分野を跨いだ視点を持ち「新しさ」を追求していく OA vol.7 色彩計画家 片岡照博×建築家 塚越智之

「世の中を生き抜く術・勝ち残る術」をテーマに、建築界の異端児の異名をとる建築家松葉邦彦が今話したい人物と対談、インタビューを行い、これからの世の中を生きて行く学生や若手に伝えたいメッセージを発信する。第7回は色彩計画家の片岡照博さんと建築家の塚越智之さんにお話を伺いました。

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片岡照博
1980年東京都生まれ。色彩計画家。株式会社コトナ 代表取締役、有限会社クリマ デザインディレクター。工学院大学・早稲田大学芸術学校で建築・都市デザインを学んだ後、2003年より日本における環境色彩計画の第一人者、吉田愼悟氏に師事。同年、クリエイティブユニットCOTONAの活動をスタート。複眼的思考をモットーに、小物・グラフィック・インテリア・建築・都市の分野を行き来している。首都大学東京非常勤講師。

塚越智之
1983年東京都生まれ。建築家。 2006年デルフト工科大学留学 2009年東京工業大学大学院修士課程修了。 吉村靖孝建築設計事務所勤務を経て、現在 ツ+ミ/塚越宮下設計 共同代表、日本工業大学 非常勤講師を勤める。 U30 architects Architects exhibition 2013選出。製材端材を利用した積層型ユニットシェルフで第18回木材利用コンクール 木材利用特別賞を受賞。

松葉:「Outsider Architect」 の7回目は、色彩計画をベースにグラフィックから震災復興支援まで様々な活動に関わってらっしゃる片岡照博さんと、建築家という立場から家具の開発等も行なってらっしゃる塚越さんにお話を伺って行きたいと思います。お二人とも多彩な活動を行なっていらっしゃいますが、二人の問題意識の違いや共通点から、建築家が生き残っていくにはどのようなことが必要かを探っていければと考えています。今回は主に以下の3つのトピックスについてお話を伺っていこうと思っています。

1:身近な興味から始まるデザイン
2:仕組みを問い直すことから生まれるデザイン
3:分野を越えた視点をもつことの重要性

1: 身近な興味から始まるデザイン

松葉:まずは片岡さんからお話を伺って行きたいと思います。デザインに関心を持ったきっかけは何だったのですか?

片岡:僕は高校生のときから散歩が好きで、よく代官山等の街を歩いていました。そして面白そうな雑貨屋を見つけては、気の向くままにインテリアや商品を見て楽しむ、そんな週末のを過ごしていたんです。でも、当時はお金がなくて物は買えない。そこでタダでもらえるフライヤーやショップカード、フリーペーパーなどを色々と集めるようになって、街歩きをきっかけとして様々なことに興味をもつようになりました。将来のことを考えた時に「こういったものと関わるにはどうしたらいいか」と考え、街を形づくり、雑貨をディスプレイするための器となる建築を大学で学ぶことにしました。

松葉:建築を学んでいたのになぜ色彩計画の道に進もうと思われたのですか?


  • 片岡照博

片岡:実際に大学に入って設計課題に取組んでみると、生活者が肌で感じる魅力は、単体の建築だけでなく街にある様々な要素が有機的につながって醸成されるものなのだと感じるようになりました。そんな時に、大学の講義の中で倉田直道先生に「都市デザイン」という分野を教えていただきました。講義の中に出てきた「まちづくり」「ランドスケープ」「サステイナブル」といった建築周辺の概念がとても魅力的で面白かったことを覚えています。結局その講義がきっかけとなり、4年生の時に早稲田大学芸術学校の都市デザイン学科にダブルスクールすることにしました。それまで建築そのものを勉強してきた僕には、芸術学校で学ぶことは全てが新鮮で、そこで学んだことを大学の課題にフィードバックしたりしていました。例えば建築設計の課題に対してコンター(等高線)によって図面を描いたり、時間の経過に伴う人々のアクティビティの変化を考えてみたり、建築教育ではまだ馴染みのない手法を課題で実践するのが楽しかったのを覚えています。その頃から建物単体をデザインするというよりも、より広域の街やコミュニティ形成の仕組みをつくることに可能性を感じていたのだと思います。

大学と芸術学校を卒業した後は、一度身の周りのスケール感を学びたいと半年間インテリアデザイン事務所に勤めました。でも商業インテリアの仕事はサイクルが早く、学生時代に身につけたある程度長い時間軸の中で思考方法とのギャップを感じて辞めてしまいました。その後、縁があって今も働いている環境色彩計画事務所でバイトすることになったのですが、その時に「色彩」というのは、僕が昔から好きだったグラフィック、プロダクト、建築、街づくりなど、どこにでも適応できる共通言語であることに気づき、次第にのめり込んでいきました。

松葉:確かに、色彩というのは分野やスケールに関わらずデザイン全般において重要な要素ですね。身近な興味を突き詰めていき、違和感があれば躊躇なく分野の境を越えていく行動力はすばらしいと思います。

片岡:あまり大それた思いはなくて、ただ自分の身の周りの環境を気持ち良くしていたいという思いが、色々な活動に駆り立てているのだと思います。たとえば友人の革職人と共にはじめた革小物のブランド(COTONA)も、元々は僕が社会人になりたての時にほしい名刺入れがどこにも見つからなかったので、「じゃぁつくってしまおう」と思いつきがスタートです。

塚越:ないものは自分でつくってしまえという発想で活動されているのですね 。片岡さんは震災復興支援としてナミイタ・ラボという活動も行なっていたと思うのですが、そのきっかけも同じようなモチベーションだったのでしょうか。

片岡:ナミイタ・ラボは、石巻市雄勝町(おがつちょう)にある波板浜という小さな限界集落で、個性豊かなメンバーと共に進めているプロジェクトです。2013 年3 月にこの集落を訪れ、コンパクトなスケール感と住民の人柄にすっかり魅了されてしまい、この魅力を一人でも多くの人に伝えたいと思い動きはじめました。雄勝という所は東京駅の屋根瓦にも用いられている玄昌石(げんしょうせき)の故郷で、その中でも波板という地域ではかつては大きな石を切り出してビリヤード台として輸出したりしていたんですね。海と山を持つこの波板の集落全体を研究所に見立て、採石場跡地を利用した散策路の整備や、地場の石を用いたワークショップの開催、商品づくり等を行い、ソフトとハードの両面から集落と都市部をつなぐ方法を模索しています。限界集落の未来を考える時に、マッチョ体質ではなく「細マッチョ」で柔軟な活動を進めたいと、建築家・アートディレクター・ランドスケープデザイナー・モノづくり体験を揃えたウェブショップのオーナーといった、彩り豊かなメンバーにお声がけしたのがはじまりです。

先ほど塚越さんがおっしゃったように、僕の活動のベースはそこに必要なものがなければつくってしまえばいいということなのかもしれません。それは狭義のデザインだけでなく組織づくりや仕組みづくりについてもそうだと思っています。そのなかで色彩計画は僕にとって、建築や都市計画家という分野だけでは手の届かなかった総合領域に関わるための取っ掛かりという感じです。

松葉:今まで対談してきた方々とも共通しているのですが、様々な分野の人をつなぎ、従来の枠にとらわれない新しい活動領域をつくっていくというのは、これからの社会を生き残っていく上の一つの方法論になっているような気がしますね。

2:仕組みを問い直すことから生まれるデザイン

松葉:塚越さんは建築家という立場でありながら、家具の開発に関わるなど幅広く活動されていますが、どのようなスタンスでお仕事をされているのでしょうか?建築家という職業を選んだ経緯も踏まえてお話頂けますか。

塚越:僕は片岡さんと対照的で数学や物理といった抽象的なものを考えるのが好きでした。現役受験のときは理学部に進もうとしていたのですが、幸か不幸か一年目はいきたかったところに合格できず浪人することにしました。浪人中は現役受験時代とちがって時間に余裕があったので、将来どういった仕事をしたいかじっくり考えることができ、そのときに昔プロダクトとか洋服のデザインに興味をもっていたことを思い出しました。でもプロダクトや洋服というのは感覚的にデザインされていると思っていたので、そういうデザインを職業としてやっていく自信はないなと。好きな数学や物理、論理的な思考を活かしてできるデザインはないかと調べているうちに、建築家という職業を知り、これなら自分の得意なことと興味があることを合わせられる気がして建築学科に進みました。

松葉:進学された東京工業大学の建築学科は外部から見ていると、建築業界においても独自路線を貫いている建築家を輩出しているという印象を受けますが、どのような環境だったのでしょうか?


  • 塚越智之

塚越:あまり大学の特色を理解せずに東工大へ進学したのですが、その巡り合わせも僕にとっては幸運だったと思います。東工大の教育プログラムは比較的少人数で、設計課題では「なぜその場所に、そのようなデザインの建物が必要なのか」ということが常に問われていました。できの悪かった僕にとって、建物のデザインと一緒に、デザインした建物やその周辺を評価する視点を考えていくのはきつかったのを覚えていますが、そのおかげで論理的、客観的に考える力は鍛えられたと思います。

僕が学部にいたゼロ年代は、 OMA MVRDV等がおこなっていたダッチデザインが注目を浴びていました。統計的なリサーチの上に浮かび上がる従来とは違う視点の合理性に基づいて、魅力的な形を生みだしていくプロセスに魅了され、大学院のときにオランダのデルフト工科大学へ交換留学することにしました。そのときの課題でOMAの初期メンバーだったロンのスタジオに参加したのですが、その時のクリティークが印象的でした。ポルトガルの首都リスボンに放置された工業地帯をどう活用していくかという課題だったのですが、提案に対する経済的側面の問題点など、いままで聞いたこともないような水準から鋭い指摘があったのを覚えています。帰国後、東工大の大学院を修了し就職先を探していたのですが、タイミングよく吉村靖孝さんのところでオランダのプロジェクトがあり、スタッフになることができました。短期間で様々な経験ができるよう、比較的若手のアトリエから就職先を探していたのですが、その頃は個人的な感覚を前面に出した若手建築家が多く、その中で吉村さんは少し特殊な存在だったと思います。ご自身もオランダのMVRDVに勤められていて、超合法建築やEX-containerプロジェクトなど、法規や流通の仕組みへの疑問をデザインにフィードバックする手法はとても刺激的でした。


  • 松葉邦彦

松葉:片岡さんは身近な興味をきっかけとして様々な分野のデザインを展開しているのに対して、塚越さんはものごとを成立させている仕組みを分析し、そこから得られた事実をデザインへフィードバックすることに興味があるのですね。そういった方法論は建築以外の分野でも有効であるため、家具のデザイン等にも関わる機会を得ているという事なのでしょうか?木製家具の開発に関わるようになった経緯についてもお話聞かせて頂けますか。

塚越:元々は長野市の集合住宅の改修計画として、地元の未利用間伐材をつかった改修システムを提案していました。あるときそれを見た地元の企業から同じ考え方で家具を開発できないかという話を受けたのが始まりです。そこから色々と日本の林業について調べていったのですが、その中で林業の様々な問題点に気づかされました。例えば日本は私有林が多く所有者が異なるため、林道の整備や間伐の施業などを包括的に行なうのが難しく、施業が非効率化しています。また流通市場も複雑で、そのだぶついた中間マージンがさらに国産材の価格を吊り上げているのです。原木の時点では国産材も輸入材もさほど値段が変わらないのに、オペレーションが非効率で人件費が高いため最終的には海外から来た材の方が安くなっています。当初は間伐材を利用しようと考えていたのですが、林道や私有林の整備が進まないと現実的な価格で間伐材を利用することは難しいため途中で断念しました。


  • 出典:http://tgmssk.com
  • 端材を利用した積層型ユニットシェルフ / KINOTOMO

  • 出典:http://tgmssk.com
  • 端材を利用した積層型ユニットシェルフ / KINOTOMO

そんな中、実際に製材所を見学しているときに未利用の製材端材が大量にあることを知りました。柱や梁などの建材は木の中央からとり、四隅の端材は質がいいのにも関わらず格安で回収され割り箸や熱源にされたり、お金を払って捨てられたりしていました。その小さな製材端材の活用を考えるなかで生まれたのが積層型ユニットシェルフ/キノトモです。製材端材を成形した30角材を互い違いに組上げて長方形のユニットをつくっていて、ユニットの足を他のユニットの木と木の隙間にはめ込んで自由に積層できるようになっています。NC加工機さえあれば製材所内でつくれ、木材の流通も効率化できるようになっています。またこうした製材端材の問題は日本全国共通の問題なので、特殊な技術がなくてもつくれるよう極力シンプルなデザインとしています。僕はもともと家具デザイナーではないので、曲線美だとか個性的なフォルムで勝負するのではなく、いま日本で木材を使うときに障害となることを解決できるデザインを意識して行ったつもりです。

松葉:先日伺った広島のマルニ木工でも、安定供給や品質の観点から国産材での家具の製造は現時点ではなかなか難しいというお話を伺いました。国土の大半が林野だというのに残念だなと思う反面、抱えている問題を解決する仕組みを構築する事が出来るのであれば可能性は大きく広がるのかなと思います。そう考えると、塚越さんの取り組まれている未利用の木材の活用には可能性を感じます。また木材流通効率化の視点がデザインにフィードバックされているのもとても興味深いですね。シンプルなデザインの背景に、そのようなストーリーがあったのですね。

3:分野を越えた視点をもつことの重要性

松葉:お話を伺っていくなかで、お二人の考え方の違いは見えてきたような気がしますが、お互いの活動について気になった点はありますか?

塚越 : いま僕は研究室の同級生と一緒に事務所を主催しています。設計の時には「プロジェクトの趣旨からいって何が適当か」ということを二人で議論してながら案を決めているのですが、素材や色等は全体のストーリーから判断できないことが多く、結局担当している側のセンスで決まってしまうのが殆どです。大昔は物流の問題からその地域で使える素材が限られていて、地域性を汲み取りながら素材を選んでいくことができたのかもしれませんが、物流が発達した今日では地域の素材を利用すると高くついてしまう。そういった中で、色や素材について語ることの難しさを感じているのですが、環境色彩計画というのは色や素材をどのように捉え、提案をしているのでしょうか?

片岡:塚越さんがおっしゃったように、色彩って一般的にセンスとか魔法みたいなものとイメージされることが多い気がします。しかし色の作法を身につければ複数の人と考えを共有することができるように思っています。普段の計画では敷地周辺にある色彩の傾向をマンセル値などで数値化、分析しそれに基づいて対応を提案しています。ちょうどその場所のDNAを紐解き、それに合わせて処方箋をつくっていく感じです。色の作法は自然界にあるシステムを参考にしたりします。例えば大地や木の幹など、動きが少なく大きな面積を占める部分は彩度(鮮やかさ)が低い。一方、花や昆虫のように移ろいやすく小さなもの、あるいは夕焼け等一定の間だけ現れるものなどは、きらびやかな色彩をまとう傾向にあります。これを都市空間に置き換えてみると、メンテナンスが難しい建物や土木構造物の広い面などには落ち着きのある色を用いて、更新頻度の高いバナーや店舗のディスプレイ、照明演出などに鮮やかな色を用いるとメンテナンスも容易で綺麗な状態に保つことができます。他にも漁師町などでは、沖の船から自分の家の場所が分かるようにそれぞれの家が個性的な色をしているなど、文化や宗教、ライフスタイルの面から色が決定されている場所もあります。実際にそこにある色彩を分析しいくと様々な背景が浮かび上がってきます。自然界のなかで時間をかけてつくられてきたルールはやはり偉大で、そこから学べることはまだまだあると感じています。

松葉:長い時間を経ても安定しているシステムというのは、その背後に何かそれ相応の理由があるものなのでしょう。そういった視点は他の分野でも応用できることかもしれませんね。片岡さんはCOTONAの立ち上げや、ナミイタ・ラボなど様々な分野の方とコラボレーションされていますが、その醍醐味とは何なのでしょうか?

片岡:芸術学校にいた同級生は年齢もバックグラウンドも様々で、課題に取り組む際にお互いの考えを咀嚼しながら次のレベルに昇華させていく作業がとても刺激的でした。一つの専門的な立場から扱える問題には限度がありますし、自分の世界に閉じこもらず外に出ていくというスタンスは今も生きていると思います。考えてみると世の中にある問題のほとんどは様々な分野が相互に関係しながら生まれていますよね。その問題を解決するために様々に専門性を持った関係者がコラボレーションしていくことは、重要な手法だと思います。ただ、やみくもにコラボレーションをすればよいというのではなく、関係者間で明確なビジョンの共有することは必要だと感じています。


  • 対談風景

塚越:1990年ぐらいまでの経済が成長する社会の中では、供給よりも需要が上回っていたため、ある程度のものをつくればそれなりに売れる時代だったと思います。そういったなかでは、目の前の需要に答えることが第一で、わざわざ分野の垣根を超えて包括的な対応する必要が薄かったのではないでしょうか。しかし、人口が減少し始める頃になると素材や建物、土地など様々なものが余ってくるようになり、単純にカッコイイものをつくっても一つの分野からの思考では根本的な問題を解決できないという状況になったのだと思います。例えば、吉村さんのところで働いている時に商品化住宅の開発に関わったことがありました。家が過剰供給されている今日ではとくに年数の経過に対する家の資産価値の低下が顕著です。それにも関わらず多くの人が銀行から多額の借金をし、それなりの利子を払うことを覚悟して30代で家を取得している。しかし借金を返済したころには資産価値はほとんどなくなっているというのが現状です。そういったことに注目し、30代の平均的な貯金額でも借金をせずに買えるコンパクトな家とし、出産等による家族の増加にあわせて家を増築できるような商品化住宅を提案しました。今まで利子に払っていたお金を家への投資として使えるメリットがあり、成熟化する社会に於ける住宅取得のモデルにもなっています。

松葉:家というものを金融といった視点から捉え直し、デザインし直すということですね。

塚越:このようにコラボレーションすることに限らず、分野を越えた視点をもってデザインに取組むことは重要な気がします。

松葉:僕が通っていた学校では、建築設計の枠組み、もっと言うのであれば建築の形状と概念だけで何かしらの「新しさ」を示すことが求められていました。もちろん、同級生全員がそういう認識だったかはわからないですが、少なくとも僕はそういう教育を受けて来たつもりです。そして今でもその「新しさ」を示すことは自分自身にとっては重要な事だと思っています。ただ一方で実務経験や社会情勢の変化を経て思うこととしては、20世紀から続く近代建築の文脈の中での純粋な「新しさ」を示すのは並大抵のことではないし、また現代の社会においてはさほど必要な事ではないと思っています。そもそも、そうした建築の枠組みの中だけでものごとを語ることは危険なのではないかという事に気づきます。もっと分野を跨いだ視点を持ち「新しさ」を追求していくことが重要ではないかと感じました。根本的なスタンスは異なる片岡さんと塚越さんですが、今日話しているなかで、分野を越えた視点をもってデザインを考える姿勢というのが今後重要になってくるのではないかと感じました。


協力
テキスト:藤沼拓巳
写真撮影:松下美季

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OTONA WRITER

松葉邦彦 / KUNIHIKO MATSUBA

株式会社 TYRANT 代表取締役 / 一級建築士 ( 登録番号 第 327569 号 ) 1979年東京都生まれ。東京藝術大学大学院修了後、事務所勤務を経ることなく独立。人生で初めて設計した建物が公共の文化施設(旧廣盛酒造再生計画/群馬県中之条町)という異例な経歴を持つ。また、同プロジェクトで芦原義信賞優秀賞やJCD DESIGN AWARD新人賞などを受賞。