展示を行いました。展覧会を行うには高額な費用がかかりますが、我々は土地と建物を活かしてクリアすべきハードルを低くすることができます。また、アーティストの展示などの芸術・文化活動を続けていくことでこの地域のブランディングに繋がっていくと考えております。去年から京都造形芸術大とも協働して子供向けのアートツアーを開催しています。地元の小学校に案内を出して260人程度来場してもらいました。子供たちにももっとアートを知ってもらえたらなと思っています。

松葉:それは興味深い取り組みですね。それで一点気になることがあるのですが、そもそも何故アートなのですか?元々アートにあまりゆかりのない土地だと思うのですが。

芝川:名村造船所に貸していた土地が返還されたのが1988年なのですが、不動産バブルが頂点を極める前でした。普通だったら土地が返ってくるなんてありえない時代だったのですが、造船業にとっては短いドック(船渠)しかない大阪工場での操業が難しくなり、他県に移転されたのです。返還に際しては本来原状回復していただく必要があったのですが、相手先は余裕がなく、またこちらは土地が返ってくるのが小躍りするほど嬉しかったので現況のまま返していただくことになりました。ですが、実際返していただいても防潮堤の外でしかも工業専用地域というエリアでして使い道がありませんでした。バブル崩壊前はモーターボートの置き場として貸し出したりもしていましたが、崩壊後はそれもダメになりました。それならスタジオを作ろうと思い、お金をかけて大きなスタジオをつくったのですが、それもなかなか上手くはいきません。

松葉:とても海沿いに大きくて立派なスタジオが建っていたのがとても印象的でした。

芝川:それでどうしようと思っていた時に、京都三条御幸町の旧毎日新聞社ビルをアートコンプレックス1928という劇場にリノベーションし、同時に自らそのプロデューサーに就任した小原啓渡さんと知り合う機会があり、「人は来てくれないし夜は真っ暗だけど何か良い活用方法が無いか?」と相談してみたところすごく興味を持っていただき、後日名村造船所跡をわざわざに見に行ってくれました。というのも彼は元々照明技術者として舞台に関わっていたこともあり明かりはその場所が真っ暗でないと美しく無いということで、真っ暗という言葉に触発されたようです。また、同時期大阪では近鉄小劇場や扇町ミュージアムスクエアといった中心部のアートの拠点が次々に閉鎖されていきました。ですので、どうせ活用しづらい場所だしこれから30年間アートの拠点として名村造船所跡を活用していいよという話をしました。というのも、不動産の世界では30年という単位で賃貸を考えるからです。そして、その流れでNAMURA ART MEETING '04-'34 というアートプロジェクトを彼が中心となって立ち上げました。それで実際にイベントを行うということで、プレスリリースを出して記者会見を行ったところ、予想以上のメディア関係者にお越しいただきました。そしてイベント自体にも大勢の方にお越しいただきました。今まで全然人が来なかった場所にですよ。正直とても面白いと感じました。

松葉:僕は名村造船所跡で行われていたDESIGNEAST開催のタイミングで伺ったのだと思いますが、とても大勢の人、特に若い人が大勢いたことに驚きました。


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芝川:そうなのですよね。経済の観点から見ても人が大勢いることはとても重要です。というのも、経済の3要素はヒト・モノ・カネなのですが、それまでの名村造船所跡にはモノとカネはあったけど、ヒトがいませんでした。それに気づいたので、その以降カネは出さないけど笑、モノを提供するというスタンスでNAMURA ART MEETING '04-'34が始動しました。さらに言うなら今はカネもこちらが出すようになっていますが笑。ただ、このプロジェクトでは年に1回のイベント開催のみで、それだけでは情報の発信力という意味では低いなと感じていました。そこで再度小原啓渡さんに相談し、名村造船所跡をクリエイティブな活動をサポートする施設:クリエイティブセンター大阪(CCO)という施設として運営をしてもらうことにしました。その結果、年間を通じて常に何らかの活動をしている状態になりました。

松葉:小原さんという方がこのエリアのキーパーソンだったわけですね。

芝川:そうですね、小原さんにたまたまお会いして、名村造船所跡でアートイベントをやりたいと言っていただけなかったら、多分アート関連の取り組みは一切やっていなかったと思います。彼が仕掛け人で、それに私が面白がってついて行っているという感じですかね。

松葉:これからの展開はどのようなことをお考えなのでしょうか?

芝川:正直わかりません。ただ振り返ってみると、2004年にNAMURA ART MEETING '04-'34がスタートして、2009年にはオランダの若手アーティスト・F.ホフマンの作品「ラバー・ダック」を浮かべるアヒルプロジェクトをやり、2014年には宇治野宗輝さん、金氏徹平さん、久保田弘成さん、やなぎみわさん、ヤノベケンジさんの5人の現代美術作家の大型作品をMASK にて展示する「Open Storage 2014」を実施するなど、5年ごとに節目となる活動を行ってきました。

松葉:次は2019年に何が起こるか期待しています。それと、名村造船所跡以外の活用でも色々な取り組みをされているとお聞きしましたが?

芝川:そうですね、例えば昭和40年頃に建てられた某上場企業の社宅があるのですが、それをスキーマ建築計画やライゾマティクスなど8組のアーティスト達に一部屋ずつリノベーションしてもらうプロジェクトを行なっています。現況8部屋のうち6部屋まで埋まっています。また、その同じ建物の1Fはtoolbox projectといい、入居者がDIYでリノベーションできる区画にしたところ、3部屋すべて入居済みで、まずまずといったところです。今週末は入居者の方々とBBQパーティーを行うことになっているのですが、どのように暮らしているのかヒアリングしてみたいと思っています。今までは返還された建物をアーティスト達にそのまま貸して自分たちで改修して好きに使ってもらうというスタイルが中心でしたが、今後はアーティスト達以外の一般の方達に借りていただくという可能性を探っていきたいと思っております。基本的にこの地区は住人の数が年々減ってきており、物件が返ってくるというケースが多いのですが、そういった状況の中でも新たな住人を呼び込む必要があると思っています。アーティストだけが住む街ではやはり現実的ではありませんから。

松葉;確かにアーティストだけの街は不安ですから。

芝川:もちろん、全ての建物がアーティストだけで埋まってくれるのであればそれでも良いのですが、実際にはそれはありえませんので。後はサンフランシスコ発で今都内にも出店している人気のチョコレート屋さんを誘致できないかと考えています。ブルーボトルコーヒーと同じケースですが、突然海外の有名店が出店して街がガラッと変わっていくということが起こったら良いなと思っています。それにコンテナショップもやってみたいですね。失敗したら名村造船所跡に積んでおけば良いので笑。先ほどの話に戻りますと、多分5年後の状況としては10年かけて育ったクリエイティブビレッジとしての土台の上で街が活性化し、不動産の価値向上に繋がっているような動きをさらに仕掛けていけたらなと思っています。そして住むことがステータスになっているような街になっていくことが理想です。

松葉:それは楽しみですね。ちなみに大勢アーティストが住んでいると思いますが、アートギャラリーなどはあるのですか?

芝川:誘致したいとは思っています。ですが現況、小さなギャラリーはあっても著名なアーティストが所属してビジネスでやっているようなギャラリーはありません。

松葉:かつての清澄白河のようにギャラリーが増えて行ったら面白いですよね。

芝川:大阪全体を見ても、国際的に活動するようなギャラリーがあまりありません。何しろアートを買う人が少ないので。大阪人はケチだから笑。

松葉:けどかつて安藤忠雄さんのクライアントだった方々は皆さん関西財界の大物ばかりですよね?


  • 芝川能一

芝川:皆車なんかはよく買っていると思いますよ。東京の人は買わないが高い車を大阪の人は欲しがります。ええかっこしいなのかな。ただ家に人を呼んでアート作品を見せるというような習慣は残念ながらありません。アート作品を設置するには空間がいるし、壁がいります。広くないと大変です。 

松葉:なるほど、ですが芝川さんは色々とアート作品をお持ちですよね。オフィスにも色々と飾ってらっしゃいますし。実は僕も一昨年からアートコレクション始めました。年に数点ですがぽつりぽつりと購入しています。主にオフィスに飾ってあるのですが、まだコレクション数が少ないので狭いオフィスでもどうにかなっていますが笑。今の目標は将来高尾山の麓にでも土地を買って自身のコレクションを展示する美術館をつくりたいと思っています。元々アートコレクションを始めたのはセゾン現代美術館の堤たか雄さんの影響なのですが、将来はセゾン現代美術館のようにアート作品だけでなく建築や環境もすばらしい美術館をつくれないかと思っています。

芝川:そうですか、そうしたら都内で石鍋博子さんという大学の後輩が1年にアート作品を1点は買いましょうというワンピース倶楽部という会を主催していますので、是非一度参加してみてください。日本はアート作品を見に行く人は大勢いますが、購入する人はほとんどいないですよね。

松葉:なるほど、その会はとても興味深いですね。アーティストへの一番の支援は作品を買ってあげることだと思います。日常的にアートを買うようになっていかないとなかなかアーティストを取り巻く環境は変わらないですよね。

芝川:ぜひ入ってみてください。僕らはいつの間にかone pieceどころかseveral piecesになってしまっていますが笑。

松葉:それは素晴らしいですね。僕は既に高値がついてしまっている作品は買えないですが、将来美術館を作るなら目玉になる作品が欲しいと思っています。ですので、同世代の若手で有名になりそうなアーティストの作品を買うことにしています。

芝川:いいですね。その買い方がいいと思う。

松葉:そういう意味ですと、アートだけでなく様々な建築家のクライアントとして建物を発注されていたりもしますよね。例えば初期の安藤忠雄さんなどにもいくつもお仕事を発注されていますよね?

芝川:そうですね、安藤さんには商業施設等の設計をお願いしたりしていました。また、これは色々な条件が整えばですが、フランク・ロイド・ライトにとってのグッゲンハイム的なものになるようなプロジェクトをいずれ安藤さんにお願いしようかなと思っています。

松葉:それは素晴らしい。安藤忠雄さんのファンとしては非常に楽しみなプロジェクトになりそうですね。


協力:藤沼拓巳

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OTONA WRITER

松葉邦彦 / KUNIHIKO MATSUBA

株式会社 TYRANT 代表取締役 / 一級建築士 ( 登録番号 第 327569 号 ) 1979年東京都生まれ。東京藝術大学大学院修了後、事務所勤務を経ることなく独立。人生で初めて設計した建物が公共の文化施設(旧廣盛酒造再生計画/群馬県中之条町)という異例な経歴を持つ。また、同プロジェクトで芦原義信賞優秀賞やJCD DESIGN AWARD新人賞などを受賞。