建築家としてどう生き残って行くか?OA vol.1 建築プロデューサー古賀大起

「世の中を生き抜く術・勝ち残る術」をテーマに、建築界の異端児の異名をとる建築家松葉邦彦が 今話したい人物と対談、インタビューを行い、これからの世の中を生きて行く学生や若手に伝えたいメッセージを発信する。初回は、建築プロデューサー建築・プロダクト・展覧会の企画を通して、人々が集まる空間の研究と実践を行っている、古賀大起さんにお話を伺いました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

古賀 大起 / Daiki Koga

建築プロデューサー/ Parchitecture.tv 広島生まれ。東京工業大学・大学院及びオランダ-デルフト工科大学で建築・都市計画を学ぶ。アルゼンチンの Supersudaca 勤務の後、帰国。建築・プロダクト・展覧会の企画を通して、人々が集まる空間の研究と実践を行っている。




建築家に求められ始めていること、
「建築単体では解決できない問題に切り込んでいくこと」。


松葉:「Outsider Architect」の第1回は建築プロデューサーの古賀大起さんをお迎えしてお話を伺って行きたいと思います。古賀さんは若手建築家とコラボーレションし、建築や家具はたまた地域再生まで取り組んでおられますが、なぜ建築プロデュース業を目指したのでしょう?

古賀:私は建築プロデューサーとして社会と建築家のパイプ役を行っています。出発点は自身が目にする街並や巷の建築を見て全く良いと思えなかったことです。大学で建築を学んでいたのですが、設計課題等でも建物設計だけではその場で取り組むべき事象には決して対応出来ないなど、どうしようも出来ない感情を抱いていました。そんな中、オランダの設計事務所OMAのシンクタンク部門であるAMOの活動を知り、建築家にも建築を設計する以外で社会に対して強いアクションが出来ることを知りました。そういうきっかけもあり、オランダに留学しその後はAMOなどを経て独立したラテンアメリカのthink-tankであるsupersudacaにて経験を積みました。そこでの得た経験を下により良い地域・社会の形成に貢献したいとの思いから現在の活動に至っています。

松葉:supersudacaはリサーチを行う集団で、メンバーはそれぞれが独立した建築家であると伺っていますが、先ほどのAMOと比べて得意としている事とはどのようなことなのでしょうか?そしてそれを現在どのように活かしているのでしょうか?

古賀:supersudacaでユニークだと感じたことは、今—そこで何が出来るかを問うというスタンスでした。現在の改善すべき点は明日どうなっているか?そのために今日、そして今何がアクションとして出来るか?ということに真摯に取り組んでいました。今出来る事の延長線上に未来を描くという彼らのスタンスが、行動する建築家として日本でも参考にされるべき事柄でして、まさに松葉さんが地元の八王子が抱える問題に対して建築家として取り組んでいらっしゃることも同様だと感じています。松葉さんにとって、建築設計のみならず、社会環境に呼応する取り組みはどのような意図からの行動なのでしょうか?



松葉:僕としては最終的には良い建築設計の出来る環境を整える事に興味があります。例えば畑に作物を育てるとき、その土地が豊かなら良い作物が収穫出来るというように、よい建築をつくるためには、よい周辺環境が必要になると考えています。ですので、AKITENといったプロジェクトを立ち上げ活動しています。それらの根本にあるのは、基本的には良い建築をつくるためであって、その結果街やそこで暮らす人達も豊かになればいいなと考え方です。また、単なる建物の設計だけでなく街や都市をどう作り上げて行くかということにも非常に関心があります。今出来ているのは5〜6棟の建物からなる小さな街区の設計(進行中)というレベルですが、将来的には都市計画レベルのプロジェクトにも関わって行きたいと思っています。ただ、いずれのスケールであったとしても、建築設計の枠組みだけで物事を考えているだけでは駄目だと思います。


  • 松葉邦彦

古賀:松葉さんには私がプロデューサーとして携わった群馬県中之条町で開催されるビエンナーの中の建築館という空間インスタレーション企画にご参加頂きました。私の意図は流行のリノベーションとして空間を利用するということに加えて、空間に携わった関係者を繋いで地域の歴史を現代に紡いで行くという事でした。地方でのプロジェクトは一回きりでは全体に携わる事は出来ないため、小さなプロジェクトでも良いので何度も地域に出入りし新たに歴史を紡いで行くような建築家の関わり方の方が歴史的にみても自然な流れだろうと感じています。近年の日本の事例では徳島県神山町でも特定の建築家が長く携わって行く事で責任を持って良い環境が作られているように感じています。建築館のイベントの際には、中之条町に松葉さんの処女作となる旧廣盛酒造所があり、ビエンナーレ担当の町役場の方から松葉さんに是非とも今後の中之条町に携わって行って欲しいと旨を頂きまして、前述の空間インスタレーションへの参加を打診したという経緯なのですが、非常に地域と良い関係を築いていらっしゃる方だと感じました。松葉さんは建築家が地域に継続して関わる試みについてどのようにお考えですか?


松葉:中之条町では人生で最初の仕事を頂いた縁もあり、町が盛り上がって欲しいという思いからも今後も活動を継続して行く予定です。2月には軽井沢のセゾン現代美術館、渋川の原ミュージアムアーク、前橋のアーツ前橋の三つの美術館が連携して、中之条ビエンナーレの会期中に一緒に地域を盛り上げて行けないかという地域間連携に関するシンポジウムを開催しました。中之条町の中でも特に四万温泉エリアには高いポテンシャルを感じているので、まずは四万温泉を拠点にして大小さまざまなプロジェクトが進行させていく予定です。地域に継続して関わっていくためには、何をするにもいい加減な事は出来ませんし、必然的に建築以外の事も考えるようになります。そのような環境に身を置くことで、建築の枠組みでしか考える事が出来ない建築家からの脱却が可能になるのだと思います。




建築家が長期的な視点を持ち、
地域の文化産業の創出にまで取り組む。


古賀:単発で大きく複雑なアクションを起こそうとすると、建築は変化出来ないので時代の流れにも対応できません。地域に継続して建築家が主体的に関わる事で、建築のみならず様々な地域を巻き込んで前述の文化の土壌作りが進んで行くように、長期的な視点が求められているのでしょう。かつてのように建築家が一作品だけ作って去って行くような時代のあり方ではなく、継続的に携わって行けるような体制を整える事が大事なのだと思いますね。
近年はアートイベントが至る所で開催されており、突破口としては大変良いと感じていますが、産業を生み出さないと根本的な解決に至らないと考えています。産業ではなく文化という意見よりも、文化を産業として取り組めば良いと思いがあります。現在はアートとは別の切り口で町から発掘出来る粘土で作るタイル開発等、身近な所からの文化産業の創出に取り組んでいます。これは建材の事例ですが、こういう町の資産を建築家が発見してそれが街並に反映されて行くような提案も、建築家だからこそ具体的に提案出来るような事柄に思います。


公共建築とは違った形で建設できる最小のローカルへの実践。
「パヴィリオン建築」


松葉:古賀さんは今後のアウトプットとしてパヴィリオン建築を推進して行きたいと以前に話していましたが、それは地域に対してどのように貢献出来るという思いからなのですか?

古賀:地域が一丸となってまとまっていくには地域共通資本とでも呼称すべきか、地域で共有していると思う物や事柄が必要なのだと感じています。例えばお湯だったり、自然だったり、風景だったり。良く色々な町を見に行っても地域内で小競り合いがありますが、ある程度みなが共通な事項として認識出来る事を定点にして、それぞれが自由に活動すれば足の引っ張り合いのような自体も起きないのではないかな?と思います。皆の思いを形にする事が仮設のパヴィリオンなら建築では難しい部分を通り越して「まずはやってみよう!」と実験的な事が実現出来ることが強みであると考えています。それらは公共建築とは違った形で建設出来る最小のローカルの意見を反映出来る事柄だろうと注目して実践を試みています。

松葉:パヴィリオンと聞けば万博などを想像してしまうかもしれませんが、お祭りって屋台とかやぐらとか仮設的なものもパヴィリオンとして新しいもの提案できたら面白くなりそうですね。お祭りってどこの地域にもあるものなので、やぐら的なパヴィリオンなど。子どもとお年寄りの為の物ではなく、若い人達も行けるようなものにすれば多くの人々が集まる場になりますよね。地方だけでなく都会にも必要とされているような気もします。



若手建築家が生き残っていくために。
設計能力と世の中を生き残る能力は別。


  • 古賀大起

古賀:学生達としては建築家の未来はそれほど明るくないという意識で、進路選択等にもその傾向が顕著に現れていると思います。そこで学生達が一番知りたい事は建築家としてどう生き残って行くか?ということと思います。

一般に生き残ったものというのは、単なる弱肉強食ではなく社会システムに適合したものが生き残って来たという歴史であると伺った事がありますが、生き残るというのは競合を駆逐すると考えるのではなく、環境に呼応した結果なのだと思います。松葉さんの活動に関して意図的かどうかは別として、結果的に現在の社会の置かれている環境に丁寧に呼応する形で、建築設計を生業とされているのだと感じました。松葉さんの建築家として生き残って行く方法に関して意識されている事はどのようなことでしょうか?

松葉:設計能力と世の中を生き残る能力は別の能力ですね。誰とは言いませんが設計のセンスが無いのに有名になっている建築家は数多くいますし笑。だから大学の点数等はその後にはあまり関係ないと実感しています。事実、僕の大学時代の評価はかなり酷かった・・・評価する側の資質が足らなかったのだと今でも思っていますが笑。また、卒業後に建築家志望の学生が行くアトリエと呼ばれるような設計事務所は待遇も良くなく、スタッフにまともな給与を払えないまま事務所が数多くあるのが現状です。個人的には経営者としてあってはならない事だと感じているのですが、そうとは考えない人が大勢いるのが現状です。だから脱落して行く人がほとんどだし、そもそも最近の優秀な学生は建築家を目指さなくなってきていると聞いています。


  • 松葉邦彦

仕事が生まれる仕組みを自ら作り出し、
コンスタントに仕事が得られる環境を整えていく。


さらに、無事独立出来たとしても生き残る為に仕事を取り続けなければ成らないのですが、建築設計の仕事は基本的には委託者がいて初めて成立するのでいつ仕事が来るかはわからない。けど、それでは事務所の経営が不安定になってしまう。長期間で取り組む大規模な建築の設計を取るというも一つの手ではあるが、それは大手設計事務所や巨匠と呼ばれるような有名建築家と戦うことになり、実績が足らない20〜30代の若手建築家にとっては非常に困難である。だとすれば、仕事が生まれる仕組みを自ら作り出し、コンスタントに仕事が得られる環境を整えていくしか生き残る術はないと考えています。そのようにして後5年~10年生き残って行けば、建築家として次のステージに立つ事が出来ると思うのですが、それまでに脱落してしまえば今まで積み上げて来た事が全て無駄になってしまいます。ですので、仕事が生まれる仕組みを上手くまわす必要があり、そのためには設計者だけでなくコーディネーターやマネージャーが必須になってきます。そして、それらの役割を担う人材と協同し次のステージで戦える体制を整えて行く必要があります。

古賀:地域のみならずそれに携わる設計事務所自体にも持続可能な組織形体の構築が望まれますね。設計事務所の待遇も含めて。個人的には本来はそのような体制も事務所の評価の対象にしかるべき点だと感じています。今の評価基準はどのようなデザインが出来るかという一過性の物で、地域に長い期間貢献出来るかという視点での評価が無いように思います。勤労時間に関しても、例えば、ヨーロッパや南米の一流事務所でも日本みたいな勤務体系は殆どありません。作業効率が非常に良く、それでいて品質の高い建築を実現して世界的にも競争力があるという事務所が現に存在する。国外には我々が持続可能な組織体制として参考にしなくては成らない状況があると思います。私が良く思うのは、例えば成功した設計事務所の代表に「今あなたが学生だとしたら、あなたの経営している設計事務所で働きたいと思いますか?」ということを聞いてみたいです。そして、もしそのように思えない環境ならば何かを変えなくては成らないと思います。設計事務所は建物のデザインを担う訳ですが、同時に建設される地域、そして経営者として事務所の人々の生活まで担うべきと、やるべきことは多岐にわたりますが、環境を作るという事はこれらを行う事なのでしょう。そのためにも建築事務所の評価の方法もそれを伝えるメディアも含めてもっと議論されるべき事柄だと思います。いずれ結果は街並として自らに跳ね返ってくる訳ですから、メディアもそれを自覚して街や建築家を育てて行くような仕組みを作っていきたいと考えています。


- - - - - - -
松葉邦彦 / Kunihiko Matsuba

▼参照
OMA / AMO:http://www.oma.eu/oma
supersudaca:http://supersudaca.org/blog/
AKITEN:http://akiten.jp
中之条ビエンナーレ建築館:http://nakanojo-biennale.com/architecture/

協力
テキスト:藤沼拓巳
写真撮影:松下美季

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

OTONA WRITER

松葉邦彦 / KUNIHIKO MATSUBA

株式会社TYRANT代表取締役/一級建築士 1979年東京都生まれ。東京藝術大学大学院修了後、事務所勤務を経ることなく独立。 人生で初めて設計した建物が公共の文化施設(旧廣盛酒造所再生計画)という異例な経歴を持つ。工学院大学建築学部建築デザイン学科非常勤講師。