作品が売れたとき感じた「本に救われた感覚」。僕は本に人生をかける。ーブックアーティスト太田泰友

ドイツ、日本で製作そして発表を続ける、新進ブックアーティスト太田泰友さんにお話を伺いました。日本ではまだあまり馴染みのない「ブックアート」とは一体?そして新しい本の形とは?

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ブックアーティスト
太田泰友
1988年生まれ、山梨県出身。ブックアーティスト。ブルグ・ギービヒェンシュタイン芸術大学(ドイツ、ハレ)ブックアート専攻 研究課程修了。これまでに、ドイツをはじめとしたヨーロッパで作品の制作・発表を行い、ヨーロッパやアメリカを中心に多くの作品をパブリックコレクションとして収蔵している。平成28年度ポーラ美術振興財団在外研修員。
www.yasutomoota.com

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ブックアートを始めるきっかけ
 

ーブックアートって日本では全然知られていないものだったと思いますが、そもそもどのようにしてブックアートを始めるようになったのですか?
 

太田:元々はプロダクトデザインをやりたくて、日本の大学でデザインを専攻していたんですが、大学2年生の頃に「本を作ること」に興味を持ち始めました。ブックデザインの世界や、当時のフリーペーパーの文化などを見ながら、でもどうせなら自分の力が生きる、自分にしかできない本づくりをしたいと思って、どのように本づくりに関わるべきか考えました。
その結果、それは「編集者」なのではないかって思って、編集という立場で本づくりに関わりはじめたんです。大学3、4年生の頃は、いろいろなプロジェクトに編集の立場で携わっていました。そんな中、大学4年生の終わり頃に、自分が編集という立場で本を作りながらも、最終的にその仕事が本として姿を見せた時の形や、本の構造に伴った機能に興味が強いことに気づき、それならば自分で本の形を作れるようになった方が良いのではないかという考えから、製本を学び始めました。大学の卒業制作では、編集のアプローチに重きを置きながら、最終的には自らの手で製本して作品を仕上げました。

20歳のときに、パリに一人で旅行に行ったんですが、初めて自分の目で見たヨーロッパにすごく感激したんですよ。その旅行の最終日に、「自分がこんなに憧れてしまうパリに、目の前をランニングしているおじさんは、この瞬間も普通の日常として生活しているのか」と思い耽ってしまい、同時に、「ここに旅行として訪れてきているうちは、それを非日常として体験して憧れているにすぎない」と思い、いつかパリやヨーロッパで、自分の専門分野で勝負して、そこで生活する人々となるべく同じ目線でその地を感じてみたいと考えました。
そういうことがあって、日本の大学院に進んだら、ヨーロッパのどこかに留学したいと考えていました。学部を卒業する頃にそんな話をしていたら、当時お世話になっていた教授から、ドイツのライプツィヒにブックアートの専攻がある大学があるという情報を聞き、ドイツに留学することを考え始めました。ただ、ドイツ語もわからなく、その大学に関する情報もなかなか集められない状況で、「とにかく行ってみるしかない」と修士課程1年目の夏に、ドイツで2ヶ月間の語学研修を受け、その終盤にドイツの大学の教授にお会いして、そこに籍を置く可能性と方法を探ろうとしました。


  • Die Forelle, 2014 / Yasutomo Ota / Photo: Stefan Gunnesch

2ヶ月間の語学研修は、僕にとっては初めて外国に「住む」経験で、とても刺激的でした。世界各国からドイツ語を学びに語学学校に集まってきて、その中でいろいろな人間関係を築きながら、日本人以外と対等にコミュニケーションを取る感覚が身に付いたんですよね。この感覚で、ドイツやヨーロッパでも本づくりを通して、世界を広げていきたいと強く思うようになりました。

2ヶ月間の語学研修の終盤に、その滞在の大きな目標であった教授とやっと会うことができるようになったのですが、それまでに作っていたものや、これからやっていきたいことなどを説明すると、驚いたことに「君はここではなく、ハレにある大学に行った方が良いと思う」とアドバイスされました。ハレはライプツィヒの隣にある小さな町なのですが、そんなところにブックアートの専攻がある大学があるとは思ってもなくって。
帰国日が迫る中、急いでハレの教授に連絡を取って訪問しました。大学のアトリエは、僕が思い描く制作をするのに適した素晴らしい環境で、教授に作品を見せるとその場で在籍の許可をいただけました。ただし、日本で修士課程を修了してきて、ドイツ語をさらに勉強することが条件とのこと。その日から約2年後の入学に向けて、準備を進めることになりました。
後に実際にハレで活動を始めてからわかったのですが、ドイツの中でも「ブックアート」の専攻が残っているのは実質このハレの美術大学だけで、他にドイツ国内でブックアートという名前が残っているところも、実際にはブックデザインの専攻になっていました。ライプツィヒだけの情報を持ってドイツに行ってみましたが、幸運なことにこうしてハレの大学への道が開けました。

ドイツへ渡る準備をしながら、日本の大学院での僕の本づくりは、より「製本」に重きを置いた制作アプローチになっていきました。本の形への興味は依然強く、ドイツに渡ったらもっと製本を学びたいと思いを強めていきました。修士研究としては、「造本」をテーマにしてまとめ、いよいよドイツへ渡る時が訪れます。

待ちに待ったドイツへの留学でしたが、とにかく製本をとことん突き詰めたかった僕の思いとは裏腹に、ハレでは製本だけではなく、本の中身も含めたトータルとしてのブックアートを制作するように教授から指導を受けました。ここでは製本はブックアートを構成する一要素でしかなく、ずっと思い描いてきたものとは違う印象にその時は期待外れ感さえ感じてしまいました。しかし、そうは言うものの、そのように指導されればやってみるしかないと思い、ここで初めて「製本」でも「造本」でも「ブックデザイン」でもない「ブックアート」と向き合うことになりました。「ブックアート」という存在を知りつつ、そしてなんとなくそれを自分でもやっているつもりでしたが、実際にはドイツで、しかも本意とは少し違った形でやり始めることになったのです。

 
ーということは、ブックアートをやり始めたら、どんどんハマっていったということですか?
 


  • ベルリンでのブックフェアの様子

太田:そうですね。それまでに作っていた作品とは、根本にある本への考え方は変わっていなかったのですが、その考え方や、元々重きを置いていた「造本」をどのように作品に昇華していくかについてを、ブックアートと向かい合いながら身に付いていった感じがします。制作も楽しくて、僕に向いているなとも思いました。
ドイツに渡ってちょうど半年経った頃に、ドイツで初めて作品の展示をできる機会がありました。ライプツィヒ・ブックフェアです。ここでの展示に向けて制作を進めていたのですが、住んでいた家の家賃が計画よりも遥かに高くなっていたりしたのもあって、準備していっていたお金がほとんど半年でなくなってしまい、ライプツィヒ・ブックフェアの1週間ぐらい前には、財布に入っているいくらかしかお金がないという状況になっていました。展示直前で、制作も追い込まれていて、買い物などに行くこともなかったのですが、フェアまでは何とか凌いで、ドイツでの最初の展示はやりきって、それでお金がなかったら予定よりは早いけれども日本に帰るしかないなと気持ちを固めて取り組みました。本当にスーパーでちょっとした食材も買うのを渋らないといけない状態でした。
 


  • ライプツィヒでのブックフェアの様子

  • ミュンヘンでのブックフェアの様子

 
太田:そんな中迎えた初めてのライプツィヒ・ブックフェアで、自分でも驚いたんですが、初日にすぐに作品が売れたんですよ。驚きと嬉しさで興奮状態というか、晴れ舞台にいる感覚でとても気分が高揚したのをよく覚えていますね。喜んでいるとその後もどんどん作品が売れていったんです。全く予想もしなかった結果が得られ、 仲間たちからも祝福され、ドイツでの初めての展示は忘れられないものになりました。
フェアが終わってみると、作品が売れて入ってきたお金が手元に残り、まだドイツに残って制作ができる状態になっていました。このときに味わった、「本に救われた感覚」が強烈で、こうして本に救われたんだから、もうこれからの人生は本当に本だけにかけていこうとはっきりと決意したのを覚えています。
 

ー「ブックアート」というジャンルは、日本ではあまり聞き慣れませんが、太田さんが経験を通して感じる「ブックアート」とは、どういうものでしょうか?
 


  • Vom sinnvollen Abstand und dem notwendigen Zusammenhalt, 2014 / Yasutomo Ota / Photo:Stefan Gunnesch

太田:耳慣れた言葉である〈ブックデザイン〉と「ブックアート」を比較してみると、「ブックアート」の特徴的な面が見えてきます。
〈ブックデザイン〉というと、現在はほとんどの場合、もともとメインとなるコンテンツとしてテキストがあり、それを本としての体裁を持たせるため、もしくはそれがよく売れるようにするためにデザインをすることになると思います。僕が作る「ブックアート」は、作品ごとにそれぞれコンセプトが存在し、そのコンセプトを実現させるために必要な要素として、テキストやグラフィック、印刷、造本などといった本の構成要素を揃えます。ここでの〈ブックデザイン〉との大きな違いは、作品のコンセプトのもとに、あらゆる本の構成要素が同じ優先順位で並列しているということです。そういう意味で、ブックアート作品は本の総合としての作品であると感じています。
 

 
ー現在のお仕事について聞かせてください。仕事の内容としては、今までの話のように、作品を制作そして発表、販売ということですか?
 

太田:はい、それがメインになっています。ただ、僕の場合は「造本」に強みがあることと、それからブックアートに取り組むことの根底には、「本の新しい可能性を見出していきたい」ということがあるので、コラボレーションするようなお仕事もさせていただいています。すべて自分で作りきるブックアートは、それはそれで一つのテーマを突き詰められるところがあるのですが、コラボレーションでは、元々自分自身にはなかった視点を得られるようなこともあるので、そういうアプローチで見出せる新しい可能性もある気がしていて、また別の重要性を感じています。
作家同士のコラボレーションももちろんそうですが、最近では例えばコンテンポラリードレスのレーベル、Jensとコラボレーションして、僕の本の作り方や考え方を取り入れたウォレットを制作したりしました。
 


  • Jens 16 – 17 AW, Wallet

  • Jens 16 – 17 AW, Wallet

 
ーどんどん新しい発表の形にチャレンジしてるんですね!今後はどのように制作を進めていくつもりですか?
 

太田:大きなところで言うと、「ブックアート」を「ブック」だけの世界ではなく「アート」の世界に出していくことです。ブックアートの世界は、たしかに存在しているものの、それでもやはり小さな世界です。作家もそうですが、例えばコレクターの方々の高齢化が進んだり、作品を収蔵している施設の予算が年々縮小されていったりしていて、元々広くない世界が、さらに小さくなっていっていて、これまでに存在していたブックアートをこれまで通りにやっていても先が見えている感じがありました。たまたま僕のブックアートへのアプローチが、編集や造本から入っていって、これまでに主要であったブックアートのスタイルとは違ったものを見せられるということもあり、「ブック」だけに括られていたところとは違った世界でも作品を見せられる機会をいただいたりもしていて、それがこれまでにブックアートを見ていた方々とはまた違う方々に見ていただける機会にもなっています。ブックアートを「アート」の世界でも見ていただくことができたら、ブックアートの世界をもっと広げて、新しい可能性を見ることができるように感じるので、これまで僕にいろいろなチャンスや経験を与えてくださった方々に感謝しながら、新しい世界に挑戦していきたいと思っています。

また、11月には日本国内では初となる個展が予定されています。まさにこれからその挑戦が始まっていくところです。



▼個展情報
「太田泰友ブックアート展」

会場:伊勢丹 新宿店 本館5階 アートギャラリー
会期:2016年11月16日(水) ー 22日(火)




トップ使用画像:Fumiaki Omori (f-me)

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OTONA WRITER

Masaki Hagino / Masaki Hagino

ドイツ、Burg Giebichenstein University of Art 絵画テキスタイルアート科在籍。「人間はどのように世界を認識しているのか」ということをテーマに、制作を続ける。国内外のギャラリー、アートフェアで展示を行い、作家として活動する。