自分の作品は誰かを救えるのかという、どうでもいい考え

東日本大震災が起きた時、私は「自分の作品は誰かを救えるのだろうか」というどうでもいいことを考えて何もできず、その無力感からかその後数年カメラを触りもしなかった。6年後に宮島達男さんのプロジェクトに出会い霧が晴れるような思いをしたことについて。

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あの震災がおきた時、何をしていたか。
私は、それがあまりにも情けなくて今まで誰かに話すことがあまりできなかった。

震災があった3月11日、私は銀座のオフィスビルの中にいた。美大を卒業して1年ばかり。右も左もわからずただ一生懸命働いていた私は、オフィスビルで繰り返される揺れの中、机の中でMacbookを広げていた。仕方なかった。

その翌日からは会社が休みになった。忙しい毎日にブラックホールのように休みができた。仕事の再開は2週間後。あまりにもぽっかりと時間だけがあった。パンも米も電気も途切れ途切れだった。



情けないのはここからだ。会社から近かった私の家に避難してきた同僚や後輩たちがぽつりぽつりと帰って行き、家には私だけになった。東京出身だから実家に帰るということもなく、あるのは静かな時間だけ。
Twitterには優しい言葉や役に立つ豆知識や物資を運びますという言葉が並んだ。生理用品が足りないらしい。ビニール袋でカイロを作れるらしい。下北沢では自家発電で原発反対のライブが行われるそうだ。美大の写真学科の先輩も、カメラを持って現地に出向いているのをSNSで知った。

時間もある、美大も卒業したから制作の心得もある。けれど、私は沼のなかにいるように何もできなかった。それまで人の役に立てると思って写真を学んできたが、この真っ暗な東京や、まして現地にカメラをむけることなんて思いもつかず、朝から晩までぼうっとラジオを聞いていたら2週間が終わっていた。

2週間が終わる頃、それまでACのコマーシャルしか流れなかったテレビでお茶漬けのそれを見たら涙が溢れた。情けない。何もできなかった。誰の役にも立たなかった。その後数年間カメラを触りもしなかったと思う。私の何かを作る行為は、結局何の役にも立たないんだということに勝手に悲しんでいた。

6年が経って、あるプロジェクトを手伝うことになった。宮島達男さんという現代美術家の作品制作のクラウドファンディングだ。




宮島さんの作品はLEDが明滅するデジタルカウンターを用いたものが有名で、このカウンターは1から9の数字を繰り返し表示している。0を表示することなくそれぞれが異なるスピードで動く様子は人の命を表している。




東北の津波被害にあった場所に巨大なプールを作り、そこにそのデジタルカウンターを沈めた作品をつくるのだという。二度と波が起きない穏やかなプールの底で、いつまでも明滅を続け命の光を灯すカウンターを思うと、まだ見ぬ作品に胸が震えた。


打ち合わせをしている時、驚いたことがあった。
宮島さんは震災が起きて3日で東北に行き、東北の方と一緒に泥かきをしたのだということ。途方もない量のがれきと泥とただひたすら戦ったのだという。その後も何度も東北に足を運び、ボランティアを行ったのだそうだ。
震災が起きて3日で東北に入ったということは、あの時の交通の状態を考えればおそらく即断だっただろう。私は自分の情けなさの正体がうっすらと見えてきたような気がした。


自分の作品が何かの役に立つんじゃないかという驕り。または、どうやったら作ったもので役に立てるかという身勝手な思考。そんなどうでもいいことをグズグズ考えていたから、何もできなかったのだ。それを勝手に悲しみに変えて、意味のない無力感を味わっていた。

その頃宮島さんはを泥かきをしてがれきをよけて、ドロドロになりながら目の前の人を助けた。宮島さんにとって作品を作ることは当たり前のことで、泥かきをした思いのまま、作品も作った。そこに嘘も驕りもないから、圧倒的な説得力を持っているのだった。




自分の作品が誰かの役に立つか。世の中のためになるか。そんなことを考える人は多いと思う。それ自体はいいことだ。けれど、それが作品をつくることの足かせになっているのなら、作品かどうかは置いておいて今必要だと思うことをやってみるのもひとつかもしれない。制作することが手癖のように当たり前になっていれば、どこかで作品と結実することもあるのだから。

私はどうかというと、仕事のおかげで「どうでもいいこと」を考えずにシャッターをきれるようになった。仕事だから撮る。必要だから撮る。きれいだから撮る。手癖のようにもういつでも写真を撮れるから、いつか誰かの役に立ちたい時にもきっと自然に写真を撮れるだろう。

3月11日、震災に思いを巡らせる時間があるのなら、宮島さんのプロジェクトも覗いてみてほしい。どうやったら役に立つかな、なんて考えをすっ飛ばした行動力と誰かを想う気持ちが結実した作品だ。

そして、優しいあなたの作品はきっと誰かの役に立つ。
「どうでもいいこと」を考えてそれを難しくして、どうか制作をやめないで。

(執筆・出川 光)
写真引用:https://motion-gallery.net/projects/tatsuomiyajima より

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OTONA WRITER

出川 光 / Degawa Koh

現PARTNER編集長。2010年武蔵美卒。専攻は写真。新卒でリクルートに入社、営業・ディレクターを経て、クラウドファンディングCAMPFIREを立ち上げるため転職。5年間CAMPFIREでチーフキュレーターを務め2015年に独立。カメラマン、クラウドファンディングコンサルタントにを経て現職。