だって引き出しはひとつしかないから。デザイナーを経てやっとアーティストになったーLee Kan kyo

台湾に生まれ、日本でアーティストとして活躍するLee Kan Kyoさん。チラシ、アイドル、お財布の中のカードなどをモチーフにした作品は、その強烈な色彩と丁寧な描写力で日本の風景に当たり前のようにとけこんだものを心地よい違和感と一緒に発掘してくれる。台湾から日本に渡った学生時代、デザインとアートの間で何度もがっかりしたこと。アーティストとして独立するまでのLee Kan Kyoさんのお話。

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本気でやってるのか、バカやってるのかわからなくなってくるから面白い

チラシはすごくドラマチックなモチーフなんです。チラシにはその時の社会が現れている。今、チラシをわざわざ商品を見たり探したりするために使う人はいないけれど、あらゆる商品でできたドキュメンタリーとして私は捉えているんです。

このカードを描いたシリーズは実際のサイズより大きく描いています。そうやって大きくしたり小さくしたりすると、本気でやってるのか、バカやってるのかわからなくなってくるから面白いでしょ。最近こういうリー専用の会員証も作り始めました。私は台湾人だから漢字が読めてしまうんだけど、文字を読み取らないように逆さにして描いていきます。


台湾で3つしかない芸術大学から、東京造形大学に編入。

台湾に生まれ、高校を卒業して写真を学ぼうと台湾の芸術大学に行きました。台湾には芸術大学が3つしかないんですよ。日本に比べて課題の量が軽めで、自由な時間がすごく多かった。台湾で有名な写真家といえば森山大道などの日本人で、写真集を見てるだけじゃ物足りなくなって日本に来てしまいました。

美大にいくために新宿美術学院という美大受験予備校に入ったけど、講評で言ってることもほとんどわからないから雰囲気でなんとかついていく感じ。問題文の日本語も難しかったなぁ。理解するにはものすごく時間がかかった...
予備校のエレベーターの前にたまたま置いてあったパンフレットで東京造形大学を知って、編入したんだ。

編入は三年生からなんだけど、日本人で仲良くしてくれた友達が居て。予備校では先生としか喋らないから全く新しい日本語に出会ったような気持ち。最初の会話は多分、「タバコ吸いに行く?」「ノーノー」。そんな感じ。

せっかくだから誰もやっていないこと。たくさん学費払うしね。

日本の美大はとても良いですね。学費以外は。台湾の美大は1年で20万円くらいなんですよ。いい先生と、学年をまたいだ友達がたくさんできたのが本当に良かった。だけど、写真の道では無理だなってなんとなくわかったんです。私が台湾で撮っていた写真は、巨匠の道をなぞるようなもの。小さな台湾ではそれでもそういう写真家は100人くらいしかいないけれど、日本にはきっと100万人いる。たくさんの人が写真を目指しているのを目の当たりにして、せっかくだから自分にしかできないことをやってみたいと思い、新しい表現をしようって決めたんです。たくさん学費払うしね。

それで、本気で初めてペンで何かを描くということを始めたんです。学部の卒業制作では「東京ワンダータワー」という日本のアイコニックなものをタワーにしたもの。だけど、これではまだよくあるグラフィック表現だと捉えられることが多かった。

よくあるジャパニズムではなくて、もっと自分なりの視点からみた日本はないか、と探して行って、チラシや週刊誌、アイドルをモチーフにするようになったんです。

でも、学生時代は自分がアーティストになるなんて1ミリも思っていなかった。普通の道を行くべきだと思っていて、日本で普通に就職をしようと思っていた。それで先輩の紹介でデザイン事務所に入りました。

グラフィックデザイナーは最初は面白かったけれど、並行していたアート活動とのバランスがうまくとれなくて、どちらも中途半端だって思っていました。運良く1_WALLというコンペの二度目のチャレンジでグランプリを獲ったけれど、「これで仕事を辞めたらだめだよ」ってまわりにすごく言われて。だって、賞を獲っても仕事がくるわけじゃなかったですからね。あのタイミングで辞めてたら、マジやばかった。


だって自分には引き出しはひとつしかないから。そのひとつの引き出しで勝負するしかない。

それから2年して、自分とよく向き合ううちに、デザインよりもアートに自分の人生を全てかけたいなと思ったんです。1日も早く、アーティストにならなければ、と思って最近会社を辞めました。

仕事を辞めることでアーティストになれるぞ、という安易な考えではなく、それまでのデザインとアート制作を両立することが、考えが喧嘩するようでとてもつらかった。

アート活動をしている時は、そのままの自分でやっているけれど、デザインで求められるのは全く逆のこと。きれいな余白、ぴったりなフォント選び、ちゃんといい紙、ちゃんとデザイナーらしい服装でクライアントと会う、喋る、それでクライアントに合わせたテイストをあてはめる。私にはできなかった。上司の期待にもこたえられなくて、自分の無力感に毎日、がっかり。「そういう感覚は勉強すれば誰だって身につくよ」と言われました。きっとそうだと思う。ほとんどのデザイナーを目指す人は世に言う、「引き出しがいくつもある人」になれるんでしょう。だけど、私は、こう思った。

自分にとっての引き出しは、ひとつしかないって。

だから、そのたったひとつの引き出しで勝負するしかないと思ったんです。

気持ちをアートだけに切り替えたわけではなく、やりたいことを全力でやるためにひとつに絞ったんです。何が変わったかと言われたら、パワーが出たね!
アート活動だけでやっていくのは、怖いけど、ひとつ大きな違いがある。自分に責任があることと、めっちゃ楽しいことかな。

(執筆・写真(一部)/出川 光)

◆Lee Kan Kyo(季漢強) プロフィール
アーティスト。台湾出身、日本在住。1982年台湾の台北に生まれる。2007年より東京造形大学でグラフィックデザインを学び2012年よりアーティスト、デザイナーとして東京で活動を始める。受賞歴に2014年第10回「1_WALL」グラフィック部門グランプリ。2016年よりアーティストとして独立し活躍中。

ウェブサイト:http://www.leekankyo.com

▼最新展示情報
2017年1月23日(月)〜2月3日まで青山見本帖の10名の若手クリエイターによる個展シリーズ「STOCK MEMBERS GALLERY」にて最新作"勞力士 ロレックス"シリーズを展示。
詳細はこちら

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OTONA WRITER

出川 光 / Degawa Koh

現PARTNER編集長。2010年武蔵美卒。専攻は写真。新卒でリクルートに入社、営業・ディレクターを経て、クラウドファンディングCAMPFIREを立ち上げるため転職。5年間CAMPFIREでチーフキュレーターを務め2015年に独立。カメラマン、クラウドファンディングコンサルタントにを経て現職。