【代表取締役社長就任記念】中島信也とムサビと時々手羽

2021年2月27日(土)

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我らが中島信也さんが、東北新社の代表取締役社長に就任されました。
新役員体制│ニュース│東北新社
普段の手羽なら大騒ぎするところだけど、経緯が経緯なので、ちょっと微妙でして・・。

私達美大関係者からしたら、学生さんから「東北新社に内定もらった」と聞いたら間違いなく「え?すごいじゃん!!」と言っちゃう会社なんだけど、一般的な知名度は低いかもしれません。「東北で何やってる会社なの?!」と。
創業者・植村伴次郎さんが秋田県由利郡出身だから、東京でスタートした会社だけど「東北新社(最初は東北社)」と名前がつけたそうです。サンリオの社長が山梨県出身だから「山梨の王になる→山梨王→サンリオウ」と名付けたのと似てる(似てない)
何やってる会社かは調べてください。あれもこれも東北新社です。ちなみに2020ユーキャン新語・流行語大賞の6位に選出された「オンライン〇〇」で東北新社の皆さんが受賞しています。


実は信也さんが社長になっちゃう展開、「もしかしたら」とうっすら予想はしてたんです。
中島さんは取締役副社長だったので「社長が責任取って辞任なんてことが起きたら、ありえなくはない話だよなあ・・」とぼんやり思ってはいたけど、ほんとに社長になっちゃうとは。
真っ先にこの記事を思い出し、

「社長の肩書なんて、もはやネタ。でもやらなくちゃいけない時がきちゃった」ときっとご本人は思ってるだろうなあ、と。

手羽ブログに「中島信也」の名前が初めて出たのは2006年10月18日のこの日記。
ムサビ日記 -室長の手羽-: アイデアの鍵貸します
ほんと日記って便利だなあ。てか15年ずっと手羽は同じことをやってるんだな・・(怖っ)

つまり、手羽ブログを昔から見てる人からすれば「中島信也」という名前はご存知なはずだけど、知らない人も多いはず。
火中の栗を拾うための就任だから派手なお祝いはとてもしにくいのだけど、手羽と中島さんとのつながりを思い出しながら、社長となった中島さんの人となりを紹介していきます。

まず、簡単に中島信也さんのプロフィールを。

1959年福岡県生まれ大阪育ちの江戸っ子。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。’83「ナショナル換気扇」で演出デビュー。その後デジタル技術を駆使した娯楽性の高いCMで数々の賞を受賞。
主な作品に日清食品カップヌードル「hungry?」(’93カンヌ広告祭グランプリ)、サントリー「燃焼系アミノ式」(ACCグランプリ)、サントリー「伊右衛門」(ADCグランプリ)、TOTOネオレスト「菌の親子」など。’10劇場用映画「矢島美容室the movie」を監督。
武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科・デザイン情報学科客員教授、金沢工業大学客員教授。

ムサビ視覚伝達デザイン学科卒で、同級生がみうらじゅん、工業デザイナーの奥山清行さん、栗コーダーカルテットの栗原正己さんというすごい学年なんです。詳しくはこちらの記事をご覧ください。
ライバルはみうらじゅん・中島信也 武蔵美はトキワ荘 : NIKKEI STYLE
みうらじゅんの落第救った 中島信也の武蔵美時代 : NIKKEI STYLE

「ムサビが大好きなムサビOBOGは誰?」と聞かれたら、手羽は間違いなく中島さんと長澤学長と手羽の3人の名前をあげます。
でもこの頃はタマビのグラフィックデザイン学科教授だったんで「信也さんはムサビが嫌いなんじゃね?」疑惑が業界で流れたりもしてました。ただブログにも書いてるとおりムサビ校友会の事務局長もされていて、手羽が「ムサビとかタマビとか関係なく、美大を盛り上げないとやばない?」という発想を教わったのは実は中島さんからなんです(告白)
ちなみにタマビ教授は2年後ぐらいにやめてます。

思い出深いのは、この日の夜のことかな。

ムサビ日記 -室長の手羽-: 地域フォーラム レポート2
校友会主催の地域フォーラム2008in大阪で、ホテルで懇親会が行われ、サンバ隊と一緒に踊ったっけ。
中島さんは才能の塊で、神様は不公平だなあと思ってたけど、ダンスの才能はなくてホッとしたっけ。
 

中島さんと話をされた方は多分同じような感想を持つと思うんだけど、頭の回転が速いんですよ。
それが「頭がいい人」とは違う何かで、例えば将棋で私が3手先を読んでるとしたら、頭のいい人は10手先を読みますよね。でも中島さんは、どうやれば自分が気持ちよく勝って、相手が気持ちよく負けを認め、気持ちよく帰ってくれるか、そして別れ際のくだらないオヤジギャグまで全て同時に考えてるような感じ。きっとこれが「右脳で計算する」であり「クリエイティブ思考」なのかな、と。
実は新学科構想の時に一番最初に相談した相手が中島さんで、コンセプトにうっすら中島さんの言葉を残してるのはここだけの秘密。

その後、中島さんは校友会の副会長、会長となり、さらに今は学校法人武蔵野美術大学の理事・評議員をされてるんで、この数年はほぼ毎月お会いしてました。


いつのまにか手羽は中島信也マニアになってて、中島さんのトークショーとかにちょこちょこいくようになり、「中島さんに大学の公開講座をやってほしいなあ」とずっと思ってて念願がかなったのが2015年。結構かかりました。
中島信也の地鶏入門・・じゃなくて公開講座に行ってきた

 
中島信也成分を一番欲してたいたのが2017年頃で、2017年2月には
【観光ついでに日本最北端の美大卒展へ!】秋田公立美術大学の初めての卒展に行ってきた!!! !

秋田まで自腹で追っかけ(秋田美大の卒展は2の次だった)、5か月後の2017年7月は
【二人の根っことは】森本千絵×中島信也〈森の中〉展〜広告づくりの頭の中はアートの森〜に行ってきた

鹿児島にも自腹で行きました。ここまでいくと気持ち悪いでしょ?
中島さんは講演の冒頭に自己紹介がてら「餃子の歌」動画をよく流すんですが、手羽は10回ぐらい見てます(笑)

2018年の校友会イベント地域フォーラムIn福岡では、
【リリーさんと信也さんと時々手羽】ムサビ地域フォーラム「アート&デザイン2018福岡」に行ってきた【その2】

リリーさんに「この人、みうらじゅんと絶交してたんですよ。この年で」とさんざん突っ込まれたけど、このメンバーを回せたのは中島信也しかいなかったっす。
ちなみにみうらじゅんさんとは仲直りされてます(笑)


最近のムサビのイベントだと、6月WEBオープンキャンパスにリモートで登壇してもらってますね。


オープンキャンパスもそうだったように、このご時世、理事会もオンライン開催だから全然お会いできてないんですが、突然メッセージで「今からオンラインイベントに登壇します」と連絡が2回ありました。


  • 2020年11月13日に開催されたINTER-DESIGN FORUM TOKYO 2020 VOL.15。進行役をされてました。

マニアだから見ますけどね。
見ますけど、せめて前日に言ってくれたらブログとかSNSで宣伝するんだけど、30分前じゃ見るのがやっとなんすよ(笑)

 
冒頭のプロフィール以外で大人に通じるネタなら「『とんねるずの みなさんのおかげでした』の 題字の『した』を書いたのは中島信也」てのがあるし、中島さんの有名なCMだと ユニクロ「Wide Leg Jeans」、NTTドコモ「渡辺謙シリーズ」「桑田佳祐キャンペーン」、日清ラ王「西島秀俊シリーズ」などがそうだし、高校生や大学生がわかりやすいのはAirペイのCMかもしれません。
このシリーズです。

 
また、中島さんが作詞もした資生堂のコーポレートCM「新しい私になって」

を見て泣いた女性を知ってます。

でも、福岡出身の手羽が中島さんの動画で一番感動したのはこれですね。

2016年4月に発生した熊本地震から、中島さん達が熊本と九州を応援するため、急ピッチで作って9月に公開したのがこの動画なんです。作詞・作曲・歌も「中島信也」です。九州の人間だと泣かない人はいないんじゃないかしら。


まとめに入ります。

中島さんがムサビ・美大を表現した名言がいくつかあります。
一つ目は、「迷い、悩み、立ち止まる」
中島信也「社会のために、広告ができること」|マウジン

「ムサビではスキルも教えるが、本質を重視するような雰囲気がある。デザインそのものよりデインと社会の関係を考え、世の中とどう関わっていくのか、どうすれば幸せな社会が作られるのか、人間はどうあるべきなのかといったことをすごく考えさせられた。いつまでたっても迷い、悩んで、立ち止まる、これがムサビズムだ」と語っています。
私はこれを聞き、もう少し展開して、ムサビ生や卒業生の特徴を「悩み続ける自信家」と表現するようにしています。

そして、手羽が多分一生忘れられないのが、東日本大震災の年である2011年度卒業式で校友会会長祝辞として残した中島さんの言葉です。
卒業式 2011年度 | 武蔵野美術大学
東日本大震災では、「アートやデザインはこういう時に何かの役に立つのか?」ときびしく突き付けられました。

でも、そこで中島さんは「芸術や美術、造形に深くかかわるムサビの生活の中で育まれたものがあるとすれば、彼の地を思う想像力、「イマジネーション」だ」とおっしゃったのです。
何も絵を描くのが私たちの役目ではなく、被災した地域、傷ついている仲間のことをイメージし思い続けられるのは、クリエイティブに関わった人間なんだ、と。

厳しい人からは「そんなので被災地の人はお腹いっぱいにならない」と言われるだろうけど、この言葉で自分も少し救われた気になったんです。


きっと中島新社長は、東北新社の課題をサクサクと解決するわけじゃなく、迷い、悩んで、立ち止まりながら、困ってる人たちの気持ちを想像する「イマジネーション」を使って改革に取り組まれるんじゃないかと思ってます。


以上、これから理事会とか出席できるのかな、あ、その前に卒制の講評があるけどどうなるかな、の手羽がお送りいたしました。

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OTONA WRITER

手羽イチロウ / teba ichiro

【美大愛好家】 福岡県出身。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒。 2003年より学生ブログサイト「ムサビコム」、2009年より「美大日記」を運営。2007年「ムサビ日記 -リアルな美大の日常を」を出版。三谷幸喜と浦沢直樹とみうらじゅんと羽海野チカとハイキュー!と合体変形ロボットとパシリムとムサビと美大が好きで、シャンプーはマシェリを20年愛用。理想の美大「手羽美術大学★」設立を目指し奮闘中。