持ち込みの記録 その2

後編、こーなると、こーなる。

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午後に小学館のエントランスにて待ち合わせをした。
奈良さんとは久々の再会だった。世間話は手短で、社内に入る。

しかし、小学館といったら大手。素性の知らない人間が野面で入れるほど、無防衛ではない。
昔は、出版社、テレビ局などのマスコミはガードが相当緩かったみたいだが、
もうそういう古き良き時代は、とっくに終わっている。
兎に角、受付にて届けを出さなければならない。就職活動もしたことがない僕。
もちろん、書き方がわからない。奈良さんに教えてもらう。
名前、住所、所属先、事前のアポイントメントの有無を書く。
こー書くと、こんなこともひとりでできないのか!?と思われそーだけど、
大学卒業したてで何もわかっていないタイプの人間は、こーゆーことやるのもハードル高し。

受付の人に、届けを出す。引き換えに、入館所をもらう。
初めて入った出版社は、興味深いものがあった。独特の活気があり、
壁には「〇〇万部突破!」とか「〇〇で取り上げられました!」などのビラが
貼ってあった。

最初に足を運んだのは『DIME』である。ガジェット系を扱う老舗雑誌。
奈良さんは、編集部にいた後輩I氏に声をかけた。
「おぉ〜」
「どうしたんですか?奈良さん」
「ちょっと、こいつイラストレーターなんだけどさ、イラスト見てやってよ」
I氏はそれを了承。ポートフォリオを見てくれた。名刺交換をし、
「何からあれば発注しますね」とI氏。
のちに、I氏からウェブ版『DIME』の連載をいただくことになる。

続けて、アウトドア雑誌『BE-PAL』、お金持ちの中年が読む『サライ』
の編集者と面接をさせていただく。
通常の持ち込みならば、アポイントを取った編集者としか面接はできないのだが、
奈良さんのツテを頼りに多くの人に見てもらう。
この時は、本当のありがたみに気づいていなかったが、
自分で持ち込みをしだしてから気づく。コレって本当に幸運な機会だったわけ。

最後に『CanCam』の編集部に案内してもらった。
だが、声をかけるスキもないほどの大忙しっぷり。
正に、修羅場といった様相。みんな電話していた。
ポートフォリオを見てもらえなかったことは残念ではあるが、
女性誌を作る編集部を間近で見られたことは、良かった。
滅多にあることじゃないし。





小学館を後にし、神保町にある編集プロダクションに足を運ぶ。
編集プロダクションとは、大手出版社などから事業を委託される事務所のコト。
美大生向けに説明すると大手広告代理店の下請けの、デザイン事務所的なモノ。
それの出版バージョンと考えて欲しい。
ここの社長と奈良さんは旧知の仲で。社長自らポートフォリオを見てくれた。
ここのプロダクションとは、後にアプリの仕事でお世話になったりする。
一番の収穫は、編集者Aさんと出会えたことだろう。
のちに彼女からは、色々な音楽情報を教えてもらう。
そして、僕が行ったイベントの手伝いもやってもらった。

最後に向かったのは新宿にある別の編集プロダクション。
ここでは武蔵美の先輩が偶然に在籍しており、
同様にポートフォリオを見てもらった。
ここのプロダクションとは今でも関係は続いており、
年に1回ほどイラストの仕事を発注してくれる。

こう書き出してみると、
この日の出会いによって多くの仕事や人とのつながりを得たとわかる。
正に、奈良さん様さま。
コネとかツテって、非常に重要で。
初対面の背景が見えない人間は信用がないが、
人から紹介された人間はある程度の担保はある。
その信用の担保が、仕事を与える人にとっては大事なのだ。たぶん。
こんなことは、当たり前に聞こえると思うけど、
自ら経験し、フリーランスになってから実感できた事実だ。


大手メディアでの連載が1本でもあると、信用に繋がる。
1から100を作るのは努力次第で可能かもしれない。
全く何も成果物がない状態から仕事をもらうのは結構難しい。
0から1を作るのは人との出会いがモノを言うと思う。

だから、イラストレーターになりたくて持ち込みをしたいと考えている人に
送れる唯一のアドバイスは、自分を面白がってくれる業界の先輩を探すことだ。
天才的クリエイターなら、いつか誰がフックアップしてくれるだろう。
多くの人は、凡人だから少しでも手を差し伸べてくれる先輩を自ら探すしかない。

僕も大仰なことは言えないが、現時点ではこー考えている。
要するに、かわいがってもらうことが大事である。

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OTONA WRITER

ヨシムラヒロム / Hiromu Yoshimura

中野区観光大使やっています。最近、29歳になりました!趣味は読書です。