持ち込みの記録 その1

運命の人。こー書くと大仰にロマンティックであるが、今回はそんな話である。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

今現在、僕の主な収入源は週刊連載の3本だ。
内訳は小学館2本、学研1本という具合。
実はこの仕事、あるひとりの人を介して得た仕事だ。
この人(今後“奈良さん”とする)と出会っていなければ、僕はどうなっちゃてんだろ!
と時折思い、恐怖に苛まれる。それこそディストピア。
今回は、その運命的な出会いについて書く。

チャンスはどこに転がっているかはわからない。
今の連載も運命的な奈良さんとの出会いなしに得ることはできなかった。
その奈良さんとの出会いも本当にラッキーで。
今思うと、運が良かったなぁ。

周りでTwitterが流行り始めたのは2010年と記憶している。
「ブレイクするってのはバカに見つかるってこと」は有吉弘行の名言だ。

2chもパソコンが大きく普及する前は、
パソコン自体を操ることがひとつの踏み絵だったので、
わりかし高度な会話が繰り広げられていたと聞く。
正に、Twitterにも同じことが言えて。
悪意のメディアというよりも、善意の集合体という側面の方が強かった気がする。
そもそも平均年齢が高かった(たぶん)。
当時は、頻繁にオフ会が開かれTwitterのフォロワーと
現実の友人との境目が今より薄かったと思う。

2010年、僕が美術よりデザインより、イラストより、
何より夢中になっていたことはTBSラジオで。
ラジオリスナーじゃないと理解できないと思うが、
テレビと違ってラジオは、番組単位ではなく、局のファンになることが多い。
主にJ-WAVE派、文化放送派、TBSラジオ派、ニッポン放送派と派閥があり、
基本的にザッピングはしない。

僕はTBSラジオに夢中になった。
学生身分
暇な時間は無限にあったので、AM954を聞きまくっていた。
TwitterでもTBSラジオリスナーの人をフォローし、
ラジオにこんがらがった日々を送っていたわけである。


ある日、Twitterを見ていると「TBSラジオのオフ会やります」とのツイートを発見した。
すぐに「参加を希望します」とリプライ。
これが今現在でも人生で唯一参加したオフ会である。

オフ会は新宿にて開催された。そこにいたのが奈良さんってわけである。
僕が奈良さんと初めて会話したワンフレーズ目は
「タマフル(TBSラジオで土曜に放送される人気番組。
パーソナリティは人気ラップグループRHYMESTERの宇多丸)に、
しまおまほ(同番組の1コーナーを担当するイラストレーター兼コラムニスト)
いると思います?」だった。

正直なことを言えば、オフ会で奈良さんと特別何を話したかは覚えていない。
もう6年も前の話だからね。
唯一、覚えているのは奈良さんが二次会に参加しなかったことぐらいで。
そのあと、お互いにTwitterをフォローした。
そこから、奈良さんと長い交流が始まる。

初めは、Twitterで時折ラジオの話をする関係だった。
時折、当時連載していたコラムに関して、
文章の書き方とイラストをアドバイスしてくれた。
小さな媒体で、編集担当もいないコラムだったので、
奈良さんのアドバイスは非常にありがたかった。

連載コラムもある程度数が溜まったころ、奈良さんからこんなリプライが来た。
「イラストも良くなってきたし、今度、小学館を紹介しますよ」
奈良さんは元小学館の編集者。僕を小学館の編集部へ連れて行ってくれると言う。
これが人生で初の出版社への持ち込み体験だった。

後半へ続く。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

OTONA WRITER

ヨシムラヒロム / Hiromu Yoshimura

中野区観光大使やっています。最近、29歳になりました!趣味は読書です。