僕をトロントに連れてってくれたのは、徹夜で仕事、からのクラブ通いーグラフィックデザイナーToi Whakairo

トロントでグラフィックデザイナーをしているToi Whakairoさん。仕事に行く前午前4時に起きてフォトショやイラレを学んだ10代から、クラブを中心に活動の輪を広げトロントに移り住むまでのデザイナー半生をインタビュー。

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もともと実家が鉄工所なんです。
それで、はじめは工業高専で機械工学を学んでいました。でもどうしても一生の仕事としてやっていくイメージが出来なくて、小さい頃から好きだった絵を描く事を活かせそうなグラフィックデザインを仕事にしようと決めました。それが3、4年生くらいのとき。でもそのタイミングから美大に入り直す余裕はなかった。だから、デザインは全部独学でスタートしました。

友達と名刺代わりに作ったCDを手にクラブに通ってフライヤーの仕事をもらった。

最初のデザインを作ったのは初めて勤めた部品会社機械部品メーカーで営業をやっていた時。
高専の同級生でDJ・トラックメイカーの Ogiyyと、「自分たちの名刺代わりになるものを配ろう」と作ったブックレット付きのCDアルバムでした。当時はフォトショとイラレを仕事にいく前、4時とか5時に起きて勉強していました。営業職の経験もいま思えば本当に役に立っていますね。


  • CLAXLOOP/ Ogiyy x Toi73

完成したCDを、クラブで昔から好きだったアーティストやレーベルにとにかく配りまくったんです。そうしたら、少しずつフライヤーやCDのオファーがもらえるようになった。食っていけるようなギャラじゃなかったけど、嬉しかったしとても大きな一歩でした。
今でこそ一緒に仕事をしているけれど、昔から憧れだったJAZZY SPORTの方々にもCD渡したなぁ。
その後VJも、よりアーティスト達と近い距離で一緒にパーティを作りたいと思ってスタートしました。音と映像でセッションする感覚で、デザインとはまた違うので良いインプットにもアウトプットにもなっています。


  • SonarSound Tokyo 2013 at ageHa Tokyo

そうして作品が溜まってきたころに転職活動を始めて、いくつかの制作会社で働いたんですが、どんなに激務でもクラブに通ってでいろんな人に会ってそこでフリーランスの仕事をもらいながら輪を広げていくことだけは続けていました。将来絶対フリーランスになろうって決めていたことと、音楽がある場所が大好きだったので。会社の仕事、フリーの仕事とダブルワークを続けていたのでよく徹夜をして、その後クラブいって、という生活だから、「顔色やばくない?」ってたまに言われたりもしたけど、全く苦ではなかったです。


  • Jazzy Sport 2015 Mixed By BudaMunk


  • Maylee Todd / Lonely / Poetry (Of Intuition)

線画かと思ったら全部パスでできてる。

トロントにいく直前まで働いてたのが、10代の頃グラフィックデザイナーという職業を知るきっかけにもなったデザイン事務所でした。 職人気質な会社で、例えばベクターのパスのとり方ひとつとってもそのこだわりが半端じゃないんですよ。 例えばかなり複雑な線画のようなデザインも、実は全部パスで囲まれた色面で作っている。そうすると印刷所のトラブルを防げたり、データもとても綺麗なものになるんです。ひとつひとつのデザインの要素に理由があり、リサーチの時間をたっぷりかけて制作するスタイルも勉強になりました。

コツコツ貯めた100万円を持って、トロントへ

もっと勉強するべきだとも思ったけど、30歳になる前に海外に行きたかった。3年ほどJAZZY SPORTのシェアハウスに住ませてもらっていて、海外からよくDJやアーティストが遊びに来ていたのですが、英語が話せずにコミュニケーションが取れないことが本当にもどかしかったんです。 あとは上京と同じ感覚で次は海外に行ってみたいなというのもありました。少しずつ貯金して、100万円貯めたところでカナダ・トロントに移住での生活にチャレンジすることに決めました。

でも、生活を始めてみたらツテもない、言葉もしゃべれない、貯金は減っていく一方...。
そこでも救われたのはやっぱり音楽でした。トロントのレーベル「Do Right! Music」のボスと会う機会があって作品を見せたら気に入ってくれて、7インチレコードのデザインをしたのが、英語ベースで初めてやった仕事でした。

トロントにある求人サイトを毎日見て、上から下まで100社以上に応募したりもしました。チャンスがあれば会いに行ったり、代理店で仕事をしてみたり、デザイナーとして身を立てることを目標にとにかく動いていましたね。 日本と同じくとにかくクラブをベースに輪を広げていくうちに、少しづつプロジェクトも増えていきました。

現地のメイン仕事として日本のブランドを扱うセレクトショップ「HAVEN」で働いています。オーナーがまだ30代前半と若いのもあって、新しい事を常に仕掛けているので新鮮で面白いですね。

海外の人たちは定時で仕事を終わらせて帰るので、日本と比べるとプロジェクトの進行スピードがとにかく早い気がします。定時内でどれだけ成果を上げられるかが勝負なので、ある意味シビアな環境ですね。でも軌道に乗れば、生活しやすくインプットとアウトプットのバランスが取りやすい街なのでトロントは肌に合っている気がします。


  • HAVEN x NEIGHBORHOOD 2016 “Dark Savage” Collection

視点をどこに定め、どういう解像度で見つめて、どこを切り取るか

独立して間もない頃、デザイナーとして仕事をしていく上で個人的にとても大事な事に気づいた日がありました。

野外イベントに行って空を見上げていた時のこと。何も考えずに座っていたら、自分を空から見下ろすように俯瞰できた瞬間があったんです。空まで持ち上がった視点を今度は足元の地面にうつしてみると、今度は土の粒ひとつひとつがリアルに見えてきた。
この体験から全てのクリエイティブは、視点をどこに定め、どういう解像度で見つめて、どこを切り取るかなんだということに気づいたんです。

物の見方のコツがわかると、クリエイティブのピントの合わせ方がわかってくる。この感覚を知ったあとと前では作るものも変わった気がします。


  • ▲その時の感覚をデザインに落とし込んだレコードスリーブ型のパッケージ。

海外で生活する上で学歴の重要性も身にしみて感じました。美大を出ていればそれはキャリアとして、仕事やビザを取得する上で大きな信用になるんです。教育を受けられるのは一番贅沢な事だと思うし、歴史や技術を学べるのも羨ましいなと思います。

またしばらく日本を離れてトロントを拠点に活動する予定です。やりたい事もたくさんあるし、トロントの仕事とフリーランスワークを両立しながら、次のビザが切れるまでにどれだけ良いモノを作っていけるかまたチャレンジですね。

2016年11月1日
(写真・執筆 /出川 光)

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OTONA WRITER

出川 光 / Degawa Koh

現PARTNER編集長。2010年武蔵美卒。専攻は写真。新卒でリクルートに入社、営業・ディレクターを経て、クラウドファンディングCAMPFIREを立ち上げるため転職。5年間CAMPFIREでチーフキュレーターを務め2015年に独立。カメラマン、クラウドファンディングコンサルタントにを経て現職。