僕が、イラストレーターになるまで 〜「イラストレーターニッパシの半生」〜

皆さん、はじめまして! イラストレーターのニッパシです。 突然ですが、僕はこの冬イラストレーターとして独立することに決めました!そんな僕のこれまでには、スポーツをやっていた少年時代から、マッチョな美大予備校時代、美大で建築を学んだ時代などさまざまな時代が。僕がどんな道を経てイラストレーターになったのか。これからはじまる連載を前に、これまでの人生を6つに分けて自己紹介をしたいと思います。まずは幼少期からどうぞ〜!

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英才教育@パチンコ屋時代(幼稚園~小学校)

この鼻ちょうちんでパチンコ台に座っているのが幼少期の僕です。
パチンコ好きな家庭に生まれた僕は、幼少期をほぼ立川のパチンコ屋で過ごしました。そこには個性的な店員や客(野球選手、サラリーマン、近寄りがたい人等々)がいっぱいいて、人間の多様性を学習しました。

スポーティーボーイ時代 (中学校~高校2年)

まだ美大に行くなんて少しも想像できない中高生時代。
通学はチャリ通で往復3時間、放課後は部活で柔道、週末はサーフィンをしに茅ヶ崎へ。というような感じで、常に身体をビルドアップしていて、心身ともに健康な男子校生でした。

筋肉な予備校時代(高校2年~高校3年)

裏原系ブランドのTシャツに多大な影響を受け、美大進学を決め、美大予備校に通い始めました。それまでのスポーツのおかげで筋肉な予備校時代です。美大予備校では最初無敵な自信があったのですが、筋肉の影響か、デッサンがずっとキュビズムだったので常に下段でした。

ヘビメタSk8erしかも受験太り時代 (大学1年~大学2年)

晴れて東京造形大学に進学したのですが、受験太りが抜けずこんな感じ。
室内建築に進学したのですが、授業にあまり興味をもてず、DJ、スケボー、バンドなどをしてずっと遊んでいました。

ドン底前の天狗時代(大学3年~大学院卒業)

「このまま遊んでいてはまずい! 」と思い立ち、家具、空間、建築コースの中から唯一稼げそうな建築コースに進みました。

これがドストライクな選択で、どんどん建築にはまってしまい、そのまま大学院に進学し、ウィーンにも留学してしまいました!

しかも気づいたら見た目もヘビメタぽっちゃりボーイから、人民服を着たアーバンボーイになっていて、周囲からはヘビメタに戻ってほしいとの声をたくさんいただいていました。

社畜時代(数年前)

大学を卒業したあと、就職したらまんまと社畜時代をむかえてしまいました。
諸事情により詳細は書けませんが、イラストのような見た目で、一日14時間労働、土曜祝日出勤、交通費支給無しの月給8万!!という戦後の初任給をほうふつとさせる額で、貧乏生活をしていました。

そして現在、秘密期間(今は公開できませんが、いつか公開いたします)を経て、ついに念願のイラストレーターとして活動をスタートしたのです!

ここまで幼少期から現在までの半生をざっくりと説明してきましたが、どうでしたか?
Facebookで23いいねだと、「おれの人生23いいねか~」って悲しい気持ちになるので、80いいね前後は欲しいです!
これを読んでる皆さん!ぜひ「いいね!」のご協力を〜!

(2016年11月8日)
(イラスト・文 / ニッパシヨシミツ)

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OTONA WRITER

ニッパシ / nippashi

人間観察が得意なイラストレーターです。 小さい頃は立川のパチンコ屋で育ち、人間観察の基礎を学びました。 大学では6年間建築を学び、新宿歌舞伎町や団地の研究をしました。 最近は人相占いに目覚め、顔面占い師としても活動しています。 個性的な人や面白い建築を発掘し、イラストで紹介したいと思います!